第103話 聖女様の猛攻
「オレたちはどこのクラスと当たるかな?」
「二年四組らしいぞ」
廊下に張り出された一枚の紙を奏太と睨みつつ、目当ての文字を見つけた庵が指を差した。
来月、庵が通う高校では球技大会が開催されるのだが、そのトーナメント表が張り出されたので四人で確認にやってきていた。
「同学年か。負けられないな。というか、効率厨の庵がこういうのを見に来るなんてちょっと驚いたな」
「効率厨言うな。まぁ、ちょっとした暇つぶしだよ」
珍しいものでも見た、と言いたげな目を奏太が向けて言う。
確かに、いつもは定期テストの順位とか球技大会のトーナメント表を確認したりしない。
ただ、今日はこの後に明澄の3Dライブのリハが控えており、事務所への集合時間まで余裕があるから、その暇つぶしだった。
「あ、庵くんたちはサッカーに出るんですね」
女子の対戦相手を確認していた明澄が、こちらに戻ってきて隣に並ぶ。
「そっちはバスケか」
「今回の種目の中では一番自信がありますし。何より庵くんの試合時間と被らないらしいので」
「わざわざ合わせたのか」
庵がサッカーを選んだ理由は奏太が出るからという消極的極まりない理由だが、明澄には明確な目的があったらしい。
球技大会では別競技を選ぶと、男女の試合時間が被らないようになっている。これには色々と理由があるらしい。
そのひとつが――。
「はい。庵くんの応援に行きたかったので、バスケを選んだんです」
にこりと笑いながらそう口にする明澄のように、男女で互いに応援し合いたい、という要望を汲んだものだとかなんとか。
明澄がわざわざ応援をしてくれるというのは嬉しいのだが、周りにいる他の生徒たちから殺気と嫉妬が飛ばされるので、溜まったものではなかった。
「じゃあ、俺も奏太と応援に行くよ」
「はい。楽しみにしてますね」
男子にとって憧れである聖女様が、特定の誰かを応援すると表明しているわけだし、妬まれるのも仕方ない。
人気者の彼女に応援されるのはとても幸せなことだろう。微笑んでいる明澄に「俺もぼちぼち頑張るよ」と庵は微笑み返す。
そんな、何気ないやり取りのつもりだったが、ふと群衆の中から一際大きな嫉妬の声が聞こえた。
「ほんと、なんであんな奴が……!」
喧騒に紛れているから、どこかからとか誰からという判別はつかない。
別に探し出したい訳でもないので、明澄を伴ってその場を後にしようとしたのだが、今度は明確に庵の目に映ることになった。
「おい。待てよ!」
現れたのは不機嫌な表情をした男子生徒で、こちらを睨みつけて立ち塞がられる。
「何か用事か?」
「分かってんだろ。水瀬さんの事だ! なんでお前みたいなやつが仲良いんだよ」
「そう言われたってなぁ……」
「お前と水瀬さんが釣り合うわけないし、何か理由があるんだろ!?」
庵の前に立つ彼はもの凄い剣幕で捲し立てる。
面倒くせぇ、と庵は渋い顔をしつつ、奏太と胡桃に助けを求めたかったが、巻き込むのは申し訳なくて諦めた。
ふと、明澄に視線を移してみれば、彼女は不機嫌そうに眉を顰めていた。
目が合うと、庵が助けを求めていると勘違いしたらしい。明澄が庵の前に出ようとするが、庵は笑みを零しながら明澄を制した。
それが、さらに男子生徒の怒りに火をつけることになった。
言葉を交わさなくても通じ合う仲の良さ、と捉えて妬んだのか、それとも放ったらかしにされた事を怒ったのか。
男子生徒が「無視すんなよ!」と声を荒らげていた。
「どんな噂を聞いたのかは分からないけど、俺と明澄は付き合ってるわけじゃないよ」
「シラを切るなよ」
「そんなものを切った覚えはない。お前の幻覚だろ」
何一つとして嘘はついていない。寧ろ明澄と付き合えていたらどれだけいいことか、と庵は苛立ちを見せた。
その関係の進展についても明日の明澄の誕生日に控えている。出来るだけ平穏に過ごしたい、と思っていた庵は、面倒事を起こした彼に対して機嫌を悪くし、睨むように言い返していた。
