第112話 気になる視線とお祝い

「ぷろぐれすって笑顔溢れる良い事務所なんだな……?」


 家を出て昨日に引き続き訪れたぷろぐれすの社内。控え室への道すがら社員と思しき人らとすれ違う度向けられる視線に、庵は困惑を隠せなかった。


 会う人が皆、ニコニコと笑顔を振りまいてくるのだ。

 手を繋いで歩いているのなら若いカップルを微笑ましく思うのも分かるのだが、事務所に着いてからは手を離しているし、別件というのが推測できる。


 まさか幸せオーラでも漏れているのでは、と馬鹿な事も脳裏に過ぎったが、客観的に見て二人とも特段変わってはいないだろう。


 二人きりの時は兎も角、ここは事務所だし分別はついている……はずだ。

 ただ、そこは自社調べというやつだから、第三者に聞かねば分からないとは思うが。


「え……社会不適合者ライバーの管理をさせられる上に、多忙から社内で寝泊まりが普通の会社がですか?」

「よし、聞かなかったことにしよう」


 正気でも疑うかのように驚く明澄が、平然と怖い事を言ってのけるので、庵は瞬時に目を逸らした。

 遅刻常習犯の澪璃やら、堕落しきったカレンもとい黒川さとりやらは、出来れば担当したくないものだ。


 昨日も、ライバーらがリハーサルを引き上げてもスタッフは忙しそうだったし、裏方の苦労は庵には到底計り知れない。

 行き交う社員の方々に、庵は心の中で敬礼する。


 ともあれ、この笑顔の正体は何なのだろうか。疑問は増すばかりだが、怪訝に思うだけで回答には至らず、気付けば控え室の前に辿り着いていた。


「庵くん」

「なに?」

「着いちゃいましたね」


 控え室の前で立ち止まると、明澄がはにかみながら問いかけてきた。


 立地的な問題なのか周囲から人気は無くなったが、ドアの向こう側から僅かに賑やかな声が漏れている。澪璃や葵たちが、いつも通り楽しく騒いでいる絵が容易に想像出来た。


 その彼女たちに明澄との交際を報告することになるのだが、やはり気恥ずかしさは拭えない。

 人生初めての経験で、どう言えばいいのかすら知識が身についていないのも、恥ずかしさを加速させている気がした。


 それは明澄にも言えることなのできっと彼女も同じ羞恥を抱いて、庵にはにかんだのだろう。

 隣の明澄に目をやれば、耳を赤くしながら落ち着かない様子で小さく息を吐いているのが見えた。


「緊張してる?」

「はい。……でも、」

「でも?」

「おうちでも言いましたけど、庵くんと付き合ってます、って言えるのがやっぱり嬉しいですから」


 庵に尋ねられた明澄は照れるように笑う。


 明澄にとっての交際報告は、もちろん恥ずかしさも含まれているが、周囲に堂々と伝えられるようになったことの喜びの方が大きいのだろう。


 これだけ自分との交際を嬉々とした言葉にされると、思わずにやけそうになる。

 遠慮しないと決めてからの明澄は躊躇なく庵への好意を口にする機会が如実に増えていて、心臓に悪いやら嬉しいやらで、庵の情緒は目まぐるしくあった。


「明澄は凄いなあ。俺はまだ恥ずかしさの方が勝ってるかも」

「……庵くんは嬉しくないですか?」

「そんなわけないだろ。舞い上がるほど嬉しいよ」


 不安そうに明澄が見つめてくるので、庵は小さく笑って返す。


「……そうなんだ。良かったです」

「ここで抱きしめてもいいなら抱きしめてるし、お姫様抱っこしながら皆に報告してもいいくらいだな」

「……ばか」


 冗談めかして笑う庵に、ごすっと明澄が二の腕に頭突きをしてくる。

 積極的になったとはいえ、直ぐに照れる所は変わっていなかった。


 ほんのりと頬を赤くしている明澄を無性に撫でたくなったが、誰もいないとはいえここで明澄とスキンシップを図るわけにもいかない。


