第99話 見つかる聖女様
ぽこりとお腹に拳を受けたものの明澄が機嫌を損ねた様子はなく、軽いじゃれ合いを挟んで引き続き店内を巡っていた。
色々と目移りさせながら店内を回るのだが、ただ明澄に関してははたびたびさっきの虎パーカーに目を奪われるなど未練があるらしく、庵はその都度隠れて苦笑をこぼしたりもした。
そんな明澄も、アクセサリーが並んでいる区画に立ち入ると、興味は別のものに惹かれたらしい。
可愛いです、なんて口にした明澄の視線は、雫を象った淡い青色のクリスタルがあしらわれたフックピアスに注がれている。
「素敵なデザインですね」
「綺麗だけど学校があるし、付けられないのは勿体ないな」
「仕方ありません。卒業まで待つことにします」
こういったアクセサリーを好む明澄だが、校則を破ってまでお洒落をするような性格でもない。手が出せない事にしゅん、としながら諦める明澄には真面目だなぁ、と庵は感心しきりだった。
値段も安めで、ライトブルーのカラーリングは明澄の瞳の色とそっくりだからさぞ似合ったに違いない。
「とりあえず買うだけにしとくか?」
「いえ、買ったら魔が差しちゃいそうなので、やめておきます」
ダメと分かっていても、手元にあったら手が伸びてしまうのは容易に想像が出来る。
多少の苦さを含ませて笑う明澄の瞳には、僅かに悪戯っぽさが混じっており、いつ聖女様じゃなくなるか分からないと言いたげだった。
(誕生日プレゼントとかに良さそうだと思ったんだけどなぁ)
ピアスを諦めて会計のカウンターに足を運ぶ明澄の隣で、庵は思案する。
実は今日のお出かけは、来月誕生日を迎える明澄へのプレゼントのリサーチも兼ねている。
庵は余計な事をしてしまわないように、ピアスはピックアップから外した。
「あの、エプロンですけど、本当にプレゼントしていただいて良かったのですか?」
会計を済ませて店を出て少し歩いたところで、明澄がそう言いながら見上げてくる。
明澄のエプロンは庵がお金を出した。高いものではないし、試着室の件で揶揄ったお詫びのつもりと、パーカーとピアスを買えなくてしょんぼりしていたから、明澄に元気を出してもらいたかったのだ。
「どうせ俺の家に置いておくやつだしな。いつもの夕食のお礼として受け取ってくれると嬉しい」
今まで明澄が庵の部屋で料理をする時は、わざわざ自宅から持ち込んでいたので、あのエプロンは庵の家専用ということになった。
基本的に、夕食に関してお互いに金銭などの対価を受け取らない取り決めになっているが、これは例外だ。
「それなら、私だって庵くんにエプロンをプレゼントしてあげたかったです……」
「あー、そっか。じゃあ、買いたい調理器具があるし、また買いに行く予定だから、その時にお願いしようかな。それでいいか?」
「約束ですよ?」
むすっとしている明澄の言うことはもっともだったから、妥協してまたお出掛けの約束を取り付けた。
「それにしても、店員さんに、か、カップルと間違えられちゃいましたね」
ふと明澄は、頬に仄かな赤みを携えて苦笑しつつ、ちらと庵を見上げる。
実は庵がエプロンをプレゼントした理由は、そのことにも一因があった。カウンターに並んだ際、店員から「お会計は一緒ですか?」と、一声掛けられたからだ。
元々、プレゼントしてあげるつもりだったけど、その一言にあと押された形だった。交際関係にある間柄では無いけれど、男としてはこういう時くらい、格好をつけたいのである。
ついでに庵が頷いた際には「彼女さんが羨ましいです」なんて、カップルだと勘違いされたりしたのだ。
それに庵と明澄の服装はどちらも白と黒を基調としていて、カップルでモノトーンコーディネートを楽しんでいるようにも見える。
勿論、示し合わせたものではなく単なる偶然なのだが、周りからすれば事情なんて知りもしないので、お揃いコーデをしている恋人同士に間違われても仕方ないだろう。
「普通はそう見えるんだろうな」
「やっぱり、そうなんですねぇ」
隣から、どこか声音に嬉しさが乗ったような呟きが耳に届く。
庵としては服装が、という意味を込めたつもりだったが、明澄はそれを別の意味に捉えているように思えてならない。
気になって横目で確認してみたら、明澄がにへらっと眦を下げながらとろけるように笑っていて、不覚にも心臓が跳ねそうになった。
庵は慌てて視線を外し、冷静になろうと努めてみたものの、可愛くにやけている明澄の顔が見たい、という誘惑に勝てなくて、もう一度見てしまう。
「どうかしました?」
「い、いやなんでもない」
「そうですか?」
相変わらず明澄はへにゃりと嬉しそうに表情を綻ばせており、その愛おしさにはついつい手が伸びてしまいそうだ。
店内と違って人の視線は多いわけで、庵は自制心を働かせてなんとかその手を収めるが、それでも明澄に触れたいという欲は残ったまま。
せめて手を握るくらいは許してもらおう、とそんな風に言い訳をしながら、明澄の掌に触れようとしたところで、すれ違い様に声を掛けられて、手を引っ込めた。
「あれ、朱鷺坂君と水瀬さん?」
どこか聞き覚えのある声がして、庵と明澄が恐る恐る振り向くと、そこには二人が通う学校の制服を纏った三人組の女子がいた。
「あ……」
ついに見つかった、と庵は微妙に引きつった表情を浮かべる。
「あら、こんにちは……」
