第120話 氷菓の誕生日 前編

「努力はした。後悔も無い。準備もしたし全部確かめた。補給もした。だから天命はいらない。……よし振り絞れ、水瀬明澄」


 静かな空間に一人、明澄は緊張する自分へ言い聞かせるように、淡々と口に出す。

 そうして――ぱん、と肌を叩く音がすれば。


           # # #


 それは凪いだ湖面に水滴を落として出来た波紋みたく、期待と興奮という熱が広く伝播するように始まった。


 暗転した画面から特別仕様のタイトルロゴが表示されて、今日のために用意されたオープニングムービーが流れる。


 少し間を置くと、少し前に流行った恋愛の悩みを歌ったボカロ曲がかかって、まるであらゆる重みを忘れ去ったかのように軽やかで涼しげな氷菓の歌声が響く。

 それから更に画面が切り替わると、青色主体の豪奢なステージを背に特別なライブ衣装を身に纏った氷菓が現れた。

 静かに頭サビを歌い切ってから氷菓はイントロと共に踊り出す。


 同時にコメント欄は爆発的な加速を開始して、チャンネル専用のスタンプやサイリウムの絵文字が飛び交っていた。


: 来るぞ

: ¥10000

  うかまるお誕生日おめでとう!

: おめでとう!

:うおおおおお

: HK$50.00

 お誕生日おめでとうございます! ライブに楽しみにしてました! 今日はうかちゃんもいっぱい楽しんで!

: お誕生日おめでとう!

: メンバー歴15か月

  Happybirthday!!!

: かわいい! 衣装可愛すぎる!


「おお、きた……!」


 リビングのソファで寛ぎながらライブを待っていた庵は、ノートPCからミラーリングしたテレビからそれが映ると、ぴんと背筋を伸ばし部屋の証明を落として、もう一度ソファにもたれ込む。


 待ちに待った娘の晴れ姿で、また恋人が努力を実らせるステージだ。瞬き厳禁と意気込んで視聴の為の万全の体制を整えた。


 伸びるように響いていく声。可愛くもキレのあるダンス。先日のリハーサルの時よりも完成度が高いように感じるのは気の所為ではないだろう。


 曲が終わるまでの数分間、庵は食い入るようにテレビを見つめているが、いつものようにコメントやスパチャしている暇など無かった。


「はーい、皆さん! こんうかー!」


 歌い終わったあと、一度暗転を挟んでからオープニングの口上に移っていく。


「というわけで、京氷菓の誕生日3Dライブにようこそ! はーい、ありがとーっ! ありがとーっ! ハッシュタグは『京氷菓爆誕2024』でございます。是非にいっぱいつぶやきと拡散して下さいね!」


 元気いっぱいに手を振りながら笑顔も振り撒いては、息を切らす様子もなくすらすらーっと進行を務めているのは大したものだ。


 初めてライブに参加した頃は歌と踊り一曲だけでフラフラだったらしく、明澄は日頃から筋トレや体力を付けるための運動を行っている。

 積み上げられた努力は相当なもので、裏側を知っている庵はこの時点でちょっと嬉しくなってしまうくらいだった。


「それでは早速、次の曲に参りましょう! ここからはゲストも参戦ですっ! まずは一人目、零七から!」

「どうもー、おはやー。ぷろぐれす所属の超癒し枠清楚可憐、泣く子も惚れる零七ちゃんでーす」

「はい、戯言ありがとうございます。そして、もう一人。公園鳩先輩!」

「は、鳩でしゅっ!」

「先輩噛んじゃったけど、ではでは、もう行きましょー!」


: ゲスト嬉しい!

: 鳩ちゃんおるんやー! てか緊張しすぎやろ笑

: うかんきつには絶対近づかないのに、ママいないから出て来たな

: ぜろさまの口上何ひとつとして嘘でしかないのなんなのよw

: ハレのひ来た!


