第97話 聖女様は嫉妬する
家を出てまず向かった先は、最寄り駅から二駅のターミナル駅にあるコンコースだった。
通勤通学の時間帯を避けた日曜日の朝ということもあって人通りはやや少なめだが、駅の奥へ進むに連れて人が増えていく。
やがて改札があるホールに直結したコンコースまでやってきて壁に目を向けると、そこには氷菓を筆頭にポスターに描かれたぷろぐれす所属のライバーたちが、まるで踊るかのように並んでいた。
これが庵と明澄のお目当てのものだ。
「おー結構壮観だな」
「凄いですよねっ」
VTuber事務所ぷろぐれす所属のライバーが五十名に達したことによる記念広告らしい。
張り出されたポスターの反対側の壁には、巨大なデジタルサイネージがあり、様々な映像が流れている。
3D姿の氷菓が走ったり跳ねたり、はたまた他の仲間たちと戯れていたり。
自分が登場していることもあって、明澄が見に来てみたいとのことで、庵も自身が描いた氷菓がお披露目されている姿を一目見ようと思った次第だった。
「庵くん、ほら見てくださいっ。みんな映ってます」
通行人がいるから、程々にはしゃぐ明澄は庵の手をぎゅっと握りつつ、感慨深そうに呟く。
氷菓や同僚たちで彩られた空間の中、彼女は目を細めていた。
傍から見ればファンのように見える口振りだが、庵視点では氷菓本人である明澄の心境がよく分かって、隣で微笑みを落とす。
一緒に駆け抜けてきた二年半を思えば、庵もまた感慨深かった。
「あんまりはしゃぐなよ」
「ええ。あ、プロモーションムービーの出来も凄いですねぇ」
注意したのは迷惑よりも身バレに気をつけろよ、という意味だったのだが、気付いていなさそうな明澄は広告に眼を煌めかせては庵の手を引く。
ライバーたちが映し出されているデジタルサイネージの規模は、十数メートルはあろうか。
端から端まで鑑賞するため、明澄と一緒にコンコースをゆっくりと見て回る。
おそらく明澄は、この広告の映像やポスターを世に出る前から確認しているはずだが、それでも楽しそうなのは、やはり実物を生で目にしているからだろう。
演出の一つ一つにリアクションを零している明澄は、小さな子供のようだ。
庵に何度も「ねぇねぇ」と呼びかけ、敬語を忘れて砕けた口調になっているあたり、中々に満喫しているらしい。
庵が周りに目をやると、明澄と同じようにはしゃぐファンと思しき通行人たちが見受けられる。
写真を撮ったり映像をスマホで動画にして保存したりと、この特別な空間を存分に楽しんでいるようだった。
「写真撮ってやろうか?」
「お願いします……あ、庵くんも一緒がいいですね」
「おう」
良い記念になるだろうし記憶に留めておくだけでは勿体ない、というか庵的には珍しくテンションがお高めの明澄の姿を切り取って残したかった。
スマホを取り出した庵が離れようとするのだが、物寂しげに呟く明澄に袖を引っ張られる。
二人でお出掛けに来たのだから、ということだろうか。一緒に写真を撮ることに意味がある、と言わんばかりだが実際その通りだ。
明澄の元へ戻って、氷菓のポスターの前に二人で並んだら、インカメラを起動させ自撮りをする形で画角を合わせていく。
その際、必然的に明澄が腕に寄って来るが仕方あるまい。体勢的には幸いにも、よろしくない感触はしなかったので、ほのかなミルクの甘い香りを味わうだけに留まる。
「撮るぞ」
「はい」
氷菓のポスターを背に明澄と挟む形で画角に収め合図を出せば、明澄は少し恥ずかしげに人差し指と中指の二本を立てた。
庵も隣でVサインを掲げて、スマホのシャッターを切った。
何枚か取り直しや角度を変えたり、別のポスターやサイネージの前で、パシャパシャと二人は思い出を切り取っていった。
「綺麗に撮れたな」
「庵くんは写真を撮るのがお上手ですもんね」
現代のスマホは高機能で、素人の庵でも調整をせずとも高クオリティの写真が撮れるのだ。
明澄は褒めてくれたが、遠回しにコスプレの撮影会のことを言われているような気がしないでもない。
口調からしてコスプレの件が不満な様子ではないことに安心して、カメラロールを見返していた。
「こんな時間でもすごく賑わってますねぇ」
「ぷろぐれすもデカい箱だしなぁ」
