第98話 聖女様とお似合いの
広告の氷菓たちにお別れを告げた後向かったのはショッピングモールで、気になるものを見かけては立ち寄ってを繰り返しながら、ウィンドウショッピングを楽しんでいた。
微妙に不機嫌だった明澄の表情は、お店を見て回っている内に緩んだものに戻っているから、どうやら機嫌を直してくれたらしい。
今では度々振りまく愛らしい笑みのお陰で、絶賛周囲の視線を集めている最中だった。
どこへ行っても明澄のお淑やかなオーラは、色々と引き寄せるものがあるのだろう。時々幼さも明澄は垣間見せるのだが、それがまた大人びた雰囲気や振る舞いを魅力的にしている。
時折現れる明澄の子供っぽさを目にすると、特にすれ違う通行人たちからの視線などから守ってあげたくなるものだ。
ただ、当の本人はまったく気にしてすらしていないようで、その分警戒していた庵は「声を掛けてみようぜ」という不埒な声に気付く。
隣に男がいるというのにいい度胸だ。
明澄の手を引いて、近くのお店に避難することにした。
「何か見つけましたか?」
「ああ、ちょっとな。あのエプロンとかいいなって」
こてんと首を傾げる明澄に悟られないように、適当に理由をでっち上げておく。
店に連れ込んだ経緯を知られたら、きっと明澄に紳士だなんだのと微笑まれたりして、揶揄われるに決まっている。
「落ち着いた色味ですし、庵くんに合いそうですね」
「軽く合わせてみるか」
適当に理由を作り上げはしたが、案外良さそうなデザインのエプロンだった。
ふむ、と明澄はエプロンと庵を交互に見やりつつ何やら分析していたが、庵にエプロンを着させた想像でもしているのかもしれない。
普通の服と違ってサイズにシビアというこもないだろうから試着はせず、庵はエプロンを手に取ると身体の前に合わせてみた。
「あ……とても似合ってますね」
「そうかな?」
「はいっ、すごく良いです。なんて言うか、その格好でお帰りって言われたい気分になります」
鏡の前に立って見たところ確かに悪くなかった。黒地の布は質素と言えば質素だが、ポケットが多めに付いていて便利そうだ。
派手なデザインを好まない庵からするとぴったりな造りで、庵の中では既に買うことが決まる。
エプロン姿を何度も見せている明澄からの感触も、色々な意味を含みつつ良好だった。
「言われたいのか?」
「私はお家に帰っても誰もいませんしね。……ちょっとした憧れがあるのです」
「そっか。まぁそれくらいなら言ってもいいけど」
一人暮らしをしていると「ただいま」の一言が、暗い部屋に虚しく響くだけでいつの間にか言わなくなるし、あの寂寥感は味わわないで済むのなら味わいたくないものだ。
言っても仕方の無いことだとは、重々承知ではあるのだが。
ただ、庵の場合は明澄に合い鍵を渡しているので、彼女が先に部屋にいる時には「お帰り」が聞けるから恵まれている方だろう。
一方明澄の場合は部屋で誰かが待っていることは無いので、寂しく思ったり憧れるのは当然と言えた。
「……いいのですか?」
「何か不都合があるわけじゃないしな」
庵がすんなりと返事をすると、明澄は「やった、言ってくれるんだ」と嬉しそうに呟いていた。
帰ってきたら、あの温かいひと時を享受している身からすれば、お返しをしたい気持ちはあっても断る理由はない。
些細ではあるけれど、たった一言で明澄が喜んでくれるなら、叶えてあげたいと思う。
「なんなら今でも良いけど?」
「お、おうちでお願いします……そうじゃないと意味がありませんので」
冗談めかして言えば、明澄はふるりと頭を振る。
「ふふ。でもこれで、毎日寂しくないです」
後ろ手を組んで覗き込んでくる明澄は、はにかんで見せる。
その明澄の甘い呟きはあまりにも都合のいい解釈をしてしまいそうになって、庵は目線を逸らす。
けれども、胸の辺りの疼きはとっくに勘違いしてしまったようで、すでに暴れ出していた。
「……あ、このエプロンとか明澄に良さそうだけど。どうだろう? あっちのフード付きのパーカーとかも」
