第80話 初配信

 明澄に見送られ、愛用のチェアに腰を下ろした庵は、まずパソコンの画面を確認した。


《頑張れ!》《がんばれー!》《おめでとう!》《くる?》《がんばれ!》《デビューおめでとう!》《かんきつままのデビュー楽しみ》《がんばれ》《がんばれ!》


 初めに目に付いたのは、多くの応援コメントと既に二万人近くいる待機者たち。配信が近づくにつれ、チャンネルの登録者数が増えていき、既にSNSのトレンドにはかんきつが登場していた。


 震えたり怖くなったりとまではいかずとも、庵は僅かに身を固くさせながら、目で時計の針を追う。

 刻々と秒針と分針が回転していき、およそ一分前になったところでスマホに明澄からメッセージが届いた。


『庵くん、頑張って下さい。隣にいますからね』


(ありがとう。明澄)


 温かいメッセージを送ってくれた、ドアを開けばすぐそこにいる明澄に感謝しながら、庵は配信の開始ボタンにマウスのカーソルを合わせた。


「…………はい! ぬるっと始まりました。かんきつの初配信です!」


《来た〜!》《きたー!》《がんばれ!》《かっこいい》《いい声だ》《きた!》《かっこいい!》《がんばれ》《来たー!》


 軽く数秒程度のオープニング映像が流れたあと、いつもの声音や口調を意識し、第一声を発する。


 同時に、庵が勿体ぶることなくかんきつの2Dモデルを画面に登場させると、加速度的に増え続ける大量のコメントが次々に投下され、現れては消えて流れていった。


 それだけでもう感無量だが、ここで終わるわけではない。

 今からおよそ三十分弱の配信が始まる。無数のリスナーのコメントに紛れた、夜々よよ澪璃みおりたちの応援のコメントを確認しながら次の言葉を紡ぎ出した。


「さて、なに話そうかね? お前ら俺の事、ほとんど知ってるしなぁ。あ、そうそう、このおNewのデザインについて話そうかなぁ。俺の目、氷菓と目の色同じなんだよ」


 これまでコラボで配信に参加してきたから、庵が特筆して自己紹介することもなければ、話したいことがある訳でもなかった。

 チャンネルを立ち上げるから、初配信というお披露目の形をとっているだけで、ほとんど雑談のようになるだろう。


 コメントを適度に拾いながら、簡単に自己紹介を兼ねてかんきつの2Dモデルについて話していくことにする。


「このズボンにつけてるバッジもアイスになっててな、親娘感あっていいだろ?」


《うかんきつてぇてえ》《これは親娘》《てぇてえ》《てぇてえすぎる……》《うかんきつてぇてえ》《単独でも尊いのありがてぇ》《さすママ》


 かんきつの姿は氷菓を意識したもので、随所に氷菓の要素が散りばめられていた。

 金髪の青年という点は変わっていないが、前の立ち絵より若干幼くなり、瞳は金色からライトブルーへ。塗りであったり、色彩の調節を氷菓に合わせて統一感を持たせた。


 白地のTシャツも『でこぽん』の文字から『らいむ』へと変化しているが、これは庵なりに意味があっての事だ。

 最初に気づくのは一体誰か。それは後の楽しみである。


《ママ、大好き! 私と一緒で嬉しいです!》


「氷菓、ありがとう! 俺も愛してる」


《うかまるきた!》《娘もよう見とる》《うかまるもよう見とる》《てぇてえ》《突発コラボしとく?》《オフコラまだですか?》《娘もよう見とる》


 明澄のコメントが見えると庵はすかさず拾う。

 それはかんきつの言葉であり、氷菓へ向けての言葉とはいえ「愛してる」と口にするのはなんだか恥ずかしかった。


 リビングにいる明澄がコメントを打っているのだろうが、少しシュールに思える。どこか、もどかしさも感じながら明澄とコメントでやり取りをしていた。


『かんきつくんのキャラデザとても素敵です。スパチャさせてください』


 今までふざけて庵からスパチャをさせろ、と言ったことはあるが、まさかこうなるとは思わなかった。

 スマホに送られてきたメッセージに苦笑していると、今度はコメント欄に同じコメントが並んだ。


《ママ、スパチャさせて下さいっ》


「収益化まだだから、スパチャできないんだよなぁ。もう少し待っててくれ」


《スパチャさせろ》《スパチャ解禁はよ》《スパチャ……》《このためにもやし生活してきたんだ!》《スパチャさせて下さい》《今日、ここでクレカ止まってもいい!》《ついでにボイスも出せ》《金ださせろ》《コメ欄をオレンジ色にしてやる。いや赤色だ。ブラッドオレンジだな》


