命の価値が塵ほどもないこの世界で君と

五天ルーシー

第一章

第1話 プロローグ

 春とは名ばかりの寒さではあったが、その日、クレシカ王国の都クレスは春祭りの準備をする人々で賑わっていた。


 クレスは美しい街だ。郊外の石切り場から運ばれた白い石は、整然とした街並みを作り、中央奥の高台にそびえる城は、やはり同じ白石で建てられていて、小塔を四隅に置くやや無骨な城壁で囲われていた。以前は森だったのだろうか、その名残の木々が真っ白な城に色を添えていた。また、朝夕の太陽に照らされて金色に輝く城の姿は、市民の誇りでもあった。


 高台から南を見下ろせば港がある。海港ではなく河港だ。リーネ河という大河のほとり、クレシカ港と呼ばれるこの地こそ、数百年前までは王都が置かれていた場所だ。その後、築城の技術が飛躍的に発達して、現在のクレスへと都が移された。


 砦のような旧城は、その都度手直しをされ、今もそのまま使われている。有事の際には防衛線として、平時には貿易港として国を守り繁栄させてきたのだ。


 この美しいクレスが花の都と呼ばれて久しいが、ここのところ世の中の情勢は定まらず、人々の気分もなんとなく停滞していた。


 しかし、去年の暮れに若い王が結婚をした。先王が崩御し、王位を継いでから二年余り、新王はいまだ十八歳になったばかりであった。その王が身分の低い女性を見初めて、妃にと望んだのだ。


 近年は華やかさを欠いていた春の祭りに、国王夫妻のお披露目をするというお触れが出された。久々のお祝いごとに市民たちは喜んだ。

 街中まちじゅうで商売のやり取りが行われ、荷車が通りを行き交う。大道芸人や楽士が次々と街へ入り、子供たちは期待に胸ふくらませ路地を走り回った。


 「なあ、おやっさん、新しい王妃様を見たんだろ?どんな方だったんだい」

祭りを彩る花を郊外から運んできた若者が言う。荷車の中には、三色スミレや赤いデイジー、輝く黄水仙に青いワスレナグサ、色とりどりのチューリップや大きな枝ぶりのミモザなどがわんさと積まれていた。


「そうさなあ。遠目に見ただけだが、おきれいな人だったよ。なんでも子爵様だかの令嬢で、実家はかなり羽振りがいいらしいぞ」


問いかけられた中年の男は、ここらあたりの商工会の顔役で、三代前から大通りに店を構えている。日用品から食品、それなりに高級な文具や装身具まで扱っており、この店に来れば大概の物が揃うといわれていた。


 隣の小さな店舗では娘夫婦がパン屋を営んでいて、娘婿が作る素朴な焼き菓子は、王都ではなかなかの評判であった。


「はあ、あたしゃやっぱり、貧しい生まれだっていう聖女様をお妃に選んでほしかったよ」

そう口をはさむのは店主の妻である。豊かな胸と腰をしており、いかにも商家のおかみさんという風貌だ。

「ははっ、聖女様ってのは、まだ十四、五だろ?そりゃ無理ってもんだ」

「あと何年か待てばいいじゃないか、王様だってまだお若いんだし」

女が口をとがらせる。


「けど、いくら王様だって美人にはかなわねえさ。望んでお妃になさったんだろ?」

若者がおどけた調子で横から口を出す。

「まったく男ってのは・・・あんたもさっさと嫁でももらいな!」

女が若者の背中をバシバシ叩くのを見ながら、店主は少し昔を思い出していた。


 十数年前、隣国が河を越えて攻め込んできたことがあった。都にこそ軍勢は届かなかったが、河畔かはんではひどい戦いだったそうだ。

 幸い、店主の身内は兵隊に取られることもなかったが、年頃の若者がいる家は息子を泣く泣く軍に差し出したという。


 その時は、先王自ら先陣を切って、敵を何とか追い返した。先王の人気が高いのはこの所為でもある。


 悪いことは重なるもので、同じ頃、流行り病が世界中を襲った。店主一家もまだとおにもならぬ娘を失った。男の歳ほどの人間ならば、知り合いの一人や二人は戦か病で失くしているだろう。


 立て続いた災禍は、容赦なく働き手を奪い、国土を疲弊させた。悲しみを感じる暇もないくらいに働いて、ようやくここまでやってきた。


 だが商人仲間や行商から聞く限り、周辺はきな臭いままだ。物価も上がっているし、他国からの仕入れもなんだか思うように行かない。このまま何もなければいいが・・・そんな不吉な考えが頭をよぎり、小さく首を振る。


「きっとこれからは良くなるさ。もうあんな思いはたくさんだ・・・」

男の呟きは、浮かれた街の喧騒に消され、誰の耳にも届くことはなかった。


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