第83話 聖女様とアイスと変わるもの
「今日は暑いね。部活が嫌になりそうだよ」
「天気予報じゃ、夏日らしいな」
五月に入り汗ばむほど暖かくなった、ゴールデンウィーク
教室の端で、庵と奏太はパタパタとシャツを扇いでいた。
すぐ隣では無言の胡桃が下敷きで扇いでいるが、体力を使いたくないという意志が感じられた。
今年の大型連休はど真ん中に平日があり、たった一日のために登校しているから余計ダルさが増しているのかもしれない。
初配信の日から特に大きな予定もなく過ごしていたこともあって、庵はそんな平和な休日が既に恋しくなっていた。
「それにしても、みんな元気だよなぁ」
「聖女様の周りは特にね」
「もう見飽きたな」
奏太と胡桃が風物詩かのように眺める先には、男子生徒が多めの人だかりに囲われる明澄の姿があった。休暇が絡むとこうなるし、これはこれで通常運転といえた。
明澄が極端に困った様子を見せたら、すぐに胡桃が出動することだろう。
一方の庵は少しだけモヤついた感情のまま、明澄が居る教室後方のドア付近を眺めていれば、明澄と少しだけ目が合う。
ちらりとだけ微笑まれたのが分かって、小さく笑みを零していたら、奏太と胡桃にニヤつきながら肘で小突かれるが、暑くて何か言い返す気にもなれなかった。
「ねぇ、アイス食べに行かない?」
「あーいいね」
「行くか」
まだ五月とはいえ夏日を超えている。自販機で涼を取るのも悪くない、というかその選択肢しか考えられなかった。
下敷きを置いた胡桃が立ち上がったら、奏太と庵も追従して席を立つ。
雑踏に近い様相を見せる室内の後方。明澄とその周りにいる生徒たちの近くを横切るのだが、先に行く奏太と胡桃をよそに庵はそこで立ち止まった。
明澄に声を掛けるか否か迷ったのだ。
身バレ、厄介事、妬み等々。
普段の学校で二人は特に親しくはしない。
庵と明澄が揃うことによって身バレの危険もなくはなかったが、奏太や胡桃の反応は薄かったし、案外気にすることでもないのかもしれない。
迷いはしたが、少しは前向きに考えると決めたのだから、と庵は自分に言い聞かせて、明澄に一歩踏み込むことにした。
「水瀬」
「どうしましたか?」
ぶっきらぼうになりながらの喧騒に紛れてしまいそうな声音だったが、明澄はすぐさま反応した。
驚いた。というのが概ね正しい表現だろう。
けれど、どこか待っていたようにも見える仕草をして、明澄は庵に向き直って笑みを浮かべた。
ふと周りに目を向けたら、「なんだこいつは?」といった視線に晒されて、居心地の悪い思いをしたが無視しておく。
「あいつらとアイス食いに行くけど、お前もどう?」
「はい。是非ご一緒させてください」
急に現れた庵のような謎が多い男子の誘いに明澄がにこりと快諾したからか、嫉妬のような視線が周りの男子によって放たれたのが分かった。
明澄は眉目秀麗、品行方正、文武両道と、その人気ぶりは凄まじく気持ちは分からなくもないが、いくらなんでも視線の意図が直接的すぎる。
面倒なことになる前にと、明澄を引き連れて外で待っていた奏太たちと合流することにした。
明澄と一緒に教室を出ると、二人はとても驚いたようなそれでいて感心したような表情を見せる。
ばしばしと胡桃に背中を叩かれる中、明澄は嬉しそうな表情でにこりと笑っていた。
「明澄はピンクグレープフルーツにしたのね」
庵たちの教室がある校舎とは別棟の、それも端にあるアイスの自販機は立地的に人気が少ない。
階段脇にある自販機の前で四人は各々、好きなフレーバーのアイスを手に談笑しているところだった。
「一口食べますか?」
「ありがたいけど、チョコと合わなさそうだしやめておくわね」
「あら。そうですか」
「胡桃、オレのバニラはいる?」
「うん、貰うわね。あーん」
気付いたら自然と胡桃たちがイチャつき出す、と言うのが先からずっと繰り返されているが、もう呆れ半分に笑うしかない。
明澄に目を向けると、胡桃にあげるつもりで差し出したアイスを明澄は寂しげに口つけており、とても可愛らしかった。
庵はみかん味を選んだので似た味だし貰ってもいいかなと思ったが、人気が少ないとはいえ奏太たちや、たまに通りかかる生徒もいるから迷った。
