第85話 災難はお目覚めのあとに

 迂闊だった。

 軽い気持ちで仮眠を取ったつもりが、まさか知り合いに恥ずかしいところを見られることになるとは。


 やや頬を赤くして苦笑いする明澄の横で盛大に掌で顔を覆う庵の耳は、ほんのりと熱を帯びていた。

 まだ身体全体に残る柔らかい感触と、澪璃のにやついた視線に居心地の悪さを覚えながら、明澄の隣に座り直すのだった。


「い、いつ来たんだ?」

「三十分前ぐらい? あすみんが部屋に入れてくれたんだけど、その後戻ってきたあすみんに君がぐでーってもたれてたよ」

「……はぁぁぁー。やらかした」

「あの、勝手に招いてしまってすみません」

「いや、いいよ。俺が寝てたんだし」


 澪璃がやってきてからということは、その場面を見られていたということ。恥ずかしすぎて本当にどうにかなりそうだ。


 明澄は謝っているけれど微塵も悪くないので、庵はひらひらと手と振っていると、こてんと首を傾げた澪璃がまたニヤつくのが見えた。


「いおりんてば、あすみんに甘えんぼさんしてるの?」

「……してない」

「いま間があったよね?」

「気のせいだ」


 今回は無意識とはいえ普段は色んな意味で甘えたり甘えられているから、否定しようとした庵は詰まってしまって、澪璃に鋭く指摘される。


 少し幼い相手に向けたような言葉選びをした澪璃だが、甘えているのは間違っていない。庵と明澄との間に少なからずスキンシップがあるのは、二人だけの秘密だ。


 澪璃には明澄への気持ちを打ち明けているとはいえ、揶揄われるのは目に見えていたからバレたくはなかった。


「いおりんてばあすみんに甘えてるんだぁ! というか、なんかいおりん、あすみんって続けて言いにくいね。いおりんは庵君に変えようかな」

「もう好きにしてくれ……あと、そんなベタベタしてない」


 隠したつもりだったが、澪璃は勝手に断定して嬉しそうににやにやと笑う。

 これ以上何か言ってもボロを出しそうだし、甘えていることは小さく否定しながら好きにさせることにした。


「あ、そうそう。あすみんももたれてきた庵君の手を引き寄せてたけどね」

「み、澪璃さん! 余計なこと言わないでくださいっ」


 庵を揶揄ったあとは、明澄にちらと目を向けた澪璃がにまりとしながら暴露して、明澄も恥ずかしがらせていた。


 あ、あれはですね! と必死に言い訳する明澄にはつい目許が緩んだ。


「つい庵君が可愛くて写真撮っちゃったよね」

「おい……。今すぐ消せ」


 嬉々としてスマホを指差して見せてくる澪璃から庵は、奪い取ろうと試みる。


「だってあすみんが欲しいっていってるし」

「す、すみません。庵くんが嫌なら消します」


 記憶に残っていると言うだけでも最悪だが、記録に残されては溜まったものではない。


 露骨に庵か嫌そうな顔をすると、隣では明澄が申し訳なさそうにしゅんと瞳を伏せる。

 しょんぼりしている明澄を見ると、つい許したくなってしまう。


 我ながら甘い。そう思いながら庵はため息をついた。


「寝てたとはいえネタを提供した俺が悪い。悪用しなきゃ持ってていいよ」

「はいっ。……絶対に誰にも見せませんので」

「頼んだぞ」


 明澄が悪さをするとは思えないし、流出もないだろう。流出したところで範囲は限られているし、恐らく庵の知り合いになるはず。

 庵が許すと明澄は自分のスマホを大事そうに抱えていた。


「ほんと、仲良しだねぇ。思わずわたしもにっこりしちゃう」

「何か言いたそうだな?」

「言っていいのー?」

「……静かにしていてもらおうか」

「むぐぅ……!?」


 意味ありげに笑う澪璃に訝る庵だが、言いたいことは分かっている。

 明澄との関係は進んでるんだね、と口にしたいのだろう。


 口角を上げた口許へ手をやり、揶揄い混じりに言ってくる澪璃へ、庵はその口を抑えにかかる。

 一方、隣にいた明澄はどうしてか眉を吊り上げ、僅かに分かるかどうかというくらいにだけ唇を尖らせていた。


「明澄?」

「はい、なんでしょう?」

「いや、なんか。むくれてるみたいな感じだったから」

「そ、そんなことありませんよ」


(ふふふ、じゃれてるだけなのに嫉妬しちゃってさ)


 庵が気にすると眉を困らせていた明澄が笑って取り繕う。


 何か不機嫌にさせてしまったのなら謝りたいのだが、明澄が教えてくれる気配はそれ以降もなかった。

 明澄の態度に心当たりがある澪璃は、心底楽しそうに密かに微笑んでいた。


「で、なんで遅れたんだ?」


 一旦、明澄のことは置いておくとして、あまり気にはしていなかったが、話題を変える意味で遅刻の訳を澪璃に問う。

 どうせ大したことの無い理由だろうけれど。


「実は寝巻き姿のご老人が道に迷ってたから助けてた」

「それは迷ってるんじゃなくて徘徊だ。交番に連れて行ったのか?」

「冗談だよ。黒いレ〇クウザを捕獲してた」

「ポ〇モンGOしてんじゃねぇよ!」

「うそうそ。ほんと庵君はつっこんでくれるから楽しいねぇ」

「全く、揶揄いやがって……」


(今、誤魔化されたよな?)


 澪璃のジョークにいなされたのだろうか。

 話したくないのか、単なる彼女の性格故なのか。深く質問するのはどうしてか躊躇われた。


 話したくない場合もあるのだろうと、庵はとりあえず放っておくことにした。


「まぁいいや、そろそろ時間だし準備するぞ」

「ちゃんとお寿司も持ってきたよ」


 ぐだぐだしていたせいで配信まで時間も迫ってきている。

 庵は腰を上げて手を叩いて、話題を切り替えた。


「明澄、悪いけど飲み物とお皿の用意とか任せていいか? 俺はツイートとか部屋の音漏れとか確認してくるから」

「はい。任されました」


 頷いた明澄からは先のような不満顔は消えていて、にこりと微笑んでいる。

 明澄にとって勝手知ったる家だ。お客さん的な立場の澪璃を他所に、互いにきびきびと準備を始めた。


「庵くん、お飲み物は何にしますか?」

「明澄と同じのでいいよ。……そうだ、明澄。冷凍庫から鶏肉を出しておいてくれ。夕食は俺が作るから」

「分かりました。ではお願いしますね」


「ねぇ? もうなんかさ、君たちって……」

「なんでしょう?」


 庵と明澄は普段のようにしながら準備を始めたところ、澪璃が何か言いたげに一言を放つ。

 二人のその阿吽の呼吸っぷりというか、ナチュラルなやり取りが澪璃に何か言いたそうにさせたのだ。


 だが、一度手を止めた庵たちは、澪璃が抱いた感想に気付くことなく首を傾げるだけだった。


「いや、やっぱいいや」

「そうですか?」

「うん。いいのいいの。さ、準備手伝うね」

「お願いしますね」


 言いかけた言葉を飲み込むように澪璃は首を振ると、また庵と明澄は仲良く作業を再開させる。


 もうこれ同棲カップルじゃん、と澪璃はボソッと呟いていたが、二人には届いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る