「おい、お前ら団結すんなっ! まだ待てって。あと、ボイスは出さねぇよ」


 明澄のコメントを皮切りに、一斉にスパチャをさせろとの大合唱が巻き起こった。もちろん、みなスパチャが出来ないことは承知で庵を殴りに来ているのである。


 恐らく明澄はこうなることが分かっていて、コメントをしたのだろう。一緒に配信していなくても、盛り上げようとしてくれていた。


:零七TwitterのDMにギフトカードの番号送ったらいいんだよ


「お前は何言ってんだ!? リスナーに悪知恵を仕込むな!」


《その手があったか》《草》《さす! ぜろさま!》《天才がおる》《草》《コンビニダッシュしてきます》《抜け道見つけてて草》《実はその方法なら手数料もかからないんだよね》


:夜々じゃあ、ボイスだせ


「お前が出せよ。デビュー以来出してないだろ」


《♯夜々ボイス出せ》《お前が出せ》《お前が言うな》《♯夜々ボイス出せ》《草》《コメント打つ前にボイス録ってこい》《お前が言うな》


「というか、君たち。俺の配信荒らさないでもらえる? なんで他人へのコメントがここに書き込まれなきゃいけないんだ……」


 明澄に始まり澪璃や夜々と、いつもの面々が庵の配信を盛り上げに来ていた。

 単独配信なのに終始ツッコミに回り、それに乗っかるリスナーたちを処理したりと、緊張とか心配とかそんなものは、もうどうでも良くなっている。


 炎上する気配なんて微塵もないし、不穏なコメントや庵を害するようなコメントは明澄たちが消しているから、コメント欄は平和だった。

 本当にありがたい限りだ。


「ったく、三十分の枠なんだぞ。お前らの相手でめちゃくちゃ時間使っちまった」


《草》《草》《終わらないで》《スパチャがまだなんだが?》《同接十万おる》《草》《登録者数二十五万いってる!》《いつもの配信と変わらんなw》


「時間ねぇからぱっといくぞ」


 庵が配信の時間を三十分と決めているのは、他の配信者に気を使っているからだ。

 明澄は兎も角、澪璃や夜々、他にもカレンなど知り合いのライバーが宣伝してくれていたり、この配信と被らないように配信を控えてくれている。


 まるで、庵がぷろぐれすのメンバーかのような扱いだが、それだけ愛されている証拠であり、同じく愛されている明澄(氷菓)の影響でもあった。


 本当に色んな人に支えられているんだな、と庵は強く実感して嬉しくなる。二年という短い期間だが活動してきて良かったと思うし、頑張ってきたのが報われた気がした。


『庵くん、ラストです! 頑張ってください』


 また、度々送られてくる明澄からのメッセージにも凄く元気が出るし、気持ちが温かくなる。

 つい顔を綻ばせた庵はラストだ、と締めに向けてマイクに近付いた。


「ファンマークはみかんな。挨拶とか放送ネームとかは知らん。ファンネームは農薬とかでいいか?」


《よくねぇよ!》《ダメに決まってんだろ》《農薬やだ》《オーガニックがいい》《ネーミングセンス‪✕‬》《農薬は草》


 適当に言ったらリスナーからボロクソに言われる。かなり不評だった。


「不満そうなんで、募集します。急ぎで悪いけど、終わるぞ! じゃあなっ!」


 終了がギリギリに迫まる中、残り僅かな放送時間を駆け抜けていく。


 そうして、生放送の熱が最大限に高まったところで「関係各所の皆さんありがとうございました」と、庵が最後に締めて、初配信は無事に終了した。


 余談になるが、その日トレンドはかんきつ関連のワードが多数ランクインし、大賑わいをみせた。

 また、過去に発売したミニイラストブックがスパチャの代わりに御祝儀として購入され、品切れになるという珍事件も起きたりもしたのだった。




「やぁーっと終わったぞ」


 しっかりと配信終了を確認した庵は、チェアにしずみ込むようにもたれかかり、目を閉じた。

 三十分という短い間だったが、どっと疲れが湧いて出てくる。


 いざ配信が始まれば緊張している余裕はなく、寧ろ気分が高揚したくらいだった。それは明澄たちの支えあってのことだ。

 澪璃や夜々、カレンたちに対する信頼や感謝の気持ちも同時に深まっていった。


「さて、戻らないとな」


 このまましばらく目を閉じていたいけれど、明澄があちらで待っている。

 少し重い体に鞭を打って立ち上がり、配信の余韻と熱を全身に感じながら庵が仕事部屋のドアを開けると、扉の前で待機していたのか、いきなりに目の前に明澄が現れた。


「お疲れ様です。庵くん」


 出迎えてくれた明澄は、にこりとした笑顔で労ってくれた。


「何その格好」

「ふふっ。よく似合っているでしょう?」


 扉の目の前に明澄が居たのも驚いたが、姿が見えた明澄はどうしてか、もこもこのパジャマ姿で余計に庵は驚く事になった。

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