第115話 聖女様と寄り道、帰り道
「新規のキャラデザなんですけど、今回はお断りさせて頂きたいと思います」
控え室から席を外した庵は、事務所のある一室に赴いていた。
部屋にはセンターテーブルを挟んだ向かい側には若い茶髪の男性が座っており、彼に丁寧な口ぶりで伝えた庵は真面目な面持ちを会釈程度に伏せた。
「……そうですか。かんきつ先生に担当して頂けないのは残念ですが、先生のご意向ですから仕方ありませんね」
「
言葉通り残念がりながも渋良木は愛想の良い表情を作る。
彼は三年前、ぷろぐれすが庵に氷菓のキャラデザを依頼する時に連絡した社員で、以降主にぷろぐれすとの仕事関係は渋良木が担当を務めている。
今回も彼から二月頃に話を貰って、1週間前に正式に依頼が来ていた。
二月頃は庵も前向きに考えていたのだが、断ったのは仕事の入り具合もあったのと、このまま忙しくしたら夏休みは仕事に追われそうだし、明澄との時間が取れなさそうだと判断したからだった。
そこは、口にすることでは無いので伏せておくが。
「いえいえ、先生も随分とお忙しそうにされてますしね」
「ええ。配信始めたり、ちょっと他に大きな仕事が入って来そうで、さすがに二人目は請け負えないかなと」
「ああ、そうですか! それは楽しみです」
純粋に嬉々とした様子で渋良木は笑顔を浮かべる。
ビシっとスーツを着こなした姿から真面目そうな雰囲気があるが、素直に感情を表に出すところが人好きするのだろう。三年前に会ったきりだが、変わらない彼を見て当時のことを少し懐かしく思った。
「そういうわけなのですが、今後ともご贔屓に頂ければと思います」
「もちろんです。先生のイラストは毎回評判がいいですし、こちらこそよろしくお願いいたします」
「いやいや、本当にこちらこそよろしくお願いします」
二人共々、頭を下げ合う。
庵はまだ高校生なのだが、とにかく腰を低くするところに、社会人としての一面を覗かせた。
何度もペコペコするあたりがどうにもそれらしい。
お互いにやりすぎだろうというくらい頭を下げあった後、明澄たちのリハの終わりまで今後の仕事のスケジュールについて話し合っていた。
「庵くん、社員さんと何を話していたのですか?」
リハーサルも終わり事務所を後にした帰りのタクシーの中、明澄が首を傾げた。
「ちょっと仕事の話とかな」
二人切りではないので詳しいことは話せないから軽く濁して答えた。
とは言いつつ、言葉尻に「あとな……」と付ければ、明澄はまたこてんと頭を傾ける。
少し耳を貸してくれ、と言って明澄の耳元に口を寄せると、顔を急接近させいか明澄は「ひゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげた。
「例の妹の話なんだが、あれ断ったんだよ。今は二人目は受けられんと思ってな」
「そうだったんですね。それは、ちょっと残念です」
以前に話した時は、結構二人目というか妹を楽しみにしていたし、残念さも二倍増しなのだろう。
分かりやすく明澄はしょんぼりと肩を落とす。
「悪いな。ママの体力的に妹は作れそうになくてな」
「な、生々しい感じで言うのやめて下さいっ」
冗談めかして言うと、僅かに頬を染めた明澄に軽く、どんと胸を押された。
そこまで品のないものでは無かったと思うが「もうっ」と、照れるあたり明澄はかなりうぶらしい。配信だと、澪璃やら葵やらが結構下品なことを言っても動じないのだが、リアルだとそうでもないのだろうか。
さらにからかいたくなったが、機嫌を悪くさせても仕方ないので「悪い悪い」と、庵は苦笑するに留めた。
「まぁ、誕生日にいい話は贈ってやれんが、いいものはあるから許してくれ」
「いいもの?」
「ああ。今日割と必要なやつかな」
「はぁ……?」
匂わせるだけ匂わせて勿体ぶる庵に、さっぱり思い至らず明澄は三度首を傾げる。
誕生日と言えばのやつなのだが、もう少しサプライズは引っ張らせてもらう。
中々庵がそれを教えないので「勿体ぶるの悪い癖ですよ」と肩に、ぽかりと明澄から優しめのグーパンが入った。
それから何度もぐしぐしと拳を押し付けられるが、最後の方はもうかまって欲しそうな表情でちょっかいをかけられ続けた。
「この辺かな」
独り言を言いながら庵は走行中の窓の外をきょろきょろと見渡す。
タクシーは街中を走っていて大通りに差し掛かった辺りだろうか。四車線の道路を挟んでたくさんの店が立ち並んでいた。
「すみません。少し止めて貰えますか?」
「庵くん?」
