第126話 誰も知らなかった聖女様
「暑い……暑過ぎる」
「今年もやってきたなって感じですよねぇ」
自宅を出て十分ないくらいのこと。
じり、と梅雨入りが嘘かのような容赦のない日差しに照りつけられながら、庵と明澄は疲労気味な声を出した。
街路樹の木陰を縫って歩き、睨みつける太陽を躱しているが焼け石に水程度でしかない。
繋いでいる手も汗ばんできそうで嫌だし、学校なんてなければ今すぐにでも自宅に引き返してしまいたい暑さだ。
「ねえ、庵くん。コンビニ寄りません?」
手で仰いでいた明澄は、今にも熱で溶けそうな顔ですぐそこのコンビニに指差す。
断る理由なんてないので「賛成」と弱い返事をすると、二人は進行方向を転換した。
この際、多少遅れてもいいやとすら思った。
「あぁ〜。今日はもうここでいいや」
「ね。そろそろ学校も冷房解禁してくれたらいいんですけどね」
コンビニへ駆け込むや否や、二人は冷房に感謝の心を抱いた。
ひんやりとした冷気があっという間に熱を忘れさせてくれるほどの快適さだ。
ただ、厄介があるのは変わらずだった。庵たちに刺さるのが日射ではなく、視線に切り替わったからだ。
一瞬ざわついた気がして、あたりに目を配ると、同じ制服を着た男女から一斉に注目を浴びていた。
驚きに始まり、羨望と嫉妬、好奇心などの遠慮ない視線は複数種類に変容を遂げる。
視線だけこちらにしてひそひそと声も聞こえてきて、不快指数が増した。
「さて、アイス買って帰って家でのんびりしますか」
「いいですね。見たい映画があったんですよ」
うんうん、と目を伏せながら首を縦に振る明澄が同調する。
「いや、止めてくれ」
「現実逃避したくなる気持ちは分かりますので」
明澄と距離を縮めてからは、不躾な視線や噂、悪口が増えている。
元々、ネット上に棲息していて耐性はあるほうだし、構いはしないけれど、冗談くらい言いたくなるものだ。
自分より耐性と慣れがある明澄でさえ同情してくれるのだから、やはり他人から遠慮ない感情が集まるのは落ち着けるものではないのだろう。
「さっさと買っていこう。店を出たところでだけどな」
よく冷えたペットボトルを棚から取り出しカゴを持つ明澄に渡しつつ、首を後ろに倒すようにして視点を駐車場に移す。
やっぱり遠巻きながらこちらを見る生徒がいるし、億劫さは増すばかりだ。
「今日はずっと大変そうです」
「一日で済ばいいけどなあ。でも予測はしてたし、これも付き合ってる実感なのかね」
「そんなのなくたっていいんですけどね。私だって何か言われるか分かりませんし」
「そうか。ま、なんかあったら俺に言えよ」
「……はい」
自然と口を付いて出た一言を預けると、明澄はぱちくりとしてから頷く。親しくてもそういった干渉をしない性格だから、思わぬものだったのだろう。
それからワンテンポおいて明澄は「頼りにしてますね」とにこりと笑いかけてきた。
庵には体感として存在しないが、明澄や胡桃曰く密かな人気があるらしい。
聖女様と崇められる彼女に対して直接的な攻撃はあるとは思えないが、残念ながらどこで恨みを買うかは予測不能なので、逃げ場や解決の窓口を作っておくのは庵の役目だろう。
以前のままでは相応しくないし、格好いい彼氏でいたいのだ。
そのカッコつけはレジでも現れる。しれっと明澄からカゴを奪ってカウンターに置いた。
「俺が払うよ」
「いえ、誕生日をいっぱい祝ってもらいましたし私が」
「いやいや俺が」
「いえいえ私が」
譲るという選択肢を押し付け合うように言いながら、二人して財布を取り出す。
稼ぎは共にあるからどちらでもいいのだが、やはり男としてこのくらいの払いは持たせて欲しいものだ。
どうせそのうち財布は同じになるだろうし、無駄な争いなのだろうが。
「じゃんけんするか?」
「望むところです」
店員がバーコードを読ませているうちに支払いの行き先は運ゲーに委ねられる。
やる気を見せた明澄が固めた拳を胸の前に出したところで「じゃんけんっ、ほい」と音頭を取った。
結果、二回の引き分けを経て明澄がチョキで庵がパー。
明澄の勝ち――なのだが、直後にレジで電子音が流れ出した。
「あ! 庵くんっ」
「おー、手が滑ったー」
何が起きたかすぐに把握した明澄が声を上げているが、庵は白々しく言いながらそっぽ向く。
実はじゃんけんの途中、庵は密かに店員に目をやって支払いを進めており、逆の手でスマホをスキャナーにあてがっていたのである。
騙す形で悪いが、そうそう譲ってやるつもりはなかった。
出し抜かれて「やってくれましたね」と、ふくれっ面で明澄が睨んでくる。
やや勝ち誇った顔をする庵に恨めしそうにしながら明澄は「はぁ」とため息を付き、渋々財布を仕舞っていた。
「じゃんけんしただけだからな」
「むぅ。どうやら私はまだまだ庵くんのことを分かってなかったようです」
「そりゃ半年しか経ってないし。まあ、人生長いから頑張ってくれ」
店員から袋を受け取った庵はひらりと手を振る。余裕ぶるが、むしろ半年でここまで来たのだから、こんな搦め手もすぐに通じなくなるだろう。
手癖が悪いのはもう覚えましたからね、と隣で明澄が刺してくるし、時間の問題に思いながら店を後にした。
「なにあれ」
「聖女様ってあんな風に笑うんだ」
「羨ましすぎる……」
二人が去ったあとの店内では相変わらず話題にされているが、きょとんとした生徒が多かった。
沢山のアプローチを受け付けず恋愛とは程遠かった存在だ。だのに、いつの間にか男子を隣においているのだから無理もない話だろう。
恋人と仲睦まじくする聖女様は衝撃を残していた。
「あの、袋すら持たせてくれないのですか」
「だって払うだけ払って持たせるのも違うし」
「……庵くんの卑怯、ずるい、優しすぎ、朱鷺坂庵」
「おい、俺を悪口の代名詞にするな。そもそも悪口なのか?」
「悪口、ではありませんけど、たくさんの意味を含んでますので」
「なんか怖いなあ、それ」
駐車場を出たところで、ぐし、と背中をパンチされるものの、愛しさの裏返しだからこれは機嫌を取る必要もないだろう。
そんな可愛らしい不満をぶつけられつつ、庵は苦笑しながら微妙に口角を歪めている明澄の手を取った。
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