「あら、可愛らしいですね。こっちのパーカーもフードに猫ちゃんの耳が付いてて、良いですね」
速まる鼓動を鎮めるため、話題を変えつつ視線で誘導すると、明澄は薄ピンク色のエプロンと、上下セットになっているプルオーバーの白いノースリーブパーカーを手に取った。
エプロンは、庵が手にしているものと色違いっぽいが、腰の位置にリボンがあしらわれていたりと僅かに違う。
ふとした可憐さがアクセントになって、清楚な明澄にとてもよく似合いそうだ。
さっきの庵と同じようにエプロンを合わせている明澄を見やると、やはり似合っている。
いつもの機能性を重視した白一色のエプロンも良いけれど、こんな愛らしい姿で帰宅を迎えられたいものだ。
「ど、どうでしょう?」
「うん。いいと思う」
「分かりました。じゃあ、買います」
おずおずと、反応を伺う明澄は一言感想を貰うと、間髪入れずに購入の意志を固める。
是非、着て頂きたかった庵としては、心の中で小さく拳を握った。
パーカーの方はサイズの確認があるから、試着のために明澄はカーテンの向こうへ姿を隠した。
衣擦れの音と女性もののコーナーにいるためか、待つ間の居心地は視線を含めて精神衛生上とてもよろしくない。
店員からは挨拶代わりなのか「彼女さんですか?」なんて声を掛けられるし、今すぐにでも店の外に逃げ出したい気分だが、明澄を放置したら後が怖い。
今か今か、と待ち侘びていたところ、カーテンに少しの隙間が生じて、そこから明澄がひょこっと顔だけ出してきた。
ぴこぴこ揺れる耳付きのフードが、明澄の小動物っぽさを一段と強めている。美少女と動物の組み合わせは間違いなかったが、どうしてか全身は見せてくれなかった。
「……まだ着替え中?」
「ち、違います。これ、少しタイトなのでボディラインが出ますし、全部はちょっと。しっぽまでついてましたから、恥ずかしくて」
どうやら、デザインが問題らしい。
明澄は赤らんだ顔を、フードの中に隠すように伏せる。
ついでに「あと、耳としっぽは、とらさんのでした」と、謎の報告をしてきた。
「なるほど。それでご購入の意思は?」
「え、えと……実はおやすみ用らしくて、庵くんのおうちで着るのは勇気がないので、遠慮しておき、ます……」
「いや、別に俺の部屋で着る必要は無いと思うけど? それとも、俺の部屋で着る予定がおありで?」
「あ、あっ……。け、決してそういうつもりではなくてですね……! でも、庵くんに見られたくない、わけでもないんです、けど……」
今見せるのは兎も角、自宅で着るだけなら問題無いだろうに。何を勘違いしていたのか。
庵に突っ込まれ、あわあわと弁明を試みている明澄だが、かえって誤解を招いている気がする。
不意にどきっとさせられて困惑している庵を余所に、明澄はきゅうっとゆでたこになりつつ、試着室の中に引っ込んでしまった。
まさか、わざわざ部屋で寝間着姿を見せるつもりだったのだろうか。
何の目的で、どういうつもりだったのだろう。真相はカーテンの向こうだが、それは考えるだけで危険な妄想だ。
振り払うように試着室に背を向けると、にっこりと笑う店員と目が合って、恥ずかしさからどうにかなりそうだった。
「……お、お騒がせしました」
「あ、ああ。うん別にそんなことないけどな」
着替え直して試着室から出てきた明澄は、まだ淡く色づいた頬のままそっと虎パーカーを棚に戻す。
別に部屋で庵に見せる訳では無いから、買ってもいいのだろうけど、あの羞恥を経験した後だと買いづらいのかもしれない。
「……あ、あれは私の勘違いなので……忘れて下さると嬉しいです」
店内で他の雑貨などを見てぶらついている最中、おろおろとしながら、そんな言い訳を明澄がぽそりと囁く。
「無理かなぁ。ばっちり記憶してる」
「〜〜っ!」
意地悪に返した庵に「庵くんのばか……」と、明澄がぽこぽこお腹に正拳突きをしてきた。
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