第124話 聖女様と朝ごはん
トンットンットンッ、とやや低めの音を立てるキッチンには、フライパンを振るうエプロン姿の庵が居た。
持ち上げたフライパンの取っ手をもう片手で叩いた振動によって、ぷるぷるした卵を丸めていく。
いわゆるオムレツだ。
菜箸で最後にくるっとひっくり返してやれば、綺麗に整った黄色い肌が現れる。それをウインナーが乗ったお皿に盛り付けて、朝食は完成した。
「出来たぞー」
いい出来具合にるんるんとしながら明澄が待つダイニングテーブルに持っていく。
テーブルには既にインスタントのオニオンスープとトースト、オレンジジュースが並んでおり、それぞれの席の前にオムレツの皿を並べた。
「ほんと庵くんの作るオムレツは綺麗ですよねぇ」
「ありがとう。もちろん味も保証するぞ」
二人で手を合わせ、フォークに刺したオムレツに目をやる明澄は感心しながら口に運ぶ。
祖父母の店で手伝いをしていた庵は料理の奥深さを知り、料理男子としての一面がある。
それ故に、彼女にご飯を作ってあげると言うのは密かに庵の中で好きな事の一つで、今もほっぺをとろけさせている明澄をにこにこと見守っていた。
「しかし、これだと二学期の文化祭とか引っ張りだこになりそうですねぇ」
スープが入ったカップを啜った明澄が微妙な顔付きで呟く。
「あれ、まだ何するか決めてないよな?」
「実はうちのクラス、模擬店をやりたいって意見が多いみたいで」
「なるほど。既定路線なのか」
以前よりマシになっているとはいえクラスメイトとの交流が僅かな庵と違い、明澄には人が寄って来るから情報を集めるのが中々に早い。
女子が結束しているクラスなので、それもあるのだろう。
実の所、学校の情報や噂については同性の奏太よりも明澄から得る方が多かった。
「なので、私もですけど庵くんもきっと調理係兼指導係になると思います」
「そっかあ。去年は当日サボったし、今年は流石に協力しとかないとな」
仕事が忙しいので学校行事は休みがちな二人だ。
昨年は人手がほとんど要らなかったこともあり、明澄も悪びれもなく休んだため「ですよね」と苦笑いしていた。
前年も同じだったクラスメイトも結構いるから、二年連続となると印象が悪い。
今年からは恋人同士だし二人同時は尚のことだろう。
「今年も展示だと楽でいいんですけどね。劇とか演奏とかのステージ系よりは模擬店の方がマシですけど」
「模擬店嫌なのか?」
「だって、庵くんの良い所がバレるじゃないですか」
「良い事だろそれは。別に持て囃されたいわけじゃないけどさ」
「庵くん、モテそうなところが怖いんですよ」
模擬店をやるのなら、料理が上手い庵や明澄は必然的に望まれる。
その活躍によって日の目を見てこなかった庵のスペックが露になれば、時代柄珍しくは無いがやはり料理が出来る男子は目立つだろう。
奏太ほどではないとしても、容姿も良いとなれば尚更だ。
明澄にはそれなりに憂慮する事なのか複雑そうにするので「彼女持ちだぞ?」と返したら「彼女持ちだからです」ときっぱり言われてしまった。
庵には分からない感覚だ。
奏太曰く、女子は怖いぞ、との事。
謎ではあるが知りたくない気持ちが一瞬で湧いてきた。
「やきもちさんだなぁ」
「……だって、そんなの、……当たり前です。初めて好きになった人なんですから」
からかうくらいのつもりだったのだが、空になったコップをいじりながら上目遣いに素直に首肯して、明澄は頬を朱色に染める。
「そういう可愛らしいところは俺も人に見せたくは無いかな」
「……ほんとそういうところですっ」
コップが空になったので、継ぎ足すために冷蔵庫に向かいながら流し目を向けつつそう零せば、ご機嫌を斜めにしながら席を立った明澄が付いてくる。
道中、背中をコップの底でコツコツとつつかれもした。
「でも明澄に勝てるって思ってる女子は中々いないだろうし、心配しなくたって良いと思うけどなあ」
キッチンにコップを並べ振り返って声をかけると、「でも、私より可愛い子はいますし」なんて、明澄は不安そうに反論してきた。
明澄にベタ惚れしている自覚があるので、気にすることは無いと自分では思う。
ただ、最近こんな感じのやり取りが続いているし、明澄にとって深刻なものなのだろう。事務所とか知り合いがいる場ではなく、それが学校という沢山の生徒が生活する所ともなれば尚更かもしれない。
「それは俺の主観では関係無いことだよ。一番以外は持ち合わせてないし」
「なんか分かりづらいです」
「明澄以外に気を取られることは無いってことだよ」
「もちろん庵くんがそんな軟派な人じゃないのは知ってますけどね」
でも気になっちゃうものなんです、と明澄が肩を落とすので、少しだけ口元を寄せた庵が「証明はするつもりだから」と明澄の頭を優しく撫でてやれば、気が収まったのか無言で頷く。
落ち着いてからコップにジュースを注ぎ入れていると、ぎゅっと後ろから抱きつかれた。
布が少なくなった分柔らかい感触がするし、オレンジジュース以外の甘い匂いもして、オマケにこんなに可愛いらしいことを言われたりやられるんだから、そりゃ目なんか離せるわけがないのだ。
とくとく、とする音は注ぐ音か、心臓の高鳴りか。
きっと庵の背中に張り付いた明澄が知っていることだろう。
「ご飯冷めちゃうぞ」
「庵くんの体温は上がった気がします」
「誰のせいだよ」
「私のせいだと嬉しいです」
「じゃあ喜んで下さい」
二人分注ぎ切っても明澄が離れてくれないので困り果てるが、それでも抱き付かれたままだった。
こんなにされるとおかしくなりそうというか、寝室でのこともあったので、考えるな考えるなと欲望を押さえつけるために、お腹に回った細い手をゆっくり解いていく。
くるっと半回転して、「ご・は・ん」と言っても、チャンスとばかりに今度は正面からひしっ、と庵の胸板に飛び込んできて為す術は無かった。
「まだ朝なんだけどなぁ」
どうしようかこれ、と力無く庵は呻く。
「じゃあ、帰ったらもっとしてくれます?」
そうやってシャツを握る手を強めて、銀髪を揺らす明澄に見つめながらお願いされると弱い。
遠慮なく甘えてくるようになった聖女様に勝てるはずなどなく、「今でも夜でもすきにしてくれ」と庵は諦めた。
その後、すっかり冷めたオムレツとトーストを温め直すのだが、朝の恒例になるんだろうなぁ、と思いながら電子レンジを二人で見つめていた。
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