「チッ。話になんねぇわ。確か、来月の球技大会で当たるよな? お前、覚えとけよ」
いきなり喧嘩を売られて庵は目を丸くする。
身の安全の為、応援を楽しみにしていた明澄には申し訳ないが、球技大会は欠場した方がいいだろう。
まぁ、仕事柄怪我が怖いし、初めからほどほどにするつもりだったし問題はない。
公に大義名分が出来てありがたいくらいだ、と庵は冷静に感謝しながら愛想笑いを浮かべれば、落ち着くようにとジェスチャーを交えて男子生徒を宥めにかかった。
「ホント、ヘラヘラしてんの気に食わねぇ」
「痛った……!」
捨て台詞っぽかったしようやく解放されると思って安堵していたのだが、次の瞬間男子生徒に手首を思い切り掴まれてしまい、庵は苦悶の表情を浮かべる羽目になった。
何をしたって彼は不機嫌になるのだから、ここまできたら呆れて笑うしかない。
鈍い痛みには、ちっとも笑えなかったが。
予想以上に痛がったことに驚いたのか、男子生徒はその手を離す。
庵が掴まれた手を気遣うようにさすっていると、隣からすっと人影が現れた。
「庵くんっ、大丈夫ですか!?」
一連の様子を眺めていた明澄が血相を変え、庵の手の様子を窺った。
明澄にとって庵は、大好きなイラストレーターだから心配をするのは当然だろう。
何よりこの中で庵の正体と彼の手の怪我が、何をもたらすのかを知っているのは明澄だけだ。
手首を痛めた当の本人よりも、明澄は痛そうな表情を顔に張り付かせて、庵の手を思いやっていた。
「利き手じゃないし、ちょっとピリッとしただけだから大丈夫だよ」
「そうですか……良かった」
幸い掴まれたのは利き手とは逆の手首で、何かあっても仕事にはさほど影響ないはずだ。
悲痛な面持ちで心配している明澄に、柔和な笑みで無事を伝えると、明澄はほっと息を吐いていた。
「……それで、これはどういうことですか?」
「どうって」
「どうしてこんなことをしたのか、と聞いているんです。さっきも球技大会で、なんて不穏なことを仰られていましたし、返答次第では容赦しませんけれど?」
庵の無事を確認するなり、明澄は聖女様モードの笑みを浮かべて男子生徒を問い質した。
問い詰める側だったはずの男子は、思わぬところから矛を向けられて狼狽えている。
笑みを浮かべているはずなのに、明澄は一切笑っているように見えなかった。
「そ、そんなことより、朱鷺坂とどんな関係で」
「今の私の様子を見て、察しては頂けませんか?」
「と、ということは付き合ってるってこと?」
「付き合ってはいませんけど、庵くんは私にとって、この世で何よりも優先する人、ということです」
はっきりと言い切った明澄は、やや面倒くさそうにしながらも微笑みは絶やさないでいた。
彼女の口振りは実質ここにいる庵以外、脈が無いと告げているようなものだろう。彼からは悲愴な雰囲気が漏れ出始め、徐々に周りの男子たちへ伝播していく。
「おかしい……そんなのおかしいだろ」
「何がですか?」
「だって、朱鷺坂は最近までロクに友達もいなかったらしいし、目立つような成績でもないし」
「仰りたい意味が分かりません」
小首を傾げる明澄だが、その瞳は鋭く彼を捉えている。
要するに、はっきり言えということだろう。
その意図に庵は少し複雑な表情をした。
嫌なことを言われるのが分かっているという事と、この男子生徒が、彼女の逆鱗に触れてしまうような危険なことを言い出さないか心配になったのだ。
きっと庵を傷付けたり貶めるような発言をしたら、明澄の許容量を超える。手を出したり罵倒したりはしないだろうが、精神的にキツい言葉が返されることは容易に想像が出来た。
「じゃあ言うけどさ。こんなやつ、聖女様って言われる水瀬さんには相応しくないだろ!」