 代わりに庵は撫でたい衝動を抑えながら、二の腕を攻撃している明澄に掌を見せる。


「抱きしめはしないけど、アピールはしないとな」

「はいっ」


 羞恥の笑みから天使のような純白の笑み浮かべた明澄に「行こうか」と呟いて、庵は明澄と指を絡めはしないが優しくしっかり握った。




 部屋に入るなり聞こえたのは、大勢の「ハッピーバースデー!」と火薬が弾ける音だった。

 続け様視界に飛び込んできたのは、男女六人が構えるクラッカーから飛び出たきらきらの紙片とテープで、二人は急な事に「わっ……」と少し身体を仰け反らせた。


「え……!?」


 驚いたのも束の間で、予想だにしていなかった展開に明澄と庵が圧倒される中、誕生日恒例のバースデーソングが披露される。


 室内には、澪璃、葵、さとりなど昨日のメンツが居て、明澄のマネージャーである瑠々も参加しているようだった。

 部屋を見渡せば、色々と飾り付けられていたりするし存分に祝う気満々なのが伝わってくる。


 事務所の社員たちが、揃って笑顔を溢れさせていたのはこの事を事前に知っていたからなのだろう。もしかすると、ここに居る六人だけではなく、彼らも飾りつけを手伝っていたのかもしれない。


 社員たちが笑顔だった理由に明澄も気が付いたのか「あれは、そういう……」と小声に出している明澄と、二人で顔を見合わせながら苦笑いしてしまった。


「あすみん! お誕生日おめでとうっ!」


 歌い終わると澪璃が、満面の笑みで明澄を抱き締めにやってくる。飛びつかれた明澄は手を繋いでるせいでバランスを崩しかけるが、そこは庵が支えつつ親友とのハグを微笑ましく見守った。


 危ないですよ、と明澄は飛びついてきた澪璃を注意していたが、明澄が満更でもなさそうなのは言うまでもない。

 庵が頑張った甲斐あって、誕生日を祝われる喜びを知った明澄はその幸せを全身で受け取っていた。


「あれ? あれあれぇ? これはおやおやですなぁ?」


 むぎゅうと澪璃は抱きしめていた明澄から離れるなり、明澄に視線を合わせ次は庵に目を移す。

 直ぐに普段との違いに気付いたらしく、きょとんとした顔をしたあと繋がれてる手を見ながら、にやあと面白がるように笑ってみせた。


「おーい、みんなー! ここに青春てぇてぇがあるぞー!」

「「「「「おおーー!!!」」」」」


 手で拡声器の形を作った澪璃が、室内に向けて盛大に叫ぶと、とてつもない歓声が沸いた。


 パチパチと手を叩いて祝うのは葵で、「おめおめー」と素直な感情で驚くはさとり。他には声にならない悲鳴を上げて震えているピンク色の鳩なんかがいた。


 余っていたのかクラッカーが再び鳴らされたりするし、パニックというか目前で、繰り広げられる乱痴気騒ぎに照れるよりも先に乾いた笑いが庵から漏れた。


「てぇてぇだっ!! これはラブコメの波動を感じるぞ」

「青春だな」

「二人ともお似合いじゃーん。その青春分けてくれよ」

「あばばばばばっ、ほ、ほんとにつ、つきあ、付き合ってるっ!?」

「ネットでもてぇてぇ、リアルでもてぇてぇと。良きことですね」


 次第に集まってくる男女六人は、各々感想を述べながら仲睦まじく手を繋ぐ庵と明澄の元に集まっては、一様に楽しげに笑顔を弾けさせる。


 澪璃に至っては、満面の笑みでサムズアップを向けてきた。


「うわあ、めっちゃ盛り上がってるな……」

「も、盛り上がりすぎでは?」


 手を繋ぐ彼らを前に大はしゃぎする彼女たちを眺めながら、やや引き気味に庵と明澄は小さく苦笑する他なかった。

 交際報告は、質問のあらしとにまついた視線に晒されることになりそうだ、と二人して覚悟した。

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