第94話 黒板と奏太の応援
初配信やオフコラボやらなにやらと忙しかった五月を駆け抜け、もうすっかり梅雨入りした。
そんな六月上旬の某日。雨後のじめじめとした教室で、ぼんやりと窓の外を眺めていると、視界の端に流麗な銀髪が映った。
「あのう。朱鷺坂さん、黒板の清掃を手伝って頂けませんか?」
のんべんだらりと机に伏している庵を覗き込む様に、どこか遠慮がちに明澄が声を掛けてきた。
先程の授業は少し長引いて休み時間に浸食したうえ、かなり黒板に板書されている。黒板を綺麗にするのは重労働だし、明澄一人では大変だろう。
いいよ、と即答した庵は、明澄と一緒に教壇へ上がった。
「そういや、もう一人の日直は?」
「次の授業のプリントを取りに行って頂いているんです」
「なるほど」
周囲から視線が突き刺さるのを感じながら、明澄と黒板に手をつけていく。
聖女様と崇められるだけあって、一挙手一投足が注目される。以前までの明澄はこうなることを予見して、他の女子に頼ることが多かった。
だから、初めて自分を頼ってくれたことを庵は密かに嬉しく思う。加えて居心地の悪さも味わいながら、黒板のチョークを拭き取っていた。
「すごく丁寧な拭き方をするんですね」
「そりゃ、ゆっくりしないとお前に粉がかかるし、綺麗な髪が台無しになるだろ? ま、粉を被っても綺麗だろうけど」
身長差から黒板の上部を庵が拭き取っている。だから、雑に黒板消しを扱うと粉が舞って、下部を担当している明澄に降りかかってしまう。
当り前の配慮だと思ってそのまま伝えたつもりだったが、明澄はさっと顔を隠すように下を向いていた。
「あなたはどこまで……」
「ん?」
「……もう。みんなの前で恥ずかしい……」
ぽしょりと、庵に聞こえないくらいのか細い声で明澄は呟く。加えて、こちらを見ずぺしっと二の腕を叩いてくる明澄の意図が分からず、庵は首を捻った。
「ありがとうございました。お陰で早く終わる事が出来ました」
「おう。またなんかあったら声掛けてくれ」
数分後、黒板の清掃を終えると、体の前で両手を揃える明澄がにこやかな笑みで軽く会釈してきた。
男子にはあまり見せない笑顔の所為か、周りからは「なんでアイツが?」といった声が僅かに漏れているのが確認できた。
「あ……ちょっと待ってください」
「ん?」
軽く手を振りつつ席に戻ろうとしたところ、明澄に呼び止められる。
「肩に粉が掛かってますよ。ちょっとじっとしててくださいね」
「おお。さんきゅー」
どうやら肩にチョークの粉が付いていたらしく、掛かった粉を明澄にはたいてもらう。
すると、さらに視線が集まって「いいなぁ」と妬まれもして、余計に居心地が悪った。
(自販機にでも行くか)
「おかえり朱鷺坂君。大変だったね」
教室に居づらいなぁ、と思いながら席に戻ったところ、苦笑する奏太に迎えられた。
勘弁して欲しいよ、と愚痴る庵は鞄から財布を取り出す。
「自販機に行くのか? オレもついて行っていい?」
財布を手に取ったことで、庵が飲み物を買いに行くことが分かったのだろう。
お供に奏太が付いてくることになった。
「人気者は大変だな」
自販機に辿り着き、ジュースの缶に口をつけていると、奏太がぽんと庵の肩に手を置いてそう言う。
あの様子を傍から見ていて何を思ったのだろうか。若干ニマリと目を細めているから、恐らく面白いと思って揶揄ってきている。
気に食わないので「うるせー」と乱雑にその手を振り払った。
「ま、人気者ってか聖女様に近付く男め、って感じだろ」
「近付いたのは彼女のほうだけどね」
「……そうだな」
「それで、君たちは進んでいるのか?」
「今度、遊びに行く約束をしてるくらいには」
「へー」
