第114話 オフレコ
庵と明澄の仲睦まじさがたっぷりと伝えられたところで、話題は打ち合わせに切り替わり、それも終盤を迎えつつあった。
皆で囲うテーブルに、こんもりとお菓子が盛られているのは、ささやかだが明澄を祝うために用意されたものだ。
そのお菓子をつまみながら庵は、のんびりと打ち合わせを眺めていた。
「終わりに一つ聞いておくけど、二人とも交際の件は隠しとく方向でいいんだよね?」
一口サイズのチョコを口に放り込む最中、テーブルに伏していた澪璃と目が合う。
すると、澪璃はふりふりと手を振りながら尋ねてきた。
「
隣で目を伏せた明澄が淡々と澪璃に回答する。
「だよね。あすみんはそう言うと思ってた」
いおりんも同じでいいかな、と澪璃から求められた同意に庵は「ああ」と首肯した。
まず、言いふらしたいものでも無いし、うかんきつの活動状況からしても現状を維持する方が楽でいいだろう。
そもそも氷菓とは別人である、という明澄の考え方からして公にする選択肢はなかった。
「てなわけで、ビッグカップルの誕生はここだけのお話って事で。みんなOK?」
澪璃から出た御触れに、その場にいた全員が頷いた。
誰もがそのつもりではあったのだろうが、澪璃は暗黙の了解にはしなかった。彼女が明澄のことを気にかけているのがよく分かる。
これまで付き合ってるだの、結婚はいつだの、と散々ネタにしてきたし、誰かが二人の交際を口にしたとていくらでも誤魔化せるので、無用の心配ではあるのだろうが。
「ウチで交際報告したライバーなんて今までに居ないからね。それでいいんじゃない?」
「おい。いらんこと言うな。
余計な一言放ったさとりの頭部を葵が、スパーンとはたく。
どうやら、ぷろぐれす内には交際を隠すライバーが他にも居るらしい。さとりのせいで見事に露見してしまったが、こういった事を澪璃は防ぎたかったのだろう。
「え? いるの?」
「あ……」
ただ、うっかりしていたのは葵だった。
いつもなら喧嘩腰に食ってかかるさとりが、はたかれてもポカンとしているあたり惚けてはいないらしい。
頭を抱えた葵は投げやりに「テメェ!」と、背後からさとりにヘッドロックを決める。
がっつりとヘッドロックをキメられたさとりは瞳を上向かせながら、葵の腕をぺちぺちと叩いていた。
う、うみゅぅぅぅ……と、さとりが生気を失った声を漏らす姿はまるで事案だ。
この人たちは大丈夫なのだろうか、と庵はだんだん心配になってきた。
「誰も触れてないだけで、ライバーに彼氏彼女がいるなんて普通ですしねぇ。それにうちには妻子持ちを公表してる人がいるじゃないですか?」
「和倉さんは例外では?」
まぁまぁ、と姫乃が二人をとりなすが、庵が言うように例外では話が収まらない。
今は外出しているが初めここにいた和倉継尋は、ぷろぐれすの特別枠である。元ぷろぐれすの社員と、庵や明澄のようにライバーとイラストレーター兼配信者のような立場では話が異なる。
いくら歓迎される確率が高い二人でも、配信者活動は人気商売だ。交際の公表によってコメントやらチャットが荒れる可能性を考慮すれば、公表するメリットは薄いだろう。
ちなみに、例外の継尋は現在、三歳になる息子を幼稚園に迎えに行っているところだ。
「そういう事だ。今回はわたしも悪かったが、お前もほんとに気を付けろよ?」
「……す、すみません」
ヘッドロックから解放されたさとりは、盛大に空気を取り込んで顔の色味を取り戻すと、反省の弁を述べる。
「……ったく、ラブラブ後輩カップルに迷惑かけねぇか心配になるわ。あんだけ見せ付けてきた二人を曇らせるとか許されないからな」
「そうです! あの見せ付けイチャイチャが見られなくなったら、私が死んじゃいますからね!」
「い、いや、あれはその……だな!」
意図せずして向けられた矛先が、庵の傷をえぐる。たじたじになりながら弁解の余地を探すのだが、言い訳が思いつかない。
なにせ弁解の余地を甘ったるい空間で満たしたのだ。取り繕うのは無理があるというもの。
正真正銘のバカップルだよねぇ、と澪璃に、呆れ気味に笑われてしまう始末だった。
