第82話 膝枕のあとで
微睡みかけていた意識がはたと戻ってきたのは、スマホのバイブレーションのおかげだった。
明澄がクッションを押し付けてきた後から記憶が朧気だ。ひたすら睡魔と戦いながら、横になっていたせいだろう。
いつしかクッションも頭上からなくなっていて、代わりに明澄の手が添えられている。
ルームウェアからは相変わらず良い香りがするから鼻腔が擽ったくて、また夢の世界へ誘われそうなる前に起き上がろうと上を見た。
ちらりと顔を向けた先には、明澄がこれまた眠気に誘われており、こっくりこっくりと船を漕いで頭を縦に揺らしていた。
「明澄、起きてるか?」
「……はい、起きてますよ」
庵の呼び掛けにぱちりと瞼を開いた明澄は「おはようございます」と柔らかく微笑みを向けて、愛おしそうにまた庵を撫で始める。
あまりにも心地よく、もう少しだけこのままの体勢でいることを選んで視線を横向けたら、庵は意思の弱い自分が恥ずかしくて顔を覆いたくなった。
「寝てもいいですよ?」
「そしたらお前も寝るだろ」
「かもしれませんね」
「かもしれません、ってお前なぁ……」
悪魔の如く魅惑の囁きを放って、寝かしつけるように髪を梳いている明澄に色々と言いたくなることはあったが、眠気のせいか上手く思考がまとまらない。
呆れる程度のぼやきを口にするのが精一杯だった。
「なんです?」
「前に言ったろ? 俺も男だって」
「でも、庵くんも寝てしまえば怖くないです」
「俺が先に起きたらどうすんだよ……お前、寝ぼけてるな?」
「どうでしょう?」
ほわほわとした口調の明澄に、どう言ったら伝わるんだろうか、と凄く悩ましい。頭を抱えている庵に微笑みを絶やすことなく、明澄はふにふにとその頬をつついて遊んでいた。
ここ数日の明澄はほんと緩いというか、段々と防御力が下がってきている。信用と信頼と安心が明澄の警戒心を解いて、庵を求めたり甘えてきているのだろう。
でも、自分の理性的な問題もあるし、ちょっとは気をつけて欲しい。複雑な心境で庵は声にならないくらいの唸りを零した。
「もう起きるよ」
「残念です」
「そんなに楽しいか?」
「庵くんが離れなかったら、いつまでもしてしまいそうなくらいには」
初めは単純に寂しさからくるものだと思っていた。だから庵は自分の気持ちをある程度仕舞い込んで明澄を見守っていたし、庵もまた明澄を頼っている。
でも、最近はなんだか甘えられているだけでは無い気がしてならない。勘違いだ、と言われたらそれまでだろうが、庵だって前に進みたいのだ。
同時に関係を壊したくないという思いもあって、もやもやと葛藤する。
(少しはいい風に考えてもいいんだろうか?)
しばし葛藤した後、庵は臆病すぎる自分に向けて内心で苦笑しつつ起き上がる。
ふと明澄の横顔を一瞥すると、やっぱり睡魔に襲われているらしく、とろんとした面持ちでまだ撫でるように一人で手を僅かに動かしていたから、つい笑ってしまいそうだった。
「明澄、手動いてる」
「え、あぁ。……つい」
「そろそろ部屋に戻ろうな」
「……うん」
眠たさが限界に来ているのか敬語すら怪しくなっており、庵の言うことに素直になっていて面白い。
こんなにも素を曝け出されたら都合よく考えたくなるものだ。
「ほら、羽織貸してやるから」
「ん、あったかい……」
どくりと跳ねる自身の鼓動を聞きながら、庵はクローゼットからジャケットを取り出して明澄に羽織らせる。
「そこまでだけど、気をつけろよ?」
「大丈夫です」
玄関から廊下へ出て明澄を見送るが、ぽやぽやしているのは不安だ。
もう何度目になるか分からない「また明日」を口にすると、明澄からも同じように返ってきて、慈愛のような笑みを向けられるものだから、手を伸ばしそうになるのを我慢して庵は目を細めた。
「じゃあな。また明日」
「はい、また明日。お休みなさい」
とりあえず、明澄が隣の部屋に戻るまでは見守っておく。
途中、「あ、言い忘れてました。デビューおめでとうございます」と、明澄は振り返り小さく手を振っていたりして、庵は優しい眼差しで明澄を見送った。
「ふふっ。……庵くんの匂いがします」
それから、廊下でそんな呟きが聞こえてきた時には悶絶しそうだった。
ぎゅうっと胸が締め付けられるような感覚に陥りながら、それでも庵はその場に立ったままでいる。
これで都合よく思うな、という方が無理があるだろう。
(……そう思ってもいいんだよな?)
明澄にどんな意図があって、どんな想いで自分と接しているのかは測りかねる。だけど、部屋に入っていく明澄を見つめながら、庵は少しだけ前向きに考えることにして表情に笑みを作った。
「明澄。おやすみ」
僅かだろうが明澄にも自分への好意がある、と解釈した庵は微かに漏らす程度に紡いだ。
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