明澄とは年明けの頃と比べものにならないほど距離が縮まった。庵なんて彼女に恋慕するほどだし、何となく明澄もこちらのことを悪く思ってはないのだろうとは分かっている。
庵としてはもう少ししたら覚悟を決める時が来るんだろうなぁ、と密かにタイミングを見計らっているくらいだ。
「君が女子とデートするなんてね」
「デートってか、あいつと遊びに行くだけだ」
「それを世間ではデートと言うんだよ」
隣で感慨深そうな表情を向ける奏太から、デートという単語が出てきて庵は気恥ずかしくなる。
どこからどこまでがデートの定義なのか分からないし、明澄がそう思ってくれていないと庵としてはデートとは思えない。
一人だけ舞い上がるのはなんだか嫌で訂正したところ、奏太にはっきりと言われる。
ついでに「初心だなぁ」と奏太は彼女持ち特有の余裕な笑みを浮かべていた。
「それでそのデートとやで、お前に聞きたいんだけどな。女子と遊びに行くのに気をつけることとかってなんだ?」
「んー、いっぱいあるけど、君なら大丈夫なんじゃないかなぁ? まぁ一つだけオレからアドバイスをするなら、その髪は少し切っておきたいな」
デートでなくても、明澄を隣で歩かせるのだから絶対に恥はかかせたくないし、不快にもさせたくない。
庵が思い切って尋ねると、奏太は庵の髪に目を向け苦笑された。
「確かにちょっと伸ばし気味だったわ」
「朱鷺坂君は全然イケてるほうだけど、隅から隅まで活かし切りたいだろう?」
「活かせるならそっちの方がいいな」
身なりには割と気を使っている方だが、髪型が多少野暮ったくあるのは自覚している。
もさっとしている訳では無いけれど、寝癖くらいしか気にしないし、やはり整髪料くらいは使った方がいいのかもしれない。
「あ、そうだ。放課後だけど予定とかあるかい?」
飲みきった缶をゴミ箱に捨てながら奏太がそう尋ねてくる。
奏太は部活もあるし、基本的に胡桃と一緒に行動するので、こうして誘ってくるのは珍しい。
「特に何もないな」
「じゃあ、ちょっと付き合ってもらっていいか?」
「いいぞ」
今日は予定も無いし、奏太とは前に遊びに行く約束もしたので、遊びに出かけるのもたまには良いだろう。
二つ返事で庵は頷いた。
「何かするのか?」
「美容院にいこうかなと。オレもそろそろ髪を切りたいと思ってたし、君もついでにどうかなって」
「あー」
庵も散髪の機会をどこかで設けるべきだと思っていたから、面倒くさくなる前に早く切ってしまった方がいい。
男二人で美容院へ行くのはなんだか変な気もするけれど、折角の誘いなので庵は髪をいじりながら了承する。
「デートだからちゃんと決めて行かないとね。彼女にカッコイイ姿見せてあげよう」
「ま、それくらいはしないとな」
「うん、その意気だ。オレは君のことを応援してるんだ。いずれ良い結末を聞かせてくれよ」
明澄は気にしないだろうが、明澄と一緒に居てもつり合わないなんて言われないように、ちゃんと努力するべきだろう。
奏太はサムズアップしているけれど、暗にそう言われている気がする。
庵は缶を捨てつつ「いずれな」と答えると、奏太が肩を組んできた。ちょっと暑苦しいけれど、友人の気遣いと後押しはとてもありがたい。
胡桃もそうだが良い友人を持つことができたのは、庵にとって財産に等しいだろう。
「ありがとな、奏太」
「ああ。……庵、頑張れよ」
本当に良い友達を持った。そう思いながら庵が肩を組む友人に最大の感謝を込めて口にすると、奏太は白い歯を見せて笑う。
そうして放課後、奏太に美容院に連れられて、色々と変身するのだった。
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