第101話 聖女様の尊敬と憧憬

「さっきは一体どんな魔法を使ったのですか?」


 あの女の子を迷子センターに送って保護者との再会を見届けたあと、ショッピングモールに隣接する緑地公園のベンチで休憩していたのだが、不意に明澄がそう問いかけてきた。

 

「魔法ってほどじゃないけどさ。ああいう小さい子には、自分からしたくなるように仕向けてあげるのが大事らしい」

「……なるほど。後学のためにもう少し具体的にお聞きしても良いですか?」


 明澄と庵の方法に大きな差があったようには見えない。

 なのに、あれほど女の子を上手く誘導できたことが明澄には不思議だったらしく、彼女から解説を求められる。


「誰だって、人から命令されるのは嫌だろ? 俺たちで言うと指示厨とかさ。明澄は別に命令口調をした訳じゃなかったけどな」

「確かに嫌ですね」

「だから例えば、幼い子に片付けをさせたい時は、片付けの方法を教えてとか、競争しようとか、百秒以内にできるかな? って言ってあげる方が効果的らしい」

「その気にさせるということでしょうか」

「うん。そういう事だと思う。今回はそれを使いながら、知らない人について行くのは駄目っていう約束から、視点を逸らさせた形になるかな」


 詳しい理論や心理的なテクニックまでは分からないけれど、大きく間違ってはいないだろう。実際、スムーズに手引きしていた庵の姿というのは頼もしかったはずだ。


 明澄は真剣な目付きで、興味深そうに庵の解説に聞き入っていた。


「俺たち大人ですら人に教えたい欲はあるからな。そういう心理的効果を利用すると上手くいくんだよ。特に子供は」

「庵くんってもしかして、実は結婚してて子供がいたりします?」

「はは……そこは幼い兄弟って発想にはならないんだな」


 余程タメになるテクニックだったのか、舌を巻く明澄は褒め言葉の代わりに、そんな冗談を飛ばす。

 もちろん、庵は結婚もしてなければ子供もいない。なんなら、超がつくほどの恋愛初心者まである。


「ふふ。冗談ですよ。でも、本当に凄いと思います」

「凄いかどうかは分からんが、祖父母の店を手伝ってた時は、ああいう幼い子と接する機会が多くてなぁ。ちょっと調べたことがあるんだよ」


 明澄から尊敬の眼差しを向けられるのだが、妙にくすぐったい。

 とはいえ、彼女からそう思ってもらえるのは嬉しい限りではある。あまり外に出向かない庵だけど、さっきの様に経験が如何に大切なのか自覚出来たし、色々やってみようという気分になる。


 恐らく無自覚だろうけれど、褒めてそう思わせてくれる明澄も充分に凄い。庵としてはそちらの方が尊敬するくらいだ。


「凄いです。庵くんはとても凄いと思います。前にも言いましたけどね、庵くんは本当にいいお父さんになると思いますよ」

「実際はあんなに上手くはいかないだろうし、どうだろうなぁ。でも、傍から見てた明澄が言うならそうなのかもな」

「そうです。もっと自覚してください。私としては庵くんがそういう人で良かったなぁ、って思ってるくらいなんですから」

「どういうこと?」

「いえ、こちらの話です」


 首を傾げた庵に、明澄ははぐらかすように庵の肩にもたれかかってくる。


 そうやって身を預ける明澄が、公園内を歩く家族連れに羨望と憧憬の眼差しを向けていることに気が付いて、明澄の望んでいることに何となく察しがつく。

 きっと、明澄には欲しいものが沢山あるのだろう。


「それに、あの子のお母さんが迎えに来るまで、庵くんがわざわざスケッチブックを買ってきて、絵を描いてあげたりした時には、ちょっと感動したくらいでしたもん」

「大袈裟だなぁ。最近スケッチブックをかなり消費してたから、その補充のついでなんだけどな」

「買ってくるまで結構時間をかけてましたし、探し回ってたんじゃないですか? 普通はできることじゃないですよ」


 時間が掛かったのは、ついでに近づく明澄の誕生日に向けてこっそりプレゼントを調達していたからなのだが、サプライズなので黙っておく。


 因みにプレゼントはバレないようにロッカーに預けているから、ショッピングモールに戻ったら後でしれっと回収するつもりだ。


 庵がイラストを描いてあげた事に対して、明澄が「いいなぁ」と羨ましがっていたので、誕生日プレゼントにはそれも追加することになるだろう。


「……そうだ。仕事といえば十六日に向けて順調か?」

「ええ、順調ですよ。十四日と十五日に最終リハの予定です」


 氷菓のバースデーライブまで一週間を切っているし、もう大詰めの段階だ。以前聞いたところ、収録が必要なものなどは済ませているらしいが、最終リハのみとなると、いよいよという気がしてくる。

