第119話 2つの通話

 スマホで動画を見ながら夕食の支度をしていると、そのスマホが震えた。

 今夜は明澄が食卓に居ないので久しぶりに一人分だけとあって、妙な寂しさを覚えていたのだが、それを察するようなタイミングだった。


 通知には『奏太』とあったから、恐らくこの二日間なんの音沙汰も入れていなかったことに起因した連絡だろう。


 手が汚れているので「通話を繋げて」と音声認識で、カルパッチョ用の鯛を包丁でそぎ切りをしながら庵は電話に出た。


「もしもし?」

「あーもしもし、庵ー?」


 背後に聞き慣れたがやがやとした音がするので学校のどこかからかけているのだろう。

 二日ぶりの声に「よう」と反応すれば「繋がって良かった」と安堵の声がスピーカーでキッチンに通った。


「電話なんて珍しいな」

「だね。それで首尾は?」

「色々あったが丸く収まった。心配掛けたな」

「大丈夫だろうとは思ってたよ。うん、良かった。詳しい話はまた学校で聞くよ」


 多くを聞いてこないが大方察せられたのだろう。様子だけ確認しておこうくらいの感じだった。

 その分、根掘り葉掘り聞いてやるぞという気がしなくも無いが。


「そういや包丁の音がするけど、晩御飯の準備中?」

「ああ。絶賛、カルパッチョ作りに勤しんでる」

「へーいいね、じゃあ水『ねぇ! そこに明澄は居るの?』ちょ、ちょっと胡桃!?」


 会話の途中に胡桃が入り込んできた。

 電話中の奏太のスマホを自分の元に手ごと引き寄せている光景がありありと浮かぶ。


 切った鯛を盛り付けながら「何やってんだお前ら」と、庵はスマホの向こう側に呆れた。


「で、明澄はいるのかしら?」

「いんや、外出中。ちょっと用事があるらしくてな。夜には帰ってくる」

「そうなのね。いつもは既読速いのにメッセしても何にもないから、てっきりいちゃいちゃしてるのかと」


 胡桃にはあれから庵と明澄の関係が悪化するとかは頭にないらしい。


 らしいと言えばらしいが随分なご想像である。こちらをなんだと思っているのかと言いたいところだが、昼頃までの話なら何も間違っていないのは事実だ。


「まぁ明澄が出かけるまではな」

「うえ!?」

「おお?」


 適当にあしらうつもりで認めると、割とうるさ目の裏返ったような声を二人が漏らす。


「なんだよ?」

「そんなこと言うキャラだっけ? って思ってね。人って短時間でも変わるのね」

「面倒くさいから一言で済ませただけなんだが」

「いやいや、オレから見てもちょっとびっくりしてる」


 いたく驚いているようだが、恋人になったわけだし、それくらいはするというつもりで答えてたのだ。

 ただ、彼らにとって今の庵は天変地異にも感じたのかもしれない。


「そうか? 二人の言い方はともかく一緒にはいたしな。まぁ、いいだろその辺は。もう切るぞ」

「はいはい。水瀬さんにもよろしくね」

「明日、イチャついて遅刻しないようにねー」

「するか!」


 茶化してきた胡桃に怒ると共に通話が切れる。

 たった二日、三日だが、明日からあの騒がしさが戻ってくるなと、庵は苦笑しながら鯛を一切れ味見した。




 夕食の支度も終えて、リビングで溜まっていた仕事のメールを返しているところ、またスマホが震え出した。


「なんだ、また電話か」


 タブレットを置いて訝しげにスマホを手に取る。

 本日二度目は明澄からだった。

 急ぎの電話かと思って、やや内心で驚きながら通話を繋げる。


「もしもし。何かあった?」

「やっほやっほー! 妖艶可憐きゃわわな澪璃ちゃんでーす」


 心配したのだが、聞こえてきたのは澪璃のふざけた口上だった。焦って損した気分だ。


「あー、タダイマオカケニナッタデンワバンゴウハ『待って待って!』」


 腹が立つので例のアナウンスで追い払ってやろうとしたのだが、電話口で澪璃が取り乱すのが聞き取れたので途中で口を止めた。