三人へ顔を向けた明澄は軽めの会釈をしたのち、どうしてか庵の腕を取ってくっつく。ものすごく刺激的な柔らかい感触を享受したが、今はそれどころじゃない。
二人で居るだけなら兎も角、密着なんてしていたら誤解されてもおかしくないし、結構恥ずかしいものがある。
庵が困惑していることに気付いていない明澄は、不安そうな表情でむぎゅう、と庵に身体を寄せていた。
すると、女子たちは微笑ましそうに身振り手振りで明澄に「大丈夫、大丈夫」と伝えていて、明澄は安堵の溜め息をついて庵の腕を解放した。
それがなんのやり取りだったのかは、庵には見当が付かない。
きっと女子の間でしか分からないものがあるのだろう。推測は不可能と思われるから、特に気にしないでおく。
「えっと、二人って付き合ってたんだ?」
三人のうち、ふんわりカールの金髪を携えている女子が、驚いたように庵と明澄へ交互に視線を配る。
ばっちりお洒落をしている明澄は目立つし、判別は出来るだろうが、庵が見抜かれたのは意外だった。
(確か、サッカー部のマネ、
目の前にいる彼女の名前と所属を、朧げな記憶から蘇らせることに成功した。
彼女は進級直後、胡桃が庵と引き合わせた女子二人の内の一人で、胡桃から名前を聞いたりしたから、一応ある程度の情報はある。
日曜日なのに制服姿なのは、学校での用事の帰りか、部活の買い出しの途中か何かなのだろう。
「お付き合いはしてないですよ」
「えー! 嘘だーっ!」
「いえ、本当ですよ。まぁ、お好きに解釈して頂いて結構ですが」
明澄が否定したところで、川崎は信じなかった。
そりゃあ今の二人は友達とは言えない距離感だし、当然と言えば当然だろう。
他の二人も「絶対付き合ってるって!」なんて、きゃいきゃいと盛り上がっていた。
庵としてはまぁまぁ不味い状況だ。
このままだと確実にクラス中、いや学年全体に噂が流れる。そうなったら面倒な事が起きるのは火を見るより明らかだ。
明澄との関係を否定するのは嫌だし胸が痛む。関係を進めていない以上仕方ないし、そこはヘタレている庵の自業自得だ。
「彼女の言ってることは本当だよ。俺たちはそういう関係じゃないから、信じてくれると嬉しい。親しいとは思うけど、あんまり誤解されるのはね」
「うーん、クロだと思うけど?」
「せめてグレーくらいにしておいてくれ」
明澄のフォローを兼ねて、庵からもきちっと否定の言葉と立場を表明しておく。
この上ないくらい胸が苦しくはあるけれど、誤解をあえて解かないのは嘘をつくことと同義だし、付き合ってもないのに交際を匂わせる最低な男になることに比べたらマシだ。
自分たちの関係を明言すると、明澄が二の腕に頭を押し付けてきて、見下ろした先でぶつかった千種色の瞳に不満げに見つめられた。
対応は間違っていないはずだが、如何せん慣れないことだからどこか不備があったのかもしれない。ここで聞くわけにもいかないので、触れるのは後にする。
「前々から噂はあったんだけどさ。こうしていざ目にすると、ねぇ?」
「だよね。これは言い逃れは……ま、あたしらがごちゃごちゃ言うことじゃないか」
「それもそうだ。もう邪推はしないよ」
「ご理解いただけて何よりだ。あと、変に噂をばらまかないようにしてくれると助かる」
三人は訝しんでいたものの納得したらしく、懐疑の眼差しを鞘に収める。
本当に理解してくれたかは謎だけど、こちらから釘を刺すのもくどいから、お願いをしておくだけに留めた。
「おっけーおっけー! 変なことになったら責任負えないし、二人が逆の立場でもそんなことしないだろうしね」
川崎は聞き分けが良く庵のお願いに理解を示して爽やかに笑っていて、残りの二人も首を縦に振ってくれる。
「まぁ、人の口に戸は立てられないと言いますから、期待はしませんけどね?」
「水瀬?」
納得した三人へこれ以上言うことは無いのだが、明澄は片目を瞑りながら、川崎たちに向かってそう口にしていた。
敵意や過失のない他人へ、明澄がチクリとした言葉を放つのは滅多にない。
だとしても彼女に悪意があるとは思えないが。
明澄の口振りに、彼女たちがどう反応をするのか気になったが、川崎は「水瀬さんってば大胆だね」とにやけていた。
悪い意味に捉えた様子はなく、寧ろ楽しげにしているのだから不思議だ。
それから川崎は、哀愁と諦観を感じさせる笑みで庵を一瞥してから、僅かに温かみのある表情へ切り替えて視線を外した。
「よっし、そんじゃ我々は退散するとしますか!」
「邪魔者扱いはされたくないしねー」
「それな」
川崎がにこやかに笑いながら宣言して、両脇の二人と顔を見合わせると、彼女たちも特に異論はないらしく同調する。
「というわけで聖女様、胡桃ちゃんによろしく。また学校で詳しく教えてねー!」
ぴっ、とおどけるように敬礼のポーズをとった川崎は、明澄にそう告げて手を振る。
それから、と何やら明澄に川崎が耳打ちをするのだが、メッセージを受け取った明澄は薄ら頬を赤く染めて、こくりとひとつ頷いていた。
そうして去っていく川崎たちを見送る中、庵は最後まで分からなかったなぁ、と庵は蚊帳の外の気分を味わう。
川崎たちが見えなくなる頃には、首を捻っている庵の腕に明澄が何も言わず、すっと肩を寄せてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます