第121話 氷菓の誕生日 後編

『氷菓へ。いつもありがとう。デビューしてからすぐ声を掛けてもらって企画とかだったり、配信の世界に呼び寄せてくれて、今日まで楽しい毎日を過ごしています。イラストレーターかんきつが飛躍したのは間違いなく氷菓あってのものです。悩んだり間違ったり失敗もあったけど、一緒に色んなことを経験させてくれてありがとう。だから本当に氷菓のママで良かったです。誕生日おめでとう。あなたが繋いでくれた縁がきっとここに。これからの活躍も見守っています』



「わァ…あ…」

「泣いちゃった。良いんだけど、いくらかんきつ先生からのメッセージが尊すぎるからって鳩ちゃんが泣くのおかしくない!?」


 ライブの途中、突如静かに泣き出した鳩がいた。

 歌唱パフォーマンスの間に設けられたメッセージコーナーで、庵(かんきつ)からの音声でのメッセージが流れるや否や、彼女の方が感極まってしまったらしい。


 だばーっ、と一人だけ無言で泣いている異様さには、澪璃を初めとして一同引き気味だ。


「こんなんされたら泣けないよね。うん。まぁ、でもエモいのも分かるからね」

「縦読みにしたら愛のメッセージとかにならんかな」

「いいなーそれ。後で、待って手震えるんだけど!? 展開待ってます」

「音声を縦読みは害悪が過ぎるだろ」

「あのー私ここで泣く予定だったんですけど? 先輩が泣いちゃうから泣けないじゃないですかー」


 もうっ、と怒ってる振りをしながら明澄がそう突っ込むと、大きな笑いが巻き起こる。


 ただ、泣けないと言う明澄だがリスナーたちに実際に見えていないところでは、目の端にうっすらとだけ濡れたかどうかというくらいの跡を本人だけが知っているが。


「……ま、まぁ、気を取り直して最後の曲に行きましょう……と、その前に私から今後の活動について大事なお知らせでもしましょうか」


 本当はメッセージに触れたかったのだが、彼女以上の反応は出来ないのでもう諦めたように明澄は声のトーンを落としつつも、ステージの前に立った。

 

 メッセージコーナーはクライマックスではなく、ここからがある意味このライブの本命だ。


: お知らせ?

: 今後の活動についてってなんだ?

: あーはいはい。うかんきつのご結婚ですねー!

: 休止とかじゃないよね……

: 最近配信減ってるからなんか怖い

: 結婚だろ!?

: いやもうFlagsから減らないでくれ


 チャットのリスナーたちは真面目な雰囲気を察してか、やや混乱気味なコメントが目立つ。


 今後の活動について、なんて言われたらびっくりするのは当たり前だ。


(これかお知らせって言ってたやつ)


 配信を見ていた庵は家を出る前に明澄が残していったことを思い出していた。


 先日のリハーサルでも庵に隠していたと思われるが、詳細を伝えなかったのはここで宣言することに意味があると取れる。

 それはきっと明澄――氷菓の転換点になると庵は予感していた。


「あの。3月頃から配信が減ってると思うんですけど、それからお話します。話せない内容もありますし、話したくないこともあります。なのでそれを前提に聞いてください。それと今まで心配する声があったのに、詳しいことを伝えないままでごめんなさい」


 少し下がった位置から澪璃たちが優しげな表情で見守る中、明澄は滔々と切り出して軽く頭を下げる。


 突如として配信スタイルが変わったのに何も発信がなかったため、掲示板やアーカイブのコメント欄、SNSでの呟きなどで憶測と共に心配されていた。


 だから、応援してくれているファンへの義務を果たすつもりで、この場できちんと皆の不安を解消する決断を明澄は下したのだ。


「……私はある理由から配信に逃げて来てました。配信は好きですし嫌でやっていたことは無いですけど、でも皆さんに見せない私はとても弱かったんです。だから配信を沢山して紛らわせていて、それ故の配信狂いみたいな一面があったと思います」


 両親から愛せなくてごめんなさい、と言われたことや自分が嫌いで違う存在になりたかったという想いがあったことを上手くぼかしながら明澄は告白した。


 これは明澄にとって、氷菓にとっての核心だ。

 庵や澪璃には打ち明けているが、たとえ断片的だったとしてもそれを大勢のファンやリスナーに伝えるというのは勇気がいる。


 自分の弱さを認めて前に進むことの重みや痛みを感じながら、明澄はマイクに言葉を送り込んでいるのだろう。

 声には僅かな震えが見られた。


「でも、それはもうしません。周りに居てくれた人のおかげです。それでも弱い私が居ないとは言えません。だけど、頼れる人や頼っていいと知ったこと。私を認めてくれる人がいたり自分で認められるようになったから、私はきちんとここでお別れをします」


: 辞めないで

: え、

: やめないで

: え、やめるの?

: やめないでくれ

: 頼む卒業は!


