第127話 聖女様の手は繋がれている

 教室へ近付くにつれて、視線は凄まじいものになった。

 生徒が集結する校門、昇降口を通過するたび様々な声が聞こえてくる。この数日居なかった聖女様が登校したと思えば、男を連れていたのだから当然だ。


 先日、明澄による告白もどきの事件も余波していると見て間違いない。あれが噂にならないとは思えないし、その結果がこれだ。

 彼らも予想の範囲内かもしれないが、それでも一定以上人を寄せ付けなかった聖女様に彼氏など信じ難いだろう。


 いつもは目立つ事のない庵だが、今日は間違いなく聖女様とともに主役にされていた。


「普段こんなに注目をされてるんだな」

「どうでしょう。今日は一段と、と言うのは間違いないですけど」


 若干の落ち着かなさを面に出す庵は、有名人である明澄の苦労を実感しつつあった。

 慣れてしまった事だからか、彼女はいつもの様子をあまり覚えてなさそうに答える。


 周囲と目が合えば明澄は定期的に聖女様スマイルを浮かべて、いなす。今日ですらあくまでも明澄にとっては日常に過ぎないようだった。


「手振っとこうかな」

「絶対煽りに取られますよ。私としてはアピールしてくれるのならそれでもいいですけどねぇ」


 聖女様の登場はいつだって目がいく。

 俗世離れしたようなミステリアスさ、分別さえ弁えるなら誰にだって優しくて、どこまでも優秀で可憐な少女に惹かれないほうが不思議だろう。

 本人の距離の取り方から誰のものでもない彼女には、常に期待が寄せられていたのだ。


 しかし、その聖女様が男子と歩くだけならまだしも、見せ付けるようにして手を繋いでいる。

 庵が手を振った際には、心中穏やかでいられる者は少ないはずだ。


 現に「なんで、聖女様が男子と!?」「俺たちの聖女様が……」とか、「水瀬さんが見たことない顔してる」なんて声が耳に入る。おまけに「いや男避けのカモフラだろ」「どうせ直ぐに別れるって」と現実を直視出来ていない生徒も居た。


「なんか呪われそう」

「これで庵くんも人気者ですね」

「悪い意味じゃないといいけど」

「堂々としていれば大丈夫ですよ。教室に入ればもっと注目を浴びますし、何とは言いませんが、シャキっとしてないと餌食になるやもしれません」

「わぁ、面倒くせえ」


 教室を目前としているが、数分後の未来は想像するまでもない。

 今でさえ、きっかけがあれば問い質しに来そうな雰囲気すらある。


 それを封じているのは明澄がどこか浮かれるように庵の手を取っているからだろう。

 幸せそうに手を繋ぐ聖女様を前にして、その隣の男を相手にしようなどという気概を出せるなら、勇者と言っていい。


 なので明澄の言うように堂々としておけば、より狙われにくくなるだろう。

 そもそも、聖女様の横に立つ庵が見劣りするような人間ではいたくないから、選択肢としてもその立ち振る舞いは一択だ。


「最悪、質問攻めにされたら私が、質問はおひとり様一つだけに〜、ってしますので」

「記者会見かよ」

「実際似た感じになるかもしれませんよ」


 学校中の注目の的であり憧れである聖女様との交際は一大事件だ。全校集会で会見をしないといけない、と言われても納得するレベルの人気具合である。


 しかし当の本人は特に気にするでもない様子。そう冗談まで言う明澄に、小さく苦笑した。

 ふふっ、と笑みを返してきた明澄に手を引かれながら教室のドアのレールを跨ぐ。


 途端、空気が一変するのを感じた。

 ざわめき立つだろうな、と思ったが意外にもそれは寸前で堰き止められた。


「おはよう。二人とも」


 教室の後ろから入ったが、その入口付近で奏太が待ち構えていたのだ。まるで予見していたかのような立ち位置で、真っ先にその爽やかな顔で挨拶をしてくる。


 先陣を切ったつもりはないのだろうが、おかげで教室から庵たちにかかる勢いは削がれていた。


「おう。おはようさん」

「おはようございます。沼倉さん」


 二人して挨拶を交わす。すぐ近くの席には胡桃が座っていて、にやけながら手を振っている。


 いつもなら飛び付く勢いで興味を示したと思うが、先日庵が電話でちょろっと報告しているし、押さえ込んだのだろう。

 気を使ってくれているのも、かつて自分たちが同じ目に遭ったからかもしれない。


 ただ、友人カップルは大人しかったものの、クラスメイト達が次第に色めき立ち始めた。


「う、うそだろ」

「朱鷺坂君と聖女様が!?」

「そりゃ、この間あんなことあったし……」


 思い思いに驚きやら感想を放ちつつ、庵たちの周りにぞろぞろと集まってきて、あっという間に人だかりが出来上がる。


 意外にも多かったのは女子たちで、それはもう興味津々である。何から聞こうか、と興奮を瞳に宿していて止められそうにない。


 気圧された庵は引き攣りそうな口の端をなんとか抑えていた。


「み、水瀬さん」

「はい」


 一歩群衆から飛び出た女子生徒が、一番手として名乗り出るように明澄に話しかける。


「え、っと、それ。朱鷺坂君と付き合ってる……よね?」

「はい。見ての通り、彼とお付き合いさせていただくことになりました」


 庵と繋いでいた手に一瞥してから、明澄は静かな微笑みを携えて肯定した。

 すると、辺りからはわぁと歓喜の声と絶望混じりのため息が漏れ、大賑わいの女子、敗戦ムードの男子に明暗が別れる。


 次には値踏みする眼差しと恨めしそうな視線がこちらに突き刺さって、居心地の悪さに庵は背筋を伸ばした。


 助け舟をと、奏太のほうに目をやるが彼は肩竦めていて表情には「諦めろ」と書いてある。

 仕方なく落胆の色を濃くしながら庵はぎぎぎ、と首を正面に戻すしかなかった。


「き、きっかけって教えてくれたりする?」

「話したくないこともあるので色々端折りますが、きっかけはお互いのお節介と言えばいいでしょうか」

「お節介?」

「どちらも一人暮らしなので、ご飯作ったりとか、他にも私が庵くんのお部屋を綺麗にしたりとかです」

「朱鷺坂君ってお料理出来るんだ。もしかしてハイスペック系……」

「はい。すごく美味しいご飯を作ってくれるんですよ。他にも沢山いいところがあって、優しいですし器用だし包容力とか半端ないので、いつの間にか惹かれてましたね」


 他にも〜、とすらすら一から十まで明澄が語るから、周囲は息を飲んでいた。


 庵を恋人だと堂々と宣言出来ることに明澄は喜びを隠せないようで、庵に半歩を身を寄せてそのアピールを欠かさない。

 思わず苦笑したが、そんな初めて見る恋する聖女様の姿によって再び庵に視線が集まり、それどころではなくなる。


 しかもあの聖女様がべた惚れでべた褒めなのだから、その威力も強烈。

 ただの男子生徒と思っていた庵にはそんなに凄いのか、といったプレッシャーがピークを迎えていた。


「明澄、褒めすぎ……」

「ごめんなさい。つい庵くんのことだと饒舌になってしまって」


 だって好きな人ですもの、と照れくさそうに明澄が笑う。

 同時に怨嗟と黄色い声が舞うから、もう逃げ出したい気分でいっぱいだ。


 まだまだ聞き足りなさそうなクラスメイトらを目の前に、気分が重くなる。

 察した明澄からきゅっと握り締め返されて、庵は少しだけやる気を補充した。

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