第87話 聖女様は可愛がりたい

「いやぁ、疲れた疲れた」

「お前はやりたい放題してただけだろ」

「庵くん。お疲れ様です」


 配信が終わってすぐソファに沈みこんだ澪璃がだらんと伸びているが、一番疲れを感じているのは終始ツッコミに回っていた庵だろう。


 そんな庵を労うように明澄はお茶を淹れてくれているが、もしかすると一番大変だったのは明澄かもしれない。

 ありがたく思いながらコップを受け取った。


 オフコラボは結果からして大成功と言っていいだろう。いつもの三人の空気感を壊すこともなかったし、視聴者からの反応を見ても今後も期待されている。

 改めて庵は二人に感謝するのだった。


「ま、そんなわけで、お二人さんオフコラボ頑張ってねー」


 澪璃はダレていた割には素早くソファから腰を上げると、荷物を纏め二人に手を振る。


「もう帰るのか? 夕食くらい食べていっていいぞ?」

「庵くんが作るので私が言うことでないんですけど、ゆっくりされては?」


 てっきり澪璃はこの後もゆっくりすると思っていたので、明澄と一緒に澪璃も労う予定だった。

 性格的には明澄の家に泊まっていくくらいだと思っていたが、二人に誘われても澪璃は早々と荷物を纏めていた。


「んー。ありがたいけど、この後行かなきゃいけないところあるしね」

「事務所ですか?」

「うんにゃ別のところ。ま、夕食は別の機会ってことで」

「分かった。気をつけて帰れよ?」


 澪璃は料理を食べたいと言ってくれていたから是非味わって欲しかったところだが、用事があるのなら仕方ない。

 少し悩むような素振りも見せたから、嫌という訳でもないだろう。

 いずれまたと、二人は玄関まで澪璃を見送ることにした。


「うん。それにしても、二人はほんとナチュラルにここでご飯食べてるんだねぇ。いやぁ感心感心」

「感心? なにが?」

「さぁ?」


 嬉しそうというか楽しそうに澪璃は腕を組み、うんうんと頷いて、揶揄いを含んだ笑みを浮かべていた。


 言いたい事は分かるので、とぼけつつ「はよ行け」と庵は手で追い払う。隣にいた明澄は揶揄わないでください、と言いたそうに僅かに渋めの表情で澪璃を見ていた。


「あ、そうだ。庵君、あのかんきつくんの新しいビジュアルだけど、Tシャツの『らいむ』良かったよ」

「あ、ありがとう? そこ褒めるとこか?」


 ぽんと手を打った澪璃はふと思い出したようにそう告げてくる。

 褒めるところはもっと他にあったのでは? と思って庵は首を捻った。


「ライムの花言葉は『あなたを見守る』。あれ、明澄に対するメッセージでしょ?」

「……ッ!?」

「ふっふっふ。お見通しだよ。じゃあね」


 澪璃が庵の耳にぼそりと落としてきて、やっと彼女の真意が理解出来た。

 ちゃんと明澄に対して向き合い、色々と仲を深めようとしている事に対しての褒め言葉だったのだ。


 明澄に聞こえないように耳打ちをした澪璃は、にぃと白い歯を見せ、手をひらひらと振っている。

 あの『らいむ』に込めた意味の一つを、澪璃に簡単に解かれてしまって、本当に澪璃は探偵なんじゃないかと疑った。


「何を言われたんですか?」

「い、いや。大したことじゃないよ」

「そう、ですか?」

「庵君が寝てる時、あすみんが可愛い可愛いって言ってたり、寝てる庵君といっぱいツーショットの自撮りしてたよーって話」

「ッ!? そ、それは言わない話では!」

「そうだっけ? じゃあね〜」


 内容が内容なので尋ねられても庵は雑に誤魔化すしかなかったのだが、帰ろうとしていた澪璃がフォローしてくれた。

 明澄にとっては爆弾を投下されたようだが。


 澪璃だけが写真を撮っていたものと思っていたが、明澄も撮っていたらしい。

 あと自撮りの話は聞いていない。


 きっ、と明澄は睨んでいるが、澪璃は意地悪に笑って去っていく。


 そうして、ほんのり苦笑いする庵と、耳まで赤くして沸騰している明澄が残されるのだった。




「……あ、あの。さっきの事なんですけど……」


 澪璃が帰宅し後片付けを終えた後、ソファに座ってお茶を飲んでいると、隣に座っていた明澄がおずおずと切り出してきた。


 明澄は耳を赤くして身を捩り、下を向きつつ恥ずかしそうにマグカップを握っている。明澄が何を伝えたいのか、弁明したいのか大体分かっている庵は優しく振り向いた。