「あ、ああ! 違いますっ。やめません、やめませんよ! 紛らわしい言い方してすみません!」


 言葉足らずから一瞬誤解を産んでしまったようで、チャット欄には悲観的なコメントが流れ出し、明澄は慌ててブンブンと大きく首を振って否定した。


 温めている企画は数知れず、オリジナルの楽曲とかも作りたいし後は絶対にかんきつを3D化させたいので「寧ろ、辞めてなんかやるものですか」と、明澄は息巻いて見せる。

 まだまだ明澄にはやりたいことが沢山あるのだ。


「そ、それでなんですが。三月頃までやっていた週に六日ほどと土日二回行動の配信スタイルを大きく変えています。これからは週に三日くらいにして、余裕がある時は朝に準備をしながらの配信とかも予定してます。これは私の時間を大切にするためです」


: おお、朝活か!

: うかまるの朝活好きなんよね

: 通勤者にありがたい

: 朝活きた

: やりたいようにやってくれ!

: うんうん

: 自分を大切にできてえらい!


 それを言い切った声音と表情には強い決意が乗っていた。


 また、庵には最後の一言に全てが詰まっているように受け取った。庵だけには別に伝わるメッセージとしても機能したのだ。


 先日、お互いに忙しいから今まで以上に時間を作れるようにする、というやり取りを交わしているし、夜の配信を減らすという選択からその意味を含んだものだと断言できる。


 大事な配信とプライベートを天秤に掛けた上での判断だから恋人として嬉しいことこの上ない。


 ただ何より、かつては自身と氷菓を異常なまでに切り分けて考えていた明澄が、線引きや区別を付けながらもきっちり自分の意志を持って活動スタイルの変更をしたのだから、庵には感慨深くてしょうがなかった。


(あーずるいわ……、そんなの泣いちまうだろ)


 もう配信に逃げるようなことはしていないし、既に行動には現れていた。でもしっかりとこの場で宣言をすることで彼女の変化は完結する。


 キャラデザを手がけたイラストレーターとして、一ファンとして見る応援してきた彼女の成長と、恋人としての思い遣りに、両手に抱えきれない花束を貰ったかのような幸福を味わえたのだ。


 庵から見る画面は数瞬の間に少しだけ滲んでいた。


「それからなんですが。リスナーの皆さんに色んなものをお届けしたい気持ちはずっと変わってません。だから配信を減らす代わりに、時間に融通が利かせられるショート動画とか企画系の動画に力をいれたいなぁーって思ってます」


: おおー! 動画やりたいって言ってたもんね

: 踊るやつ可愛からまたやってほしい

: え、減らすどころかなんならコンテンツ充実してない?


「なので来月あたりからどんどん変わっていきます。あと、夏休みはなんか公式の方で大きな企画をやるのでそっちも併せてどうぞよろしくです。ね? 零七?」

「そうそう! 私らの夏の目玉イベントね! ちょーっと訳ありで止まってたんだけど、またアレやるから、詳しい発表までもうちょっと待っててねー」


 くるっと斜め後ろを向けば、澪璃が元気に声を張り上げながらやってきて明澄の隣に並ぶ。


 匂わされたのは過去に彼女たちがやっていたとある企画のこと。明澄に聞いた話では色々あったらしいが、氷菓に変わりがあればまた二人の関係にも変わりがあったのかもしれない。


: 公式、長期休暇、氷菓と零七。こんなの絶対、あの旅企画じゃん!

: 旅企画復活するんか

:初回のウォーキン〇デッドおじさん事件はまだ笑える

: かんきつママも連れて行ってあげて!

: また羊に追いかけられるんかな?


「と、言うわけで! 以上でお知らせになります。皆さま、本当にここまで応援ありがとうございました! リスナーやファンの皆さんがいたからこその京氷菓です! そして、これからもこのチャンネルを精一杯に盛り上げていきますので、また応援とか色々お願いします。……さて、真面目な時間は終わりです! それじゃあ、さっそくラストの曲! みんな行きますよーっ!」

「「「「「おー!」」」」」


 それまでの過去を振り切るような明るい明澄の掛け声がステージに木霊すると、女子組たちが各々腕を振り上げ一斉に位置につく。


 そして、最後だから楽しんでという意味を込めて「アンコールはありませんっ」と言い放てば、一昨年に賑わせたアニメのED曲で締めに入った。




「――ありがとうございましたー! これで本日のライブは終わりになります」


 滴る汗とステージ上の熱気、チャットで溢れるコメントの中、全力で歌い切ると画面は暗転する。

 氷菓の誕生日ライブはこれで終わりを迎えるのだ。

 そう、迎えるはずで……


「それではまたどこか「あー! ちょっと待って!?」」


 今回のグッズの販促用のページが流れる裏で、明澄が息切れ寸前になりながらも締めの挨拶をしていたのだが、相棒兼親友が突如として割り込んでくる。


「え、なんです?」

「おい、百万人行くぞこれ」

「このタイミングで!?」

「は、始まる前まで二万人は余裕ありましたよね? あと三千って……」

「トレンドのせいじゃーん。誰だ勝手に『氷菓100万人ライブ』とかハッシュタグ作ったやつ」


 曲も終わりライブが最高潮に達した頃、人知れず動いていた数字がフィナーレを飾ろうとしていた。

 そして、ライブはアディショナルタイムに突入する。


 おまけにつづく。

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