「こんなに大きくなるなんて思ってなかったですから、ちょっとびっくりです」
時間が経つにつれてコンコースには人が増えていて、至る所できゃいきゃいといった声が立ち上っている。
比較的若い層が多いものの、たまに四、五十代ほどのファンの姿も見られるから、本当に人気のあるクリエイターグループなんだな、と尊敬の念が湧いた。
ひとしきり写真を撮り終え、個人的にカメラを向けている明澄を眺めていたら、若い女性二人組の声が庵の耳に入ってきた。
「この、うかまる可愛いねー」
「元々個人勢だったのに凄いよね。てか、かんきつくんも一緒にいて欲しかったんだけどなぁ。まぁ、個人だからありえないんだけどね」
「先生かっこいいしね、分かるわー。なんなら私、昔から先生のファンだし」
「声とかすごく良いし、イラストほんと可愛いもんね」
彼女にかんきつは欠かせない存在だから、ここに彼のファンがいてもおかしくない。
チャンネルを立ち上げたのはつい最近だが、今人気のイラストレーターというだけでなく、明澄のチャンネルを筆頭に多くの配信に出演していることもあり、かんきつのリスナーは多いのだ。
耳を澄ませばちらほらと、かんきつについての会話が聞こえてきた。
こうしてみると、愛されているんだなぁという実感が湧いて、つい嬉しくて目許が綻ぶ。
配信のコメント欄、SNSのリプ欄などには沢山応援の声が届くが、直接聞く機会なんてほぼ存在しないから喜びも段違いだ。
仕事内容や絵柄からして比較的男性のファンが多く、若い女性のファンはそこそこ貴重だ。好みやファン層の偏りは仕方ないが、願わくば老若男女問わず好きになって欲しいもの。
チャンネルを立ち上げてからは、どうしてか女性ファンが爆増していたりするのだが。
庵が目の前の女性たちを視線で追いつつ、心の中でありがたく思っていたところ、明澄が背中に頭突きをしてきた。
「……庵くん、彼女たちが気になるのですか?」
「いや、……うんまぁ。そんな感じ?」
「そうですか、そうですか。へぇーなるほど」
鈍い感触がした方向に視線を落としたら、明澄がやや冷たげな瞳でこちらをじぃーっと、見つめてくる。
気になるというのは語弊があるが、ここではファンに嬉しくなっていたとは言えないので、煮え切らない言葉で返した。
すると、さらに明澄の機嫌が悪くなって、ぷいと顔を背けられる。唇を尖らせている明澄にぐいぐいと腕を引っ張られて、ポスターの方から人気の少ない隅に連れて行かれた。
不満そうな理由に見当がつかない訳では無いが、余計なことを口にしても仕方ないから、とりあえずは明澄の頭を撫でる。
「そ、そうやって誤魔化そうとするんですから」
庵が撫でつけたあと、明澄はまた不満げにしながらも、やや頬を赤く染めてすぅーと目線を下げる。
「なんか悪いことした?」
「べつになんでもないですし……強いて言うなら今日は私が庵くんを独り占めする日なのです、とだけ言っておきます」
眉を困らせる庵に、顔を上げた明澄はぼそりと告げて、またすぐに瞳を伏せて唇をきゅっと結んでしまった。
それを庵は放ったらかしにするな、という意味だと捉えて「左様ですか」と、若干バツが悪そうな表情を浮かべる。
確かに一緒にお出掛けしているのだし、いくらそういった関係でないとはいえ、別の女性に目をやるのは失礼だろう。
定義的にはどう見てもデートだが、一人で舞い上がらないように我慢していた。でも、明澄に間接的にそう言われたからには、こちらもより紳士に振る舞う必要がありそうだ。
嫉妬かは分からないが、不満そうな明澄に庵は苦笑を零した。
「なので、目移りした庵くんには、めっ、しておきます」
いつまでも拗ねているほど子供では無いので、明澄は庵に人差し指を向けて、可愛らしく警告を一つ落とす。
庵は僅かに機嫌を持ち直した明澄をいつもより尊重することに決めて「肝に銘じておきますよ、聖女様」なんておどけながら手を差しのべた。
「よろしいです」
庵の視線も手も献上されたことを確認すると、明澄は薄く赤らめつつ微笑んで、また手を握りしめるのだった。
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