「か、可愛いって言ったこととか、たくさん写真撮ってたことですけどね」

「おう」

「あ、あれは単なる欲求と言いますか……い、いえ、庵くんが悪いんですよ」

「なんでそうなる」


 しおらしく弁解でもするのかと思えば、明澄は何故か庵のせいにした。

 じとーっとした目を向けるけれど、少し笑ってしまいそうだった。


 きっと恥ずかしくて素直に言えなかったのだろう。あまりにも可愛らしくて自然と頬が緩んだ。


「だ、だって急にもたれられたら、甘えてるようで可愛いなぁ、ってなってしまうんです」

「男がそんな甘えかたをするなんて気持ち悪くないか?」

「そ、そんなことないです! 私に甘えてくれてるんだ、って思ったら嬉しくて……」

「そうかい」


 頼りにしてくれるのはとても幸せです、と明澄は慈愛を感じさせる微笑をたたえていた。


 一人だった明澄にとってはそれだけで満たされるのだろう。頼られるということは誰かと繋がっているという証でもある。

 明澄らしい理由に庵は目を細めた。


「写真も可愛いくてつい撮ってしまったんです」

「いっぱい撮る必要は無かっただろ? 割と恥ずかしいんだけど」

「ご、ごめんなさい。でも、寝てる庵くんは凄く可愛かったです。見ますか?」

「やめとく。自分の寝顔とか見ても楽しくねぇし」


 寝顔だって別に変な顔では無いだろうけど、あの恥ずかしく現象は何故だろうか。

 それは置いておくとしても、一緒に写っている明澄に色々と可愛がられているに違いないし、意図していないとはいえ甘えるような格好をしている姿はちょっと目にしたくない。


 恐らく色々と悶える羽目になるだろうから遠慮しておく。


「と、兎に角、庵くんは可愛いんですよ」

「そう言われてもなぁ」

「つい可愛がりたくなりますし」


 男の庵からしたら明澄の方が随分と可愛がり甲斐があると思うのだが、本人はそうでは無いらしい。

 ナチュラルに今も楽しそうに髪を撫でたり、頬を触ってきている。


「まぁ明澄がいいならそれでいいか」

「はい。存分に可愛がられてくださいな」


 とは言うものの、やられっぱなしというのも釈然としないし、可愛がられることに積極的と思われるのは恥ずかしい。

 仕返しに庵が明澄の頬をふにふにとつついたり髪を梳くと、ふにゃりと甘くとろとろに眦を下げる。


 やっぱりこちらの方が居心地がいい、とふとよぎった思考に庵は羞恥を覚えて、明澄から目を逸らした。


(線引きが曖昧になりそう……)


 明澄と一緒にいると、つい他人にはしないようなことをしてしまう。

 互いの育ってきた環境が普通ではないということもあるけれど、やっぱりどこか歪にも感じられた。


 伝えたい事は沢山あっても簡単にはいかないもどかしさと、この曖昧な関係に庵は悩みつつ、明澄の頭を撫でる。


「庵くんばっかりずるいです。私にもさせて下さい」

「へいへい。お好きにどうぞ」


 考え事をしながらだったせいか、長いこと庵のターンが続いていたらしい。

 可愛がろうとしていたのに、それを阻止された形になっていた明澄はぷくりと頬を膨らませる。


 可愛い。本当にそう思う。庵は手を引っ込めるとまた明澄に自由にさせる。

 途中、「膝枕ならずっと私の番ですけどね。……し、しますか?」なんて言われたが、色々と困るので遠慮した。


(来月か。そろそろ考えないとな)


 今日、久しぶりに澪璃に会ったからか、ふと思い出した明澄の誕生日はもうすぐそこ。

 澪璃との約束と、明澄の気持ちを確かめるまでの期限だ。


 こうして目の前でふやけながらスキンシップを図ってくる明澄からどことなく好意を感じつつ、庵はほんのり胸に痛み覚える。


「どうしました?」

「なんでもない」

「そうですか?」


 明澄のことを考えていた、なんて言える訳もなく庵はしらを切る。

 こてんと首を傾げた明澄はまた庵を撫でる手を動かしていた。


「やっぱり庵くんは可愛いです」


 ぽそりと零された呟きに、痛む庵の胸はまた締めつけられたり、それから解きほぐされたりと大変な思いをした。


 初めは可愛がられるという言葉に抵抗があったが、こういうのも悪くない。

 微笑みながら触れてくる明澄は楽しそうなので、庵は大人しく瞳を伏せ、甘さを受け入れることにした。

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