明澄が一緒ということもあって、やはり妬ましそうな視線が飛んできていたりと、アイスを一口貰うのは勇気が必要だった。
「それにしても、あそこから聖女様を連れ出すなんて驚いたよ」
「そうか?」
「ええ、よくやったと思うわ」
「別に普通に誘っただけだ」
「周りが騒がしくなるとは思うけど、今度からはこうがいいわね」
注目されることは分かっていたから、明澄を輪に加えるなんて今までなら有り得なかったことだろう。
だから胡桃以外はあまり明澄に対してリアクションは起こしていない。
だが、庵は明澄を一人にしないと約束したし、色々と決断を下した。これからは胡桃の言うように学校では四人で固まることになるだろう。
いつか刺されやしないか、と少し反応が怖いが。
「正直ああいうの、うざったいのよね。その分、明澄を連れ出してきた時は少し爽快だったわ。良かったわね、明澄」
「うざいとまでは言いませんけど、ちょっと迷惑ではありましたからね」
「もっと早くこうやって交流を持つべきだったのかもね。あ、だったら明澄、空いてる日にでもどこかへ出かけましょ。あんた、少し聖女様借りるわね」
「あんまり、連れ回してやるなよ。というか別に俺のじゃねぇし」
「いいですよ。あとでスケジュール表を送りますね」
明澄は胡桃ともそれなりに仲良くなっているはずだが、どこかへ遊びに行ったりする気配がなかった。
親交を深めるのにちょうどいい機会だろう。女子二人で何やら楽しそうにしているのを微笑ましく思いながら、庵はアイスを一口齧った。
「ならオレたちもどこかへ行こうか」
「いいけど。ゴールデンウィークは無理だぞ」
「何か予定が――あ……」
「どうした?」
「予定で思い出したんだけど、今日日直だった。悪いけど、先に戻るね」
「じゃあ私も」
次は黒板の片付けなどやっておかないとねちねち小煩い教師の授業だ。
奏太は慌てて残りのアイスを口へ頬張ると、胡桃と一緒に階段の向こうへと消えていった。
「行ってしまいましたね」
忙しない奏太たちに明澄が苦笑気味に笑うのだが、途端に庵の内側にほんのりと戸惑いが広がった。
明澄を連れ出したものの、理由が理由なので気恥ずかしかったのだ。
「それで、なんで私を連れ出して下さったんです?」
唐突に明澄がそうやって尋ねてくる。
「……そうだなぁ。友達を置いていくのは寂しいだろ?」
僅かな間庵は思案して、とりあえずそれっぽい理由を並べた。庵と明澄の関係上理由てしてはおかしくないだろう。
「友達だから、ですか?」
「ああ……」
庵の無難な返答に、明澄は若干不服そうな表情を見せた。
少し冷たすぎたか、と焦りはしたのだが、すぐにいつもの明澄へと戻る。
普段なら機嫌を取るべく、明澄の頭に手を伸ばしているところだけど、今は学校なので自重した。
「あの、一つだけ言いますけどね。凄く嬉しかったですよ」
「ん。そうか」
「今までは身バレのこともありましたし、余計なことは面倒でした。でも、やっぱり私だけなのは寂しかったので」
明澄は甘く優しく微笑んでから、階段の壁にもたれている庵の顔を覗くように見上げる。
「ま、これからは学校でも普通に友達としてやっていけばいいかな」
「……そうですね。そうします」
正面にいる明澄は一度寂しげな目をして、頬をやや赤らめながら二の腕にパンチしてきた。
「え、何?」
「いえ、なんでも」
何か不満なのか庵には分からず「困ったな」と、天を仰いで溶けかけのアイスを齧る。
「庵くん」
「ん?」
どうしたものかと庵が思案していると、明澄は辺りをちらちら見渡す仕草をしてから彼の名を口にする。
名前呼びは関係を勘繰られるのが面倒で封印していたから、突然のことにびっくりしつつも穏やかな顔で明澄に振り向くと、明澄が自分のアイスを口許に押し付けられた
「なにすんだ……」
「ふふ。ま、今はこれでいいでしょう」
不服顔から一転して、明澄はくすくすと笑い、庵が困惑している間に庵のアイスにかぶりついた。
(やっぱそう思っても良いのか?)
明澄の大胆なアイスの交換に庵は大いに頭を悩ませる。
押し付けられた溶けかけのアイスはほのかに甘酸っぱいのだが、後味はなぜか甘さだけ残る、そんな余韻を庵は口の中で感じていた。
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