目当ての場所に近づくと席から少し乗り出した庵が、運転手にタクシーを道の端に停めてもらうのだが、直帰するものと思っていたらしい明澄は、頭上にはてなマークを浮かべた。
そんな彼女を余所に鞄から財布を取り出してシートベルトを外し歩道に出る。
ここで待ってるか、と車内の明澄を覗き込めば、明澄はふりふりと首を振って「行きます」とポシェットを肩に掛けた。
「明澄、段差気を付けてな」
「庵くんが手を引いてくれますし大丈夫ですよ」
車外に出る明澄に手を差し出してエスコートしつつ、そのまま手を引いて1軒、2軒と歩けば、木組を模した洋風の外装の店に差し掛かって、そこで足を止めた。
路地に面する店頭の棚にはクッキーや食品サンプルのホールケーキが並んでいて、ひと目で何を売っているか店か分かる。
誕生日、ケーキ屋とくれば庵の言う『いいもの』の意味が、明澄の中で形を作り始めたことだろう。
「あ、ケーキ屋さん……」
庵の意図を理解した明澄の頬はほんのり紅が差しており、店の看板を見上げながら零すように呟いた。
繋いだ手をぎゅっと、握る力を強めた明澄に「分かった?」と笑いかけた庵は、彼女を連れて甘く香る店内に足を向ける。
店内は棚にずらりと袋詰めされたパウンドケーキやお菓子が並び、冷凍ケースを覗き込めばこれまた甘そうなアイスが陳列されていて目移りしそうだが、一番先に向かったのはレジだった。
「あのう、ケーキを予約してた朱鷺坂なんですけど」
「いらっしゃいませ。朱鷺坂様ですね。伺っております。今お持ちしますので、少々お待ち下さいませ」
愛想の良い若い女性店員とそんなやり取りをする。
帰宅途中に急に寄ったので、きっと誕生日ケーキが予約されていたとは思わなかったのだろう。明澄は目を見張るように驚いていた。
本当は自宅でサプライズをしたかったのだが、今朝のこともあって予定になかった二日連続の事務所への訪問となり、ケーキを取りに行く時間がなくなったのだ。
交際報告が出来たのでそれはそれで良かったが。
「朱鷺坂さま。こちらでお間違いないでしょうか」
店の奥から戻ってきた店員は、トレーにケーキを載せていてその確認を求められる。
白色にコーティングされたケーキの表面はクリームや金粉で装飾されており、全体から冷気が漂うところを見るにアイスケーキと分かる。チョコで出来たプレートには、『Happybirthday! あすみ』とメッセージが書き込まれていた。
「わぁ、すごいですね」
食べ切れるように小さめのホールケーキで見た目もシンプルなものだが、明澄には豪華に見えたのだろうか。爛々と目を光らせて、嬉しそうにしながら食い入るようにケーキを見つめていた。
注文通りのケーキだったので、庵は「大丈夫です」と店員に伝えると、ケーキを持って包装のために奥に引っ込んだ。
再びケーキを待つ間、また明澄の手を握る強さが増す。
それから、明澄はぽつりと……
「ずるい」
さっきよりも赤く色づかせた頬を見せながら、か細い声で漏らした。
「え、なんで?」
「こんなのずるいに決まってます。嬉しくてちょっと泣きそうですもん。それに、庵くんの誕生日を祝うハードルが上がっちゃうじゃないですか。告白もしてくれて、素敵な誕生日プレゼントも頂いて、おまけにあんな美味しそうなケーキまで」
私の誕生日になんてことするんですか、と抗議の姿をした感謝をする明澄が可愛らしくて庵は目を細めながら、思わず明澄の頭に手を伸ばしてしまった。
「俺は明澄に祝ってくれるのが一番嬉しいからな、ハードルなんてめっちゃ低いと思うぞ。なんなら、一緒に居てくれるだけでいいし」
「む。また、そういうこと言うんですから。そういうのもずるいんですよ」
一人きりの生活を送ってきた庵にとっては、幸せを感じる指数が低いらしい。
好きな人と誕生日を過ごせるだけで満足するのが目に見えているし、おめでとうと言ってくれたらそれだけで充分過ぎるのだ。
またそれを堂々と言えるのが庵らしいが、彼には当たり前に思えることも、明澄には甘い言葉に聞こえるようだった。
「絶対に同じくらい祝ってあげますからね」
自分の頭上に手を置く庵を明澄は、千種色の瞳で真っ直ぐ捉えて強く決意を口にすれば、にこりと微笑む。
もう一度スキンシップを図りたくなる笑顔だったが、店員が奥から出てきたので「おう。期待してる」と庵は照れくさそうに言って、レジに並んだ。
「……すき」
そうして、ケーキを受け取り会計をしている際「こちらお釣りです」という店員との会話に紛れて、明澄は愛おしそうに庵を見つめながらそう小さく囁いていた。
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