⑨ホテル・表彰式
拙い私の回顧談を、会場の人たちは静かに聞いてくれた。
時折頷きながら、同意するかのように。
「なるほど。それで、ご友人の代理として連絡したのですね」
お疲れ様でした、というような口調で、司会者が私に言う。
頷き、自分の手にあるマイクを口元に近づけた。
「はい。それで、無事出版していただけて、口コミで広がって」
「ミリオンセラーになったのですね」
「仰るとおりです。だからこれは、この物語の作者は私ではありません。作家としての生命を絶った友人の代理として私は今、この場所に立っています」
涙が堪えきれなくて、下を向いた。
マイクを下げて、声が入らないようにして。
「だから、私がこの場所に立つ資格なんてない」
涙を落とす代わりに呟いたけど気持ちは晴れなくて、唇を噛んだ。
溢れる涙がこぼれそうになった時、
「今さらそれ言う?」
柚子の、声が聞こえた。
「……っ」
顔を上げると客席の向こう、出入り口のドアの前に柚子が立っていた。
高校の制服、あの頃と変わらない柚子の姿が。
他の人には見えていないようで、誰も柚子の事を気にしていない。というより私と柚子以外の時が止まっているようで、司会者はマイクを掲げたまま静止していた。
柚子が、小さく微笑む。
「私の作品で私の代わりに表彰式に出て、私の代わりにおめでとうって言ってもらえて。書いたのは私なのに」
「わか……わかってる」
「けど、アレンジしたのは絵奈だよね?」
「アレンジ?」
「大変だったでしょ、本の形に直すの。誤字脱字多かったよね、ごめんね。あとラスト、親子の再会シーンを追加して書いたのも絵奈だよね?」
「あれは担当の人が、感動的な場面があったほうがいいって」
「その意見を踏まえて考えた、新しい場面を生み出したのは絵奈だよ」
「才能なんて……私はただ、柚子の物語に色をつけただけで」
「それも才能。普通の人にはできない、絵奈が持ってる特別な才能。いいよ、言っちゃえ言っちゃえ! 私、小説家になりますって」
「なに……」
「ここで宣言していいよ。私がこの物語の続きを書きます、この作品を超える素晴らしい小説を書きます。だから皆さん、応援してくださいって」
「そ、んなこと言えない! だってこの物語を書いたのは柚子だよ、柚子の才能があったから」
「夏の夜、公園のベンチで、私の小説読んでくれたの嬉しかった」
ふわっと、その時の情景が浮かんだ。
頭の中にじゃなくて目の前に、天井に星空が浮かび上がったのだ。
満天の空を見上げながら、柚子が話を続ける。
「だけど序盤の拙さを指摘されて、腹立ったなぁ。喧嘩別れしたのは、秋だったね」
次に世界は赤く染まった。
紅葉が色づいた、秋の公園。
「
「……大変だったよ、たくさん直した」
「すごいよ、絵奈は。才能ってこういう事だって、今ならわかる。絵奈は、小説家として生きていける」
「そんな事ない。私なんて、柚子に比べたら」
「ねぇ、絵奈、私はもう死んでるんだよ?」
「知ってる……」
わかってる、そんな事。
あの時、冬のあの日、私が引き止めていれば……才能あるよ、やめちゃダメって伝えていれば。
「だからこれは、今の私は絵奈の才能」
「……才能?」
「私はもう死んでる。だから今の私は絵奈の妄想、絵奈が作り出した世界」
「なに、言って……だって、こんなにリアルに」
「すごいよね、絵奈は。こんなにリアルなキャラクターを、リアルな動きで作り出してる。司会者さんとか来賓の先生方とか、他の人に直接お見せ出来ないのが残念!」
「……ふ、ふふっ」
「面白いでしょ? すごいでしょ? こんなリアルな世界を、妄想を絵奈は物語として作り出してるの。小説家になっていいよ、絵奈」
柚子が両手を広げた。
それは満天の星空を受け止めるように、落ち葉となる紅葉を掴むかのように、世界に向かって羽を広げるように。
「宣言しちゃいなよ、今ここで。小説を書くので読んでくださいって。いい機会だよ、みんな見てる。ここで宣伝するのが一番効果的」
柚子の笑顔に、同じ表情を返す事が出来なかった。
だって私は違うから。
このステージは本来、柚子のものだから。
「柚野奈々のペンネームには、私と絵奈の二人が入ってるの」
柚子が言った、高校の時に言っていた。
私と月野さん、二人のペンネーム……柚野奈々は、二人だよって。
