第91話 二人きりのオフコラボ(開始前)
雨に降られたあの日から数日。
明澄との関係はいつも通りで、今も隣に座っているが大きく変わった様子はなかった。特筆するなら、ほんの僅かに違うのは明澄がもたれかかってくる回数が増えたことだろうか。
普段は稀だったのが、今では肩が触れることは当たり前になっていた。
話している最中や仕事中はもたれかかってくることはないが、お茶休憩の時や夕食の待ち時間などの無言の時間になるともたれかかってくるのだ。
落ち着ける時間のはずなのに、甘い香りと銀色の毛先が擽ったくて、落ち着かない変な感覚に陥っている。
体温にもすごく意識してしまうし、後になっても明澄に触れられるていたことが頭の中をよぎるから大変だった。
「明澄、そろそろ準備しようか」
「あ……そうですね」
明澄としたお出かけの約束とオフコラボの約束。
今日はそのうちのオフコラボの日だ。既に配信の準備は一通り終えていて、配信開始までのゆったりとしたひとときを、今日もぴったりともたれかかってきた明澄と過ごしていた。
庵が声をかけると、はっと気付いたようにして、名残惜しそうに離れた。
(そんな顔するなよ……離れにくくなるだろ)
この調子だと配信中に何かしでかしそうで本当に怖い。一緒にいることやスキンシップが増えているせいで、線引きがどんどん曖昧になっている。
どんな風に接していけばいいのかなんて、恋愛未経験の――否、恋愛初心者の庵には到底出しえない答えだった。
距離の詰め方やボディコミュニケーションなど、どこまでが許されるのだろうか。
隣でひたすら幸せそうに、上機嫌な笑みを零している明澄へ手が伸びてしまいそうになる。
配信まで時間も僅かだし、この場で明澄に手を伸ばしてしまったらおそらく遅刻する。
不用意な接触は傷付けてしまう可能性だってあるのだ。
大切にしたいし手離したくないと切に思う。庵は邪な感情を押し殺しながら、手を引っ込めてキーボードに触れた。
「あの? 庵くん、なんで手を引っ込めたんですか?」
「……気のせいだろ」
隠したはずだった手の行方は明澄に気付かれていたらしい。見上げるようにして問うてきた明澄に、庵は短くだけ言葉を発して目線を逸す。
素直に口にするにはちょっと恥ずかしすぎるし、不埒な内容だから無理だ。
「撫でるくらいなら良いんですよ?」
「くらいって……」
「私、庵くんに触れられるの好きなんですよね」
若干照れながらぽつりと言う明澄に、なんでとは聞けなかった。
へたれたのは自分の悪い所だったが、流石に配信前に聞いてしまったら多分色々と暴走するだろうし、思っていたものと違うような気がした、というのもあった。
ただ、何もしないでいることも出来ず、庵は駄目と分かっていながら明澄の頭に触れる。
「聖女様、これでいいですか?」
「投げやりなの……だめです」
いつものように優しく触ったら、ずっとしてしまいそうで雑に触れたから明澄は頬を膨らませる。
「そんなことないって」
「そんなことあります」
誤魔化そうとしたところ、ぷいっとそっぽを向いてクッションに顔を埋めた明澄に、ぺしぺしと腿を叩かれる。
ごめん、と苦笑しながら謝った庵は明澄の髪を丁寧に撫でつけておいた。
「庵くんのばか……」
クッションから顔を上げた明澄は、僅かに濡れた千草色の瞳を向けて、頬を染めながら可愛らしく罵ってきた。
とりあえず宥めておこうと、さらに庵がぽんぽんと明澄の頭の上で掌を跳ねさせたら、湿った瞳が伏せられる。
満足かなと、やめようとしたら「……まだです」なんて、引き止められたりして、今日のご機嫌取りは大変だった。
「最近やけにわがままだな」
「だって、遠慮しないって言いました……もん」
「そういやそうだっけ?」
「頑張る、と決めましたから」
クッションを抱きしめた明澄は、きゅっと唇を結ぶ。
何を頑張りたいんだろうか。分かるようで分からないし、曖昧すぎて当てはめたい答えはそれでいいのかと迷ってしまう。
「まぁそうだな。とりあえず今からのオフコラボ頑張ろうか」
「……庵くんはまた属性を足されたいのですか?」
じとっーとやや冷たげな視線で睨んでくる明澄に、庵は困惑しながら首を傾げる他なかった。
度々、属性をどうこう言われるが、庵は自分をひねくれ者の唐変木程度にしか思っていないからさっぱりだ。
明澄から認定されている属性は、現状だと『天然たらし』と『紳士』だっただろうか。
「今度は何の属性が足されるので?」
「……教えてあげません」
「えー」
当てはめられる基準が分からないから、これ以上何を付け足されるのか皆目見当もつかない。
尋ねてみても「自分で考えてください」と、明澄に突き放される。
「私の機嫌次第では教えなくもないですけど」
「左様で」
むすっとした様子で明澄がしなだれかかってくる。機嫌を取れ、ということだろうから、これは言いなりになるしかない。
明澄のご機嫌を取るために庵は再びその頭に触れて、優しく髪を梳いたり撫でることにする。
「ほんとに……ばか、なんですから……」
撫でられる明澄の口調はどこか嬉しそうだが、表情は少し不満げだ。もう少しは続けないとダメか。
こうして、庵と明澄は初めて配信に遅れることになるのだった。
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