 ゲストの紹介のあとクールダウンする間もなく、二曲目として近年のヒットチャートを賑わせる二人組j-popアーティストの定番曲が流れ出す。


 和やかな雰囲気がスッと消え『ハレのひ』とユニットを組む三人は、低く格好良い歌声を会場に披露した。


           # # #


「……はぁはぁ、ふーっ……ちょっと疲れましたね! なのでゲストも出揃いましたし、ここでグッズの紹介タイムになりま〜す!」


 ライブも中盤を超えると流石に息が上がってくるようだが、明澄は身振り手振り愛らしく立派にアイドルこなしていた。


 ステージには氷菓を中心に零七、鳩、夜々、カレンと、五人が並び立っており、セットリストにある九曲の内、既に五曲目まで来た。

 周りを見渡せば分からない程度に汗を拭う面々が居て、明澄も服の中はかなりだくだくだ。


(……少し飛ばし過ぎたかもしれませんね)


 緊張を吹き飛ばすために通常の三倍くらいのテンションでライブに挑んだからか、流石に張り切り過ぎたらしい。

 明日は声が枯れたり身体中が痛くならないことを祈るほか無かった。


(まぁ、そうなったら庵くんに甘えてしまいましょうか)


「いやぁーそれにしてもヤバいねー。このダウナー美少女の零七ちゃんも久しぶりにぶち上げちゃったよ。ヘトヘトだー。ね、鳩ちゃん?」

「そうですか? わ、私はまだ行けますよ。後輩のお誕生日ライブですし」

「あー、鳩ちゃんは体力オバケだからなぁ」

「昔は貧乏過ぎて毎日、磯とか山で食材探してたくらいだしねー」

「あのー、グッズ紹介をしたいのですけどー?」

「めんごめんご(でもしんどいでしょ。今のうちに息整えちゃって)」


 休憩中だからか各々勝手に話し出してまとまりの無差を発揮したように見えたが、澪璃が手を合わせて謝るフリしながらコソッと真意を明かしてきた。


 進行にそんな予定は無いのだが、他が勝手に話している間は息が付ける。

 そんな気遣いにありがたく思って、明澄はこくりと頷き休ませてもらう。


 しかし、こういう時の親友の察知能力は感心するばかりだ。それが彼女のゆえだとしても。


「――グッズすごかったですっ! 全部まとめて二十セット頼んじゃいたいくらいです」

「え、フルセットで一万超えてますよ!?」

「お前また貧乏になるぞ」


 グッズ一式は、アクリルスタンド三種、ハンドタオル、Tシャツ、ストラップ、ステッカー四種、と豪華なラインナップで揃えようと思えばかなりの金額になる。


 うかんきつ推しの姫乃だがもはやオタクとして磨き抜かれた一匹の鳩は、この手のグッズに見境がない。

 因みライブに先駆けて先行販売されていたが、ひっそりと庵はフルセット一式とランダム封入のアクリルスタンドとステッカーに至っては別で十セット予約済みだったりする。


「その時はわたしが養ってあげるよ。というか一緒にサバイバル生活しよ。なんなら運営に頼んで無人島生活企画やってもらうのもありかもね」

「あれは絶対駄目。あんたらあれのやばさ知らないでしょ。アタシ、天使なのに地獄見たからね」

「まぁ、その辺は和倉おじさんが詳しいからな。というかあの人後ろでなにやってんの。ずっと画面から見切れて座り込んでるじゃん。しかも、ライブ中ずっと謎のダンスでバックダンサーさせられてたし」


 スタッフによってグッズが回収されるのだが、それも回収した方がいいのでは無いかと思うくらいに後方には、へたりこんだ四十路のおじさんが一人いる。

 目を配らせると、若干青い顔でサムズアップで返してきた。


 ライブには呼んだが一緒に歌って踊ると言うよりは、明澄がスタッフと盛り上がった結果おふざけ一辺倒でめちゃくちゃさせているので、申し訳ない気持ちだ。

 スタッフと共にやらせた組体操のサボテンはやりすぎだったかもしれない。


「本当は汎用の黒子3Dで別撮りしてママを踊らせようとしたんですけど、流石にダメって言われたので代わりに」

「そりゃダメでしょ」

「なんならここに呼ぼうともしたんですけどね」

「そんなことしたら鳩ちゃんしんじゃうよ」

「は、ひ。うかんきつが目の前に揃った日には卒倒する自信しかありませんっ」

「何度も尊死してきたオタクだ。面構えが違うね」


 さらっと庵が聞いていない恐ろしいことが暴露される。この後に披露されるメッセージ動画には参加したが、無理やり3Dを使うのはラインを超えている。

 画面の向こう側にいる庵は、ぷろぐれすのスタッフがまともで良かったと安堵している頃だろう。


 何せ明澄はそういうことに関しては容赦がない。いずれ公式番組に呼び寄せようとしてるくらいだ。


(ふふふ。絶対に引きずり出して差し上げますので)


 彼が3Dの身体を手に入れた時が楽しみに思いつつ、いつかきっと同じステージに立つこともまた夢見ながら悪い笑を浮かべた明澄は、ライブ後半へと挑んでいった。

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