「受け継いで、絵奈。小説家として生きる事をやめた私の代わりに、小説家として生きて」
「……これは私の妄想?」
「都合いいよね、ほんと! 私にこんな事言わせるなんて!」
「ふふっ」
「でも、柚子ならそう言ってくれるって思ってるんでしょ? いつも私を見てくれて、小説家としての私を一番知ってるのは絵奈だった。だからキャラクターとしての私が生まれた、リアルな言葉を絵奈に伝えられる。いいよ、絵奈、あなたには才能がある。今、追い風が吹いてる。だから生きて、夢を追いかけて」
ぱっと、世界が明るくなった。
元に戻ったのだ。
柚子の姿は消えていた。
司会者が私を見て、首を傾げる。
「はい、えっと……で、では柚野先生、ありがとうございま」
「死なないで」
小さく呟いたのに、マイクが私の声を拾ってしまった。
好都合だ、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
涙はもう、落ちない。
顔を上げて、ステージの上から私を、柚野奈々に注目している人々を見返した。
「私の友人は、一人で小説を書いて、誰にも認めてもらえず、一人で死んでいきました」
声が震えている事に気がついて、下唇を噛む。
大丈夫、頑張れ。って、柚子の声が聞こえた。
もちろん妄想だけど。
そんなリアルなキャラクターを作り出せる私はきっと、小説家としての才能がある。
「だけど彼女には才能があった。たくさんの人が無視した彼女の作品がこうして脚光を浴びて、有名な先生方から賞賛を得て賞まで頂けた。彼女は言いました、私が悪いと。面白いものを書けない私が悪い、面白かったとしてもそれを認めさせる事ができなかった自分が悪いと。だけど現状をみて、今ならはっきり言えます。彼女は悪くない」
言葉が溢れる。
伝えたい事が一つにまとまらない。
喉を震わせる事をやめて、考えた。
私は何を言っているのだろう、何が言いたいのだろう。
誰に伝えたい?
この物語を通して、誰を救いたい?
決まってる。
私はあの時の柚子と、柚野奈々という小説家を救いたい。
「もし今、彼女と同じように苦しんでいる人がいたら、才能がない何もできない役に立たないと悩んでいる人がいるのなら、私は言いたい、あなたは悪くない。つらいなら、もがいても這い上がれなくて苦しいなら、世間が悪いと思えばいい。あなたを認めない世間が悪い、あなたは絶対に悪くない! だから死なないで……あなたの才能を殺さないで、夢を諦めないで」
ずっと言いたかった。
やめないでって。
諦めないでって。
才能なんて見えないものに悩まされないで。
十人が駄作と言っても、違う価値観を持った千人が傑作と褒め称えるかもしれない。
やめないで、諦めないで、死なないで。
報われない努力もあるけどきっと、それは無駄にならない。
いつか先の人生で、生き抜いた先の未来できっと、何かの役に立つ。
頑張れば頑張った分だけ、例えばそれが望んだ道ではなかったとしてもきっと、
幸せな結末は待っている。
だから生きて……と、
あの時の柚子に、今の私自身に。
言葉に気持ちを乗せて、彼女達に伝えたい。
「風を、追いかけてください」
客席にざわっと、衝撃の風が吹いた。
もちろん本当の風ではないし、誰も声なんか発していないけれど。
私に注目が集まるこの瞬間、柚野奈々として私は、高らかに宣言する。
「だから私は、小説家になります!」
司会者が「へ?」と間抜けな声を出した。
失笑を堪えて、マイクを握りしめる。
「友人の代わりに私が小説家になってこの物語の続編と、新しい作品を作ります。それはきっと大作になる。今作を超えた秀作になります! だから皆さん、今後も、柚野奈々という小説家をよろしくお願いします!」
深く頭を下げると、どこからか拍手が起こった。
最初に手を叩いてくれたのは柚子かもしれない。そんな妄想を抱いて、顔を上げる。
たくさんの視線、賞賛の拍手。
ふと横を向くと、柚子が私に手のひらを差し出していた。
まるで王子様と王女様だ。
マイクを司会者の胸に押しつけ、柚子の手を取った。
握った手の感触がリアルで、温かくて、私は柚子と一緒にステージを飛び降りた。
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