「なんだよ。そっちは遊んでる余裕無いだろ?」

「いやぁ、ちょっとね。いおりんからパワーを頂こうと思いましてー」

「要領が得んな。具体的に話してくれ」

「あー、っとね。ビデオしていい?」

「いいけど」

「んじゃ、ほいっと」


 耳からスマホを離してビデオ通話をオンにすると、パッと画面が色付く。

 向こうでは幼さめの顔におめかしを施した澪璃が手を振っており、その端の方で明澄が見切れていた。


「ん……?」

「や。気付いた? ほら、あすみん」

「あ、あの、庵くん。さっきぶりですね」

「おう。どうした?」


 画面のはじっこから覗き込むように明澄は赤らんだ顔を現した。


 澪璃の口ぶりと聖女様の登場によって何となく状況は掴めてくる。本番まであと三時間もないし、澪璃が変な気を利かしたのだろう。


「ごめんなさい。澪璃さんが強引に」

「その割に止めなかったじゃん?」

「わ、私も別に嫌という訳では無いので」

「でしょ。お家にいてのんびりしてそうだし、やる気貰っとこ。あとあれも言っとけば?」

「そうですね……はい、そうします」


 ごそごそとあちらで二人だけの会話が展開され庵は蚊帳の外だったが、どうやら話は着地したらしい。

 明澄がうん、と一つ頷いて見せた。


「なんか分からんけど話は済んだか?」

「え、ええ。まぁ、庵くんのお声を聞くとかなんとかそういうしょうもない話でしたので」

「ライブ前におふざけ出来るくらいなら心配とか要らなさそうだな」

「こんな大きなライブはしたことないのですっごく緊張はしてますけど、大丈夫ですよ」

「ほら、あすみん。あれあれ」

「分かってますって。もう急かさないでください」

「ごめんごめん」


 ぷんすかと怒って澪璃の肩を軽く押しながら、明澄が正面に入れ替わる。


「あの、庵くん」

「ん?」

「えっと、私頑張ってきます。私変わってきます」

「そっか。存分にやればいいと思うぞ」

「はい! 今日が大きな転機になると思いますので、見届けてください。100万人もすぐそこですし」

「おーそっか、最近伸びてたもんな」

「そうなんですよ。庵くんがチャンネル初めてくらいから急に。なのでここまで来れたのも庵くんのおかげです。なのでまだまだ頑張りますよ!」


 今年何度聞いたか分からない明澄の決意表明に庵は、背中を押してやるつもりで朗らかな笑みを向ける。


 転機とやらも明澄が出る前に残したお知らせの話だろう。

 氷菓の登録者数は明澄の努力の数字だし、「大したことはしてないよ」と庵は首を振った。


「ふふふ。あすみんも燃えてきたね。じゃ、この辺で萌えとこっか。あれやろあれ。投げキッス」

「何を言ってるんですか、あなたは。やりませんよ」

「じゃあ、私がやるね。いおりん虜にしちゃうから」

「は? 辞世の句でも詠みたいのですか?」

「こわ。ということで私がライブにいなかったらそういうことで。はい、ちゅ…ぅぶべっ! ば、ばふふぃん(あ、あすみん)!?」


 にっこりとした表情とは裏腹に全く笑っているとは信じ難い冷えた声色の明澄が、投げキスのモーションに入った澪璃の口元を無理矢理押さえつけて画面の下に沈めてしまった。


 恐ろしい光景だったが庵は見ないことにして、通話を切ろうとしたのだが、


「そういうことで、んーっ。あはは……で、では〜」


 最後の最後に明澄は無理をしながら、口元から手を離すだけの投げキスもどきみたいなナニカを振り撒いて消えていった。


「なんだったんだ、あいつら……」


 本日二組目からの電話も騒がしく困惑だけが残って、庵は微妙な顔で首を捻った。

 まぁ、あれもあれで可愛らしかったが。


(今度またやってもらうか)

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