第104話 事務所にて邂逅
「ここも久しぶりだな」
言って、目の前のビルを見上げながら庵はペットボトルに口をつけた。
見上げたビルはぷろぐれすの事務所兼スタジオ。
仕事で何度か来たことがあるが、
ひと騒ぎあった放課後から抜け出してきた庵だが、私服に着替えている理由は身バレ対策によるものだ。
ぷろぐれすの事務所は住所が公開されており、制服で出入りしたら特定されてもおかしくはないだろうと思ってのことだった。
じめっとした暑さにげんなりしつつ、庵はボディシートで汗を拭いて身なりを整えて自動ドアをくぐる。
中のフロントに足を運ぶなり、見覚えのある人物に出迎えられた。
「お久しぶりですね。朱鷺坂さん」
顔を見せたのは、明澄のマネージャーである
お久しぶりです、と返した庵は、早速彼女に案内されエレベーターに乗り込んだ。
「朱鷺坂さん、少し背が伸びましたか?」
「会うのはあの時以来ですか……もう半年経ってますからね」
庵を見上げながら瑠々はまるで久しぶりに会った親戚みたいな口振りで、庵の頭部付近に手を近付けてきた。
中学の時から庵や明澄のことを知っているので、絶賛成長期の庵を見ると、そう感じるのかもしれない。
「その節はどうもご迷惑をおかけしました」
「いやいや、結果的には良かったので……」
「良かったんですか?」
「ええ、まぁ、色々と」
ある意味で全ては瑠々から始まっている、と言っても過言ではないだろう。身バレの原因を作った瑠々だが、庵を明澄と偶然引き合わせた人物でもある。
あの時は身バレしたことに戸惑ったものの、今となっては笑い話どころか好きな人を見つける切っ掛けになったわけだし、おかしな話ではあるけれど、彼女には感謝してもしきれなかった。
あれからほぼ半年が経つ。懐かしくもあり久しぶりの再会に、ちょっとした感慨深いものを感じていた。
「何やらご機嫌な様子ですね?」
「そう見えますか」
「ええ。そういえば、先程水瀬さんと会いましたけど、彼女もご機嫌そうでした。それと関係があったりします?」
瑠々は鋭く指摘してくるが、エレベーターに二人きりだから、顔色や仕草がわかりやすかったのだろう。
明澄がご機嫌なのは、恐らく放課後のこと。
勢い任せなところもあったとは思うが、明澄自ら望んで庵との関係に変化をもたらすことを選んだはずだ。
庵の想像でしかないのだが、あれだけのことを口にして最後はどこか満足そうだったし、今の明澄はきっとやり切ったと思っているに違いない。
明澄の言いたいことが言えたのだとしたら、ご機嫌なのも納得がいく。
興味を覗かせている瑠々に回答が用意できるとはいえ、あまり口外するものではないから、庵は「どうでしょうね?」と曖昧に濁して肩を竦めた。
(帰ったら言わないとな……)
明澄とのことは考えてもしょうがない。というよりも、既に庵の答えは決まっているので、ここに来るまでの道すがら一旦脳裏から切り離していた。
けれど、瑠々の指摘によって、強制的に明澄のことが思い浮かんでくる。
明澄の想いには応えるつもりだし、もう待たせる訳にはいかない。
後で明澄と顔を合わせるだろうから若干気まずくはあるが、男らしく堂々とするべきだろう。今日のリハや打ち合わせが終わって帰宅したら、するべきことは一つだけで、庵の思考はすっきりとしていた。
何より、好きな人から好意を寄せられていると知ったのだから、庵の機嫌も良くなるというもの。
先に言わせてしまったことに関しては、情けなく思うところもあるのだけど。
(ほんと、千本木さんには感謝しないと)
穏やかな表情を浮かべている彼に、理由を知らない瑠々は、はてなと首を傾げているのだった。
エレベーターから出ると、しばらく長い廊下を歩く。
奥の角部屋の前まで来れば瑠々が「こちらです」と言いながら立ち止まった。
「今、スタジオにいる水瀬さんと有馬さんを除いて、皆さんお揃いになってますよ」
どうやらこの部屋に夜々たちがいるらしい。
彼女たちとは配信やボイスチャットでしか話したことがないから、どんな人たちなのだろう、とかどんな反応をされるのだろう、とか色々な想像が頭を巡った。
庵の知り合いだけが集まるライブではないし、実は絡むことすら初めての人もいたりするので、それはより顕著だ。
明澄の友人であり同僚だし、良い人たちには違いないだろうから、心配とか不安は無い。
澪璃と会った時とはまた違う緊張を身に感じながら、庵はその扉を開いた――
「差せぇぇぇっ! 差せぇえええっ!」
「行けっ! 行けっ!」
「そこだ、差し切れっ!」
一歩入室すると、まずそんな絶叫が庵の耳に届いた。
部屋の奥に目を向けると、テレビを囲んだ男女が四名いるのが見える。
奇怪な光景を眺めるや十数秒後。
「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛っ! 十万円がぁー!」
「うぎゃーッ! ダメだァ〜」
「クソっ、外した! 誰だ? こいつが圧勝とか言った奴は。単勝十万円突っ込んだんだぞ!?」
断末魔とも思える悲鳴が室内にこだましていた。
一瞬部屋を間違えたのかと戸惑ったが、瑠々に顔を向けてみれば盛大に溜め息を吐いていたので、ここが目的地で間違いないらしい。
テレビの画面に映っているものに目をこらすと、綺麗な毛色が目立つサラブレッドたちと土煙が登っているダートが見えた。
つまり、叫んでいた彼女たちは競馬に興じていたのだ。
「千本木さん、なんですかこれ……?」
「はぁぁぁぁぁ……」
「千本木さん?」
「負けました……私の5万円……」
「あんたもかよ!?」
ため息を吐く瑠々は、平日の午後から競馬に勤しむ大人たちを見て呆れていたのかと思ったが、彼女もその一員だったらしい。
いや、別に平日の午後に競馬を楽しむことがいけないことでは無いのだが、部屋に入るなりこんなところを目にすることになった庵は困惑気味に「えぇ……?」とかすれた声をあげて、若干引いていた。
庵がしばらくぽかんとしていると、その存在に気付いたのか、黒髪の女性がこちらにやってきた。
「お客さん……ってことはもしかして、かんきつ先生!?」
「あ、はい。そうですけど」
「おお! そっかそっか。おーい、みんな、かんきつ先生来たぞー」
庵が頷くと、彼女はテレビを囲っていた残りのメンバーを呼び寄せる。彼女らは馬券を投げ捨て、わらわらと庵の近くに集まってきて、ようやく顔合わせが行われることとなった。
「この人がかんきつ先生か。まじでイケメンくんじゃない」
「聞いてはいたがやっぱり若いなぁ」
「あわわわ、か、かかかかんきつしぇんしぇだ……! は、はははじめましてっ!」
高身長で黒髪ロングの美人に、ガタイのいい渋い見た目をした男性が一人。それから、緊張して呂律が回っていない薄桃色の髪が特徴的な少女が一人。
庵の前に集まった彼女たちは皆、一癖も二癖もありそうな面々ばかりで圧倒された。
話し方で誰が誰なのか、ある程度は庵の記憶の中にいる知り合いと一致するが、それは自己紹介で分かることだろう。
まずは、初めに庵の元へやってきた女性が一歩前に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます