第105話 邂逅と庵の羨望
「というわけで、先生! わたしが
「で、あたしがカレンね。本名は
庵を取り囲んだ彼女たちとの、顔合わせは割とさっぱりしたものだった。四人の内、二人は普段からよく配信で絡んでいるというのがあっただろう。
黒髪のショートカットに赤いメッシュを入れた女性が夜々。その彼女とは対照的に長い黒髪をたなびかせた女性がカレンだった。
夜々もとい葵は若さの中に余裕があってさっぱりとしていた。姉御肌とでもいうのだろうか、そんな雰囲気がある。
一方のカレンはこの場にいる女性三人の中で最も背が高く、抜群のスタイルを誇っていた。
見た目だけは麗しく大人の女性に見える。
「さて、俺の番かな。俺は
葵、さとりが自己紹介を終えると次はガタイの良い男が和倉と名乗った。
彼は以前より、庵や明澄の口から度々名前が出ていた『和倉のおじさん』や『和倉さん』に当たる人物だ。
和倉継尋は妻帯者でぷろぐれすの中では珍しいライバーで、元々ぷろぐれすの有名社員という経緯がある彼は、苗字そのままのこれまた珍しい配信者だったりする。
葵とは同期のデビューでありぷろぐれすの古参の一人だ。また、明澄や澪璃よりも実は庵の方がSNSなどではよく絡みがあったりする。
「んじゃ、ラストはハトちゃんね。ほら、そんなとこで隠れてないで早く」
「あ、ああ、は、はいっ! え、えええっと、その、き、
「……あ、ありがとうございます。かんきつを名乗ってる、朱鷺坂庵です」
最後は和倉の後ろで様子を伺っていた少女が自己紹介を披露した。
これで全員なので、庵も姫乃の噛みまくりな自己紹介に苦笑いしつつ本名を明かしておく。
実は姫乃と庵はリアルはおろかネット上ですら交流がなく、彼女の噂だったり活躍に関しては、一視聴者としての範囲だけ把握している。
そのため庵は、どうして彼女がこんなに緊張しているのかは知っていた。
目の前にいる少女、公園鳩(伊東姫乃)はぷろぐれすでも名の知れたかんきつの大ファン、という訳ではなく――。
「ととと、朱鷺坂庵さんと言うのですね! わ、私、う、うかんきつのお二人が好きで、は、配信は全部見てます! 最近はお二人の距離が近くてもう尊くて、尊くて毎回尊死するくらい――」
「はい、そこまで。先生が引いてるでしょ」
「うっ、すみません。ご迷惑でしたよね」
随分な早口でうかんきつのことを語り出し、暴走機関車のそれと化した姫乃だが、葵のチョップによって止められた。
そう、彼女は大のうかんきつファンだったのだ。前々からファンと公言し、界隈では知られた存在ではあった。
庵と交流がなかったのは、二人の間に入ってはいけないという姫乃独自の自戒によるもので、彼女の徹底っぷりは凄まじく、これまで庵に接近することは、一ミリとしてなかった。
因みに彼女が明澄のライブに参加するのは、うかんきつのファン代表という理由だ。当初は断られていたが、明澄や他のメンバーの度重なるお願いによって出演してくれることになっていた。
二日後のライブでは、関係者から氷菓にメッセージが送られるコーナーがあるのだが、
「迷惑とは思いませんよ。俺たちのファンに実際に会ったことはないので嬉しいくらいです。明澄も同じ事を言うと思いますよ」
「あ、明澄ッ!? よ、呼び捨てですかっ! お二人は、名前で呼び合う仲なんですねっ! あぁ〜てぇてぇ」
「だから、やめなって」
「あうっ」
「あ、ははは……」
姫乃は一度会ってしまえばこの有様で、庵を前にしてもう止まらなくなっていた。
強烈な個性の前に庵は苦笑気味に目を細める。
さっきまで四人が、ここで競馬に興じていたことなんて忘れてしまうくらいに姫乃は凄まじかった。
妙な性癖を持っているあの瑠々でさえ空気だ、と思ったら、いつの間にか瑠々がいなくなっていたりするが。
(人気ライバーになるには色々とぶっ飛んでないと無理なんだろうか)
配信者たるものやはり、強烈な個性や独特な雰囲気や性格など面白さが求められるのだろう。一応、庵もそちらの世界へ飛び込んだとはいえ、絵描きの肩書きがなければ成功する未来が見えなかった。
だからこそ同じ歳でそれも十代半ばの明澄が、あれほどまでに成功しているのは素直に尊敬に値する。
神絵師と呼ばれる庵も充分に誇れるのだが、自分に無いものを持っている彼女たちに嫉妬なんて大層ではなくても、羨むところが多くあった。
「そういやあの
「お前が変態って言うな。毎日風呂入ってから言え。風呂嫌いの汚物め」
「あたしをモンスターみたいな言い方しないでくれるかね?」
「実際モンスターだろうがよ。昨日行った銭湯の垢擦りでお姉さんに『よく出ますねー』って苦笑いされたの忘れたのか?」
「今は綺麗だし!」
どうしてか喧嘩を始めた葵とさとりにしても見ていて面白いし、仲良さげで本当に楽しそうだ。
苦々しい思い出のある以前の仕事先で出会ったのが、彼女たちのような人達だったら自分はどうなっていたのだろうか、とふと考えても詮の無い無益な妄想をしてしまう。
庵にとって何気ない出会いで、彼女たちにとってもなんともない日常だろうけれど、庵にはどうしてか葵たちが輝いて見えるのだ。
「ねぇ! かんきつセンセーも嗅いでみてよ。臭くないから」
「さとり先輩! かんきつ先生に危害を加えようとするのはやめてください」
「そうよ。風呂入ったってあんたは臭いって」
「あたしゃ、シュールストレミングか何かですか!? ねぇーかんきつセンセーこいつらが酷いんだけどー!」
実質初対面なのになぜか葵やさとりたちといると、ずっと昔からの仲間だったかのような感覚になるし、分け隔てることがない彼女たちの存在は庵にとって貴重に思えた。
こんなに愉快な同僚に囲まれている明澄が純粋に羨ましい。
そんなことを思いながら、庵は「くだらねぇなぁ」と笑いながら葵たちの輪に入って行くのだった。
そして、のちに庵と明澄に大きな影響を与える人物が一人、この四人の中に居ることを彼はまだ知らない。
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