 庵もかんきつとして既にメッセージなどは撮り終えているから、あとは当日を待つだけだ。


 ただ、明澄の誕生日に関しては、まだやることが残されている。バースデーライブの前日にある明澄の誕生日を祝うという大切な予定と、そこで庵が明澄に抱く気持ちと関係に決着をつけることだ。


 このもどかしい距離感も感情もあと数日で、一つの結末を迎える。


「良かったら見に来てみますか?」

「いいのか?」

「皆さんも会いたいって言ってましたからね」

「だったら挨拶くらいには行こうかな」


 一度見学してみたかったし、夜々よよ瑠々るる辺りにはかなりお世話になってるので、直接お礼をしておきたいところだ。

 前日は忙しいだろうから、十四日の放課後にスタジオへ出向くことになった。


「二年くらい前からオフでお食事に誘うという、お話も出てたんですよ」

「そうだったのか。それにしても、もう二年以上になるのか。大きくなったよなぁ」

「ええ、あの頃の迷子みたいだった私からは考えられません。澪璃さんや事務所に見つけてもらって、特に庵くんと出会えたのは幸運としか言いようがありませんし」

「俺も仕事に関しては幸運だったと思うよ」


 庵も明澄も若いながらも、仕事では交友関係に恵まれている方だ。

 信頼出来る友人やパートナー、大手事務所、と努力の結果と二人の人柄もあるけれど、やっぱり都合が良すぎるくらいに恵まれている。


 私生活でも今年の初めから交流をするようになって、今では明澄が大切な存在になりつつあるし、明澄との関係にまた変化が訪れようとしている最中だ。


 プロデビューした頃からすると、信じられないくらいに変化があったし好きな人も出来た。

 こんなに幸運なことは他にないだろう。


 しみじみとしと懐かしんでいる明澄の隣で、庵もまたこの数年間に思いを馳せていた。


「迷子で思い出したんですけどね」

「うん?」


庵が懐かしい記憶を辿っていると、不意に明澄がぽつりと切り出す。隣に目を向ければ彼女は瞳を伏せていた。


「庵くんが言ったあの迷子っていう、あれは言い得て妙かもしれません」

「どうして?」

「たまにまだ私は迷子なのかなぁ、って胸をよぎる時があるんですよね」


 明澄の瞼が開かれると、寂しそうにした千種色の瞳が庵に向けられる。

 心配させない為か、表情を取り繕いながら苦笑している明澄だが、近くに居た分庵は誤魔化されなかった。

 苦笑の中にはっきりと、明澄の孤独を感じさせるものが混じっていた。


「そうか……一人にしないって言った約束守れてなかったかな」


 寂しげな明澄に申し訳なさが込み上げてきた。

 春休みのあの日に誓った約束は、果たしてどれだけ守ることが出来ているのだろうか。


 返答によってはきっと明澄を――。


「そんなことありません。過去を振り返ったら、ふと湿っぽくなってしまっただけなので。今は庵くんのお陰で寂しくはないですし、それは大丈夫ですよ」

「ん」


 ふるふると頭を振って明澄は、不安げに庵が放った言葉を否定し、続けて「やっぱり迷子は違いました」と微笑を浮かべた。


 どうやら約束は守れていたらしい。

 返答次第では明澄に触れていたであろう手を引っ込めて、庵は微かに強ばらせていた口許を緩ませた。


「それで、あのですけどね……もう迷子にならないように、その……手を繋いでいて、くれ、ますか?」

「はいはい」


 おずおずと手を差し出してくる明澄に、庵は仕方なさそうに笑いつつ握り返すと、繋がれた手が二人の間を埋める。


「……ふふっ。ありがとうございます」


 握られた自分の手に満足した明澄は、ふにゃりとふやけたような笑みを浮かべ、また庵にもたれ掛かるのだった。

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