第117話 もはや社会人的な付き合い方
氷菓のバースデー3Dライブを控えた当日。
二日続けてずる休みした二人は庵の自宅でソファに並んで座り、仕事をしながら穏やかな午前を過ごしていた。
折角の二人きりの時間だが、ゲームをしたりお茶をしたり動画を見たりと、お家デートのような事をせずに仕事に取り掛かるのは二人らしい過ごし方だろう。
隣の明澄は今日の告知やらサムネイルのチェックやら、と珍しくお仕事モード。
基本的に見せてもいい作業は限られているから、仲睦まじく二人揃って仕事するというのも無く、その横顔は新鮮だった。
「……庵くん? 何か気になります?」
明澄を眺めていたところ、何度目かにしてついに気付かれてしまって、こちらを向いた千種色の瞳と目が合う。
要件があるのかそれとも作業に興味があるのかと明澄は思ったみたいだが、単に見惚れていたというのが正しい。
庵が「あぁ、いや仕事中の明澄が珍しくて」と答えれば明澄は「見惚れました?」と悪戯げな面持ちを見せてくる。
「そんなとこ」
付き合う前までは見せなかった素直さで頷けば、想定した返答ではなかったのか、きょとんとした後「ふふっ」と明澄は小さく微笑んだ。
「一緒にお仕事なんてしませんもんね」
「配信で企業案件やる時くらいか」
「ええ。でも画面越しですから一緒って感じしませんしね。これからはこんなのも悪くないかもです」
言いながら明澄が軽く庵に肩を寄せてくる。
ついでに作業を止めた明澄の手はソファに向かい、降りた先が庵の指先だったらしくちょこんと当たってそのまま僅かにだけ重なった。
ここ最近は手を繋ぐなんてもう当たり前で、自然過ぎる一部始終だったが明澄は仕事中に迷惑とでも考えたのか、直ぐに手を退けてしまう。
少しくらい休憩だって必要だ。ちょっとした手先のスキンシップくらい特に構わないし、それまで繋ぎたいとか触りたいとか考えなかったのに、やめられたら惜しいと思ってしまうのは性なのだろう。
「やめなくていいのに……とは言えん」
小声で庵の心の声が零れた。
「あのう、庵くん……言ってます。口にしてますよ」
「あ、」
手が離れて寂しいなんて恥ずかしいから、口にするつもりはなかったのだ。
はっとしてぱちり、と瞬きをした庵が明澄を見やると、明澄もなんとも言えない表情でこちらを見ていた。
「やってんな俺。聖女様は時間戻せたりしない?」
「戻せても戻してあげません」
諦めてくださいな、なんてにこりと降伏宣言を促されて、庵ははぁ、とため息を付く羽目になった。
「手、良いんですよね?」
「うん。まぁ」
「えと……じゃあ、……はい」
おずおずと、恥じらいたっぷりに囁いた明澄が、再び指先を重ねてきた。
細っこい指先からでも伝わる温もりは、二人に休息をもたらす。
「やっぱり、こういう作業の時間も悪くありませんねぇ」
ゆるゆると眦を下げた明澄は、しみじみと庵に笑いかける。
「あぁ、だったら気が向いた時に誘ってくれていいぞ」
「お仕事の邪魔じゃありません?」
「いや、話し相手が居る方が割と捗るんだよ。だから邪魔じゃないよ」
作業効率で言えば、週に一度だが庵も一人で配信をするようになったし、サムネとか編集とか明澄に教授してもらうこともあるだろう。
そういった意味でも隣にいてくれるのは嬉しい。
デメリットどころかメリットしかないし、特に断る理由も無ければ庵がそうしたいと願い出るまである。
二人とも仕事内容は恋人でも明かせないものもあるしダメ元のつもりだった明澄だが、そうやってあっさりと受け入れられたことに驚きながらも喜びを表すように、優しげに口元を歪めた。
「なら良いんですけど」
「あとさ、言おうか迷ったけどな。ぶっちゃけ俺ら、デートに行ったりとか諸々、恋人らしい時間があんまり取れそうに無いだろ」
「はい……でもそれは仕方ないですから」
返事にちょっぴり悲しげなものを感じ取れたが、明澄は両者の立場上、こういう交際になることを承知しているようだった。
「だから、ちょっとでも一緒に居られるようにするべきかなって」
「……ほんと、庵くんは気遣い屋さんですねぇ」
「気にし過ぎか?」
「ううん。ちゃんと考えてくれるのすごく嬉しいです」
「必要なことだからな」
仕事なんて一人でやるものだと認識していたが、こうなるとこの過ごし方が愛おしく思えるもの。
片やイラストレーター業、片や配信やらとただでさえ忙しくて二人で過ごす時間も限られる。
実際、庵と明澄は休日でも仕事で一日中部屋に籠っていることなんでザラにある。
だったら、こんな形でも恋人としての時間の取り方もちゃんと考えるべきではあるだろう。
以前までの惰性や同情、都合の良さから築いた関係なら破綻してもそれまでだが、明澄を好きである今はそうしたくないのだ。
「ご飯作ったり世話されたりお茶したり、色々やってるけど一緒にいるっつーよりは、なんか家庭持ってるみたいになってたし」
「か、家庭……」
もじ、と明澄はその単語に分かりやすく反応して頬を染める。
可愛い反応をするが、今後切実な問題へと発展する恐れがあるので、この反応も今のうちかもしれないのだ。
第三者的にはずっと一緒のように映るだろうから、贅沢な話なのかもしれない。
自宅が隣同士で半同棲みたくなっているが、あくまでも生活に組み込まれた交流なので、恋人関係としての感覚は割と薄いのだ。
「そんなわけだからさ、これからは作業とか一緒に出来そうな時は、そういう時間にしようぜ」
「……はい」
そう笑いかけたら明澄は愛おしげに庵を見つめ、はにかみながら顎を引く。
「あ、でも。お話しとかし過ぎて手が止まっちゃいそうな気もしますね」
喜びから一転、苦笑しながら明澄が案じているが確かにそれは心配ごとになりそうだ。
恋人が側に居るとつい話に花が咲くし、多少のじゃれつきだってある。
庵も明澄もお互いに対してだけは構いたがりなところがあるので、初めからそういう時間だとしても過ぎたるは及ばざるが如しだ。
本当に忙しい時は一緒に作業なんて呑気なことも言ってられないだろうが。
「そうなったらその時は一緒に作業するの禁止するしかないな。なんかもうまさに今、作業止まってるし」
「……そ、それはいけません。は、早く仕事しますよっ」
庵としては二人の時間でもあるつもりだし別に良いのだが、どうにも真面目さんな明澄は妙に気にしている素振りを見せる。
だから、つい冗談混じりに言ったら彼女は焦ったように膝に置いているパソコンに向き直った。
少し面白可笑しい光景だったから笑ってしまいそうになるのと同時に、自分と居たいと思ってくれる証左だとも気付いて、いじらしいなぁと頭を撫でたくなったが、怒られそうな気がして手を引っ込めた。
その代わりに庵からも明澄の身体に身を寄せると「もう」と、漏らすものの明澄は画面に向きながら満足そうに目元を綻ばせた。
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