「相応しいか、相応しくないかは私が決めます。あと、誤解があるようですけど、庵くんは魅力的な人ですよ? 私に無いものを持っていますし、それをひけらかしたりしない謙虚な人です。私が辛い時や悲しい時に、抱きしめてくれる優しさを持った素敵な男の子なんです。何よりも一人にしない、って言えるようなかっこいい人なんですから」
感情を露わにする男子に対して、明澄は淡々と告げた。
一言一言丁寧にはっきりとした口調は、嘘偽りないものであると証明する。
話す途中から明澄の微笑みは、はにかんだ笑みに変わっていて、その頬には仄かに赤みが差していた。
今の明澄の様子をなんと呼ぶかは、周りで黄色い声をあげている女子たちの反応を見れば、察することが出来るだろう。
「そんなの水瀬さんが他の人を知らないだけで……絶対、欠点だってあるだろ」
「そうかもしれませんね」
「だからさ、一度オレと付き合ってみたら……」
「はぁ……いいですか? 確かに、庵くんに足りないところは沢山あるでしょう。でも、それは私が補うと、そう決めています。そして、庵くんは私の足りないところを補ってくれます。私の寂しさは彼にしか埋められません。私には庵くんしかいないのです。他の人なんてどうでもいいのですよ」
「……っ」
引くに引けないのか最後の悪あがきを続ける彼に、明澄はあからさまに溜め息をついてから、もう有無を言わせないといった風に言葉を放った。
告白に近い、否。告白そのものでしかない、明澄のセリフが騒動を終息させた。
きゃあ、と周りの女子から歓声が上がると、反比例するように男子の間では、どんよりとした空気が蔓延していった。
「ご理解頂けたでしょうか? 本当はまだ庵くんの良いところを伝えきれていませんが、予定があるので失礼させていただきますね」
何一つとして言葉を返せない男子生徒は、押し黙ったまま立ち塞がっているが、明澄に微笑まれると意気消沈した様子で生徒たちの中に消えていった。
ついでに周りの生徒たちも、解散の雰囲気を悟ったのか散り散りに捌け、それから明澄は可愛らしく、くるりとこちらに振り向いた。
あんなことを言われた後だ。嬉しい反面気恥ずかしい。
ひゅー、と奏太と胡桃から茶化されてもいるし、反応しづらかった。
どうにか一言くらい絞り出そうとしていると、恥ずかしそうにこちらを見上げ明澄に、痛めた手を優しく掴まれる。
突然のことに戸惑う庵だったが、明澄はしばらく庵の手首を見つめ、それから意を決したように彼の手首に――口付けた。
「え、えと、あの……明澄?」
「……き、キスの、鎮痛効果は、モルヒネより十倍の効果が、ある、そう……ですよ?」
それは明澄からとどめと、言わんばかりの猛攻だった。
あくまでも医療行為だと明澄は主張するが、告白紛いの宣言に手首への口付け。ここまでされては、庵だってその意味は分かる。
真っ赤になりながら、自分でしたくせに泣きそうに瞳を潤ませている明澄は、庵に全力で気持ちを伝えようとしていた。
「い、庵くん。申し訳ないですけど、時間がギリギリなので先に行きますね?」
「……あ、うん。了解」
「では、
あの男子のせいで余裕があった時間もかなり押している。
リハーサルに遅れる訳にはいかない明澄は、苦笑しながらそう言って、すたすたと教室の方へ踵を返した。
庵は職員室に用事があるので、追いかけようにもそうはいかないし、追いかけたところで駅までの道中や電車で気まずい思いをすることだろう。
何より、明澄は時間を空けたそうな様子だ。
とはいえ、あんなことがあった後だし一人にする訳には行かないので、明澄のことは胡桃に頼んで追いかけてもらった。
(……先に言わせちまったなぁ)
残った庵は、そんな風に情けなく思いつつ、この後に待ち構えるあれやこれに思い浮かべた。
今日は大変だ、と色々覚悟を決めた庵は、ニヤついている奏太を背に職員室へ向かうのだった。
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