第125話 そのネクタイは曲がっているか

「お弁当持ったか?」


 忘れ物がないかダイニングでスクールバッグを漁っていた庵は、一足先にダウンフロアリビングから出ようとしていた明澄にそう声をかけた。


「もちろんです」


 にっこりとしながら明澄は両手で頭上に大きな丸を作ると、スクールバッグから庵お手製の弁当が入った保冷ケースをちらりと出して庵に見せた。


 今日からは夕食に加えて、担当制でお弁当を作ることになっている。

 数日前まで交際はしていなかったし、変な噂を立てられると困るのでお弁当は自重していたのだ。


 もう学校で隠す理由もなければ、交際を隠し通せる訳もない。なので、本日より恋人お手製のお弁当が両者間で解禁された次第だった。


「庵くんのお弁当を忘れるなんて仙石秀久もびっくりのやらかしですから」

「あれは一国一城の主から転落だぞ。そのあと返り咲いたけどさ。秀吉がキレた戸次川のやらかしに比べたらお弁当なんてなあ」


 訳の分からないことを言い出し……いや、正統な歴史の事なのでそんなことはないのだが、例えにしては壮大な話をし出した明澄に、大袈裟だなあと苦笑しながらバッグを持ってリビングに立ち寄った。


「いえ、それくらいに足るということです。私の内なる秀吉もおかんむりになることでしょう」

「左様で」


 庵も逆の立場で、明澄が作ってくれたお弁当を忘れたら大変な後悔をするだろうし、その時は恐らく出先から全力で自宅に戻るはずだ。

 食い下がる明澄に頷かざるを得なかった。


 心の中で内なる秀吉ってなんだと思いつつ、庵は予約のためにリモコンをエアコンに向けていた。


「あ、庵くん、」

「なに?」


 リモコンを掲げていたところ、いつの間かそばに居た明澄が、「ネクタイ曲がってますよ」と、なぜかどこか邪悪さを孕んだ微笑みをしながら手を伸ばしてきた。


 しかし、明澄のネクタイを直した手前、自分のものがおかしくては体裁が悪いので、洗面所でしっかり整えてきてある。


 だからあまりにも怪しくて、思わず一歩引いた庵は結果的に明澄の手を躱す形になった。


「いや、そんなわけ……不服そうだな?」

「……わたしが……です」


 何を思っての行動か測り兼ねて怪訝そうに見やる庵から手を引っ込めた明澄は、口をとんがらせながらボソボソと言いつつ、しょんぼりと肩を落とす。


「ええっと……?」

「ああいうの、私がやってあげたかったんですもん……」

「なるほど、そういう……」

「ちょっとした憧れだったんですよね」


 ネクタイを直すと言えば、男女の服装の傾向から女性がしてあげることが多いだろう。そういった微笑ましい男女のやり取りに、憧憬を持つのは誰しもが通るものだ。


 聖女様なんてあだ名を付けられているから、俗世的なものに興味が無さそうなに思われる明澄だが、女子らしい望みがあることを庵は知っている。


 それに庵にだって憧れるシチュエーションはいくつかあるし、是非明澄に叶えて貰えてればという気持ちもあった。


 しょうがないなぁと、庵は肩を竦めて明澄の頭に手を置くと、こちらを見上げたので「これな」と摘んだネクタイを見せて……。


「学校とか行けば色々緩めたりするし、もしかしたらカッコ悪くなってる時もあるからさ。その時は直してもらえるか?」


 ちょっとだけ白々しい言い方で、にっ、と笑いかけた。


「庵くんって、よく制服着崩してますし、わざわざ直してもいいのですか?」

「確かに。……でも、そうだなぁ。今日は特別に一回だけな?」

「じゃあ、今日はどこかで。あ、あとこれからの朝とかは……?」

「欲張りだなぁ」

「庵くんのことくらいは欲張りになってはダメですか?」

「まぁ良いけどさ。でも、それは俺も明澄に求めても良いってことだよな?」


 明澄が欲張る分くらいは、庵だって要求してもいいだろう。

 寝室ではもしかしたらと、ちょっとした後悔もあったわけで。


 流石に極端なことはしないが、じりと寄ってみれば「え、えっと……」と明澄がびくりと怯んだ。


「そんな取って食ったりしないって。ただ、俺は放課後デートとかしたいなぁってだけだよ。これが俺のちょっとした憧れだな」


そんなにこのへたれにビビらなくてもいいのに、と思いながら、そっと庵の憧れを一つ伝える。


「え、……」

「え、なに……?」


 少し固まるように明澄がまじまじとこちらを見やるので、変なこと言ったかと、庵もまた固まった。


 これまで普通の学生生活とは縁がなかったし、明澄を想うようになるまでは彼女と放課後に街に繰り出すとか夢見たことがなかったので、最近出来たやりたいことの一つだったりするのだが。


「あの、そんなことで良いんですか?」


 どうやら嫌がったり変に思ったわけでなく、明澄は拍子抜けした様子だった。


「そんなことって、俺にとってはデートに誘うのもまだ恥ずかしさあるんだけど」

「もう……庵くんは、控えめ過ぎです。それくらい私だってしたいですよ?」

「だって、手を繋ぐとかハグとかやってきたし、それは今後普通にやることだから、憧れって言ったらそういう感じかなって思ったんだよ」


 他にもあるけれど、それはまだ関係を進めてからだろう。いや、他に望むのはそれ自体が関係の進展なのだが、やはりまだ手とか腕とかで抱きしめて明澄と触れるくらいが限界だ。


 庵は一生でこれきりの恋愛にするつもりなので、多少はゆっくりでもと考えている。

 以前のように待たせ過ぎるのは良くないが、いずれタイミングが来るだろう。


 だから控えめと言われても仕方ないのかもしれないが、明澄には色々あったし大事にしたい。


 明澄には「もう少し変化球かと」とくすりと笑われてしまったが、今はそれでも構わないと思うくらいにはこの緩やかな距離感が気に入っている。

 無理に慌てることなどないはずだ。


「でも、時間が合えば制服デートはしたいですよね。前に一緒にお出掛けしましたけど付き合ってからはしてませんし」

「そうだな。夏前だから忙しいけど、どっかで時間作るよ」

「はい。楽しみにしていますね」


 日取りはきめていないが、立派な約束だ。

 デートの予定があるというだけで明澄は分かりやすく機嫌良さそうにして、絡むまではいかないが庵の腕を取った。


 まだ部屋の中だが今日からは手を繋いで登校することになるのだろう。それも「これもやりたいこと?」と、思ってそのまま聞けば――


「デフォルトにはしたくありますね」


 と、堂々と言い切った明澄は柔く、はにかんだ。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 カクヨムにはあとがきがないので、ここで。

 最近、ちょっと書籍化の作業とかで更新遅れてるので、もしかしたら暫くは投稿頻度とか文字数が少し落ちるかもです。

 カバーイラストとか、口絵とかものすごくいい感じなので、その分は公開まで楽しみにしててください!

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