「み、見せ付けた訳じゃないんだ。明澄が可愛かったからでだな!」
「あ、あの。庵くん。そういうところだと思います……でも、とても嬉しいので、やめなくてもいいですけどね」
「……あ、うん」
庵がした自爆の指摘自体はするのだが、明澄は赤らんだ頬を隠すこと無く口にする。
照れた笑顔を浮かべて見せる明澄に、とくりと脈拍が強くなるような感覚を覚えた。
周りが見えていないと言うよりも、周りを気にしていないと表現した方が妥当か。
純粋さと甘さがふんだんに込められた明澄の愛情表現は、周囲の糖度を一気に上昇させて、全員を呆れと呆けの渦へと巻き込んだ。
「
「もうそこまできたら殺意湧くだろ。あと言わねぇよ?」
澪璃の小ボケを冷静に処理する庵だが、今の調子だといずれ言ってしまいそうで怖い。
明澄が気にしないと言うのであればそれも自由だが、自重は覚えないといけないだろう。
多分、色々と持たない。
「お前ら見てると高校の頃を思い出すぜ。うかまるたちを送った帰りにでも、近いし母校に寄ってみるかねぇ」
わたしにもそんな頃があったなぁ、と葵がしみじみ独り言を呟くのだが、その彼女の独り言は甘さを吹き飛ばす一因となる。
「そういや、葵は
「え?」
「は?」
思わぬ単語がさとりから飛び出して、庵と明澄は一斉に葵へ視線を集めた。
当の本人は「ど、どうしたんだ?」と驚くばかりだが、驚いたのは二人も同じだ。
なにしろ……。
「月白って、月白高等学校のことですか?」
「ああ。わたしの母校だな」
「あ……」
「……嘘だろ。それ俺たちの高校だぞ」
「は? 嘘だろ、って言われても、それはこっちのセリフなんだが?」
およそ二年半の付き合いになるが、まさかの新事実だ。明澄からすれば、葵は事務所と高校のダブル先輩後輩ということになる。
状況を把握するのに苦労したのか、明澄は何度も「え? え?」と困惑気味に声を上げていた。
「そういえば、二月にスキーに行ったってうかまるに聞いたな。あれウチの伝統のやつか! 昔わたしも行ったけど確かあの時、はしゃいでキャンプファイヤーを崩壊させたんだよなぁ」
「犯人あんたかよっ!」
驚いたのもつかの間で、次の新事実が庵を怒らせた。
羽目を外した先輩の所為で、とは聞き及んでいたが、スキー合宿で箸とうどん作りをさせられたのは、葵が原因だったらしい。
(もう訳が分からん……!)
リアクションは返したが、この急展開に正直いっぱいいっぱいだ。あの話がここで繋がるとは予想外が過ぎるだろう。
明澄に至っては「庵くんと出会えたのは奇跡じゃなかった?」と、世間の狭さに、担当イラストレーターと同級生だったあの奇跡に対して、幻想を打ち砕かれそうになっていた。
まぁ、あれに勝る物は無いので、明澄に「あの時が最上級だ」とフォローを入れると、明澄は上機嫌に持ち直しはした。
「あのう。大変盛り上がってるところ申し訳ないんですけど、打ち合わせ終わらしちゃいませんか?」
一悶着? から打ち合わせがぐだり始めて早十数分経った頃、テーブルの端から申し訳なさそうな声が上がった。
「ごめんね。瑠々ちゃん」
「すみません」
関係ない話で盛り上がり過ぎた。葵との話題を打ち切って、庵が静かにフェードアウトすれば、「あ、そうです!」とぽんと手を打った明澄によって、打ち合わせは軌道修正された。
「私、千本木さんに明日のライブの事で、相談したいことがあったんです」
ちょっと別室でお願いします、と明澄がちらりと庵に目をやってから瑠々に伝える。
(なんで俺を見たんだ?)
こちらへ視線を配った理由が気になるけれど、庵たちに聞かせるつもりがないのなら仕方がない。
明澄の瞳は悪戯っぽく光っていたので、悪い話では無いと思うし、恐らく明日には分かる事だろう。
「なら、俺も少し席を外しますね? アレの話をしないといけないので」
ついでなのでぷろぐれすとの仕事の話をしておくのもいいか、と庵は控え室を後にした。
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