第3章
第123話 聖女様のモーニングコールとネクタイ
「ふあぁ〜」
カーテンの隙間から朝日が差し込むベッドの上。
寝転んだまま庵は、ぐいーっと伸びてあくびをする。
時刻は七時過ぎ。
昨日の帰宅後に明澄とライブの話やら何やらで色々盛り上がってしまったのでゆっくりめのお目覚めだ。
これ以上は瞼を持ち上げるのも億劫だし、もう少ししたら朝食の支度でもしようと再び瞳を閉じた。
鳥のさえずり、開けた窓からの風、布団の熱。
緩い時間に微睡む中、部屋の外でがちゃりと鍵の回る音が微かに聞こえた。
「庵くん、起きてますか?」
数秒後ノックがされて、柔らかな声と共にドアの間でちらりと銀髪が揺れる。
「……起きてます」
「全然目が空いてませんよ?」
「確かに明澄の足しか見えん」
声が近くなったのでベッドを覗き込んでいるのだろう。
視界には白雪を思わせるすらりとした足と制服の裾が映るくらいで、会話の途中で半分ほど目が開いてくると胸から上にかけた部分が追加され、艶のある銀髪が枝垂れていた。
「今、何時?」
「七時十分です」
「……ん、起きるか」
「寝てても大丈夫ですよ? 朝食作って待ってますし」
「俺が作る。というか作りたい気分。だからお皿とフライパンを出してくれてるとありがたい。ちょっと待っててくれ」
まだのんびりしていても全然間に合う時間だが、今日は庵の担当でもあるし、上半身を起こして男として色々不味くないか確認しながらベッドから足を下ろした。
やっと視界も定まってきて、愛しの彼女と目が合う。
もう衣替えも済ませたのでブレザーではなく、先日まで着ていたベストも脱いだ半袖の夏服姿だった。
黒いタイツをいつも着用しているが、今日はニーソックスと足元も軽やかだ。
好きな女の子にはあまり肌を露出した姿や、明澄のメリハリのある肢体をさらけ出して欲しくは無いのだが、制服に口出すのは校則への挑戦である。
言っても仕方がないので口を噤んだ。
軽い装いでも保たれた上品さとその爽やかさから来るエネルギッシュな印象がとても良い。庵の好みだ。
贅沢な朝だ、と感じつつ明澄のいつもと違うところに気がついた。
「今日はネクタイなんだな?」
明澄のブラウスの首元はいつものリボンではなくネクタイだった。
庵たちが通う高校では、女子の制服はスカートとリボン、ネクタイがそれぞれ二種類ずつ採用されている。
普段はリボンを好んでいるので、恐らく明澄のネクタイ姿は見たことが無かったはずだ。
「たまには良いでしょう? それに庵くんとお揃いにしたくて」
気付いてくれたからか、嬉しそうな明澄がネクタイをアピールするようにネクタイに手を当て、いじらしいことを言った。
この制服は自由度が高く進学理由の一つに上がるほど人気だが、進学してから更にその良さを知れることでも有名だ。
交際している男女や片想いでも女子ならひっそりと好きな相手に制服を合わせられることから、それは盛んに行われているのだった。
朝からあまりに可愛らしいことをしてきたので、思わぬダメージが庵に入った。
「やっと起きたのに俺を眠らせるつもりですか?」
「お気に召しませんか?」
「とんでもない。嬉しくて、今日は開放的にノーネクタイにしたくなるね」
「それは意味なくなっちゃうじゃないですか……やっぱりリボンにしましょうかね?」
じとーっ、と明澄が目を細めてきたので「冗談だって」と宥めにかかる。
機嫌を損ねると本当に実行する性格をしているから、あくまでも冗談に留めておく必要がある。
「凄く似合ってるしネクタイ姿もカッコ可愛いし、良いなと思ってるよ。今日は合わせていこうか」
「もう調子いいんですから。早く着替えてきて下さい」
本音も伝えておくと、明澄はやや頬を赤らめつつ、ふい、と顔を背けた。
こんなことで絆されるのが癪に障るとまでは言わないでも、庵に甘いところを自覚しているが故のことだろう。
それににやけそうになったのを誤魔化したのだ。
そのまま「じゃあ、待ってますから」と、明澄は部屋の外につま先を向けたが、「ちょっと待って明澄」と彼女を引き止めた。
「なんです?」
「動かないでくれ」
傾げた明澄にそう言いながら、目と目の距離がほんの十センチもないくらいにぐっと近付いて顔を下向ける。
身長差が庵と明澄では頭一つ分ほど違うのと、まだ寝ぼけから目がしぱしぱするのでソレを見やすくするためであって、もちろん悪さをしようという意思はない。
「え、あのっ。ひゃっ……!」
それから肩に手を伸ばすと、明澄は驚いてしまってきゅっと唇と瞼を強めに閉じて固める。
内心であわあわとしているのが伝わってくるほどびくついていて、多分もう少し次の言葉が遅れていたら庵は勘違いした明澄に突き飛ばされていたことだろう。
「ネクタイズレてるから直すな?」
「……あ、はい……お願いしましゅ……」
慣れないネクタイだからか、少しだけ明澄のネクタイが歪んでいたのだ。身なりには気を使うし細かいところまで行き届かせる明澄にしては珍しい。
だからこそ、気付いたからには直してあげようと思ったのだ。
寸でのところで勘違いせずに済んだ明澄は、気が抜けるように弛緩しながらさっきよりも耳と頬を赤くして、庵の申し出を受け入れた。
本人は明澄の気も知れないで、きつい傾斜に沿うネクタイをそれに触れないように手に取り、普段の要領とは違うが一度根元を弛めて、綺麗に結び直す。
「よし、綺麗になった」
「あ、ありがとうございます。お手数をおかけしました……」
再び安易に手を当てないように元の位置へ戻しこりとした庵に、目を合わせず明澄はこくりと顎を引く。
だが、少ししても明澄が動かなかったので、「もういいけど?」と庵が告げたところで、明澄が顔を上げた。
「あ、あの! 庵くんっ。今のびっくりしたんですからね!?」
「……あ。ご、ごめん!」
距離を取るどころか明澄は、半歩前に出て踵を僅かに浮かせて庵に訴えた。
そこで庵はやっと気が付く。
心地よい風に靡くカーテンから朝の日差しが穏やかな空間を演出しているし、それとなく悪くない雰囲気はあったから勘違いさせる一歩手前だったと察した。
あまりに軽率だったことを恥じるように庵は詫びた。
「もう、気を付けてください。そのナチュラルに危ないモノを洗面所で削ぎ落として来てくださいね。そうじゃないと、私がもたないです」
「ほんと……なんて言うか……申し訳ない」
ちょっとだけ怒りはしたものの、明澄は嘆息してそれほど咎めはしなかった。
もしそうだったら結果的には突き飛ばしたかもしれないが、ミクロほどでも期待したというのが無くもないからだろう。
「……で、ではっ。準備して待ってますからっ」
赤くなった庵が再度謝ると、明澄はそう言い残して逃げるようにドアの向こうへ消えた。
(さっきもしかして……逃したのか?)
申し訳なく思っていたが、明澄の反応から見るにそんな考えが浮かんだ。
奥手でも望まない訳では無い。だから庵だって期待する。
しかし、いやいや早過ぎるだろ、と庵は直ぐに思いを正し、邪悪な思考を振り払うようにベッドに倒れ込んで顔に手を当てた。
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