第78話 メイドさんふたたび
「そのお荷物はなんですか?」
ある平日の夕方過ぎ。
玄関から大きめのダンボールを抱えて戻ってきた庵に、明澄が小首を傾げた。
今しがた宅配便で届いた荷物で、中身はイラストの参考用資料だ。
庵がダイニングテーブルに「よいしょっ」とダンボールを置けば、ドスンと低い音が響いた。
「中身は資料だよ」
「随分とたくさん買われたのですね」
「写真集とか衣類の参考書とか良さそうなのが多くて、結構、買っちまった」
何も言わないでも気が利く明澄からカッターを手渡され、庵は丁寧に開封していく。
中からは、庵の言葉通り書籍や模型などが姿を現した。
「また散らかさないで下さいね」
「分かってる。明澄を煩わせるのは申し訳ないし」
「まぁ、庵くんのお世話は楽しいので構わないですけどね」
「左様ですか」
初めは怒られていたのに、今では楽しいとまで言われるからつい頬が緩みがちになる。
若干、子供の世話みたいに思われているのが癪だが、明澄のような見目麗しい女の子に世話をしてもらえるだけでありがたいと思ったほうがいいだろう。
「そんな明澄にはこれをやろうかね」
「……それメイド服ですか?」
庵はダンボールの中からビニールで包装されたメイド服を取り出す。
世話が好きならどうぞ、と冗談を言いながら明澄に手渡した。
ビニールを取り払うと、ロングタイプのメイド服がお目見えする。
メイド喫茶の文化がある日本ではミニやミドル系を目にする機会が多いが、今回庵が購入したのはクラシカルタイプのメイド服だった。
「ああ。こっちは前に着てもらったのと違うやつで、まぁ簡単に言えば正統派って感じだな。ヴィクトリアンみたいな本物を現代風にアレンジしたバージョンって表現の方が正しいか」
「これを私に着て欲しいのですか?」
「着てくれるなら嬉しいけど、無理にとは言わん」
「では着ません。庵くんが着て欲しいと言うのであれば着ますけど」
明澄は人差し指を口許にやって悪戯っぽく笑う。どうしても庵に言わせたいらしい。
言って着てくれるのなら口にするしかないだろう。ほんのりと恥ずかしいものがあるが、庵は「お願いします」と自分に正直になった。
「では、着替えてきますね。ご主人様」
庵がお願いすると、明澄は楽しげに笑ってそう言うと、庵の仕事部屋に消えていった。
よく恥ずかしげもなく言えるものだ、と庵はふっと笑みを零しているけれど、明澄が部屋の向こうで頬を赤くしているのは秘密である。
「似合ってますか?」
しばらくすると、おずおずと仕事部屋から出てきた明澄は、スカートをひらりとさせながら身をよじり庵に披露した。
ロングのクラシカルタイプのメイド服は、長袖で首元は襟できっちり隠れていて露出が少なく、清楚な明澄にとてもよく似合っていた。
構造的にハイウエストなので明澄のスタイルの良さが際立ち、芸術的にも大変麗しい。
紺地に映える白のエプロンはフリルが可愛らしくもあり、また清潔感を生み出していた。
足元には少しだけ白いソックスが見えていたり、頭にはホワイトブリムが装着されていて、これぞメイドさんと言っていいだろう。
ローファーまで用意した自分を褒めたくなるほど。
恥じらう様子に庵は見惚れて、思わず無言で見つめていた。
「あの……おかしいでしょうか?」
何も言わなかった庵に不安を覚えたのか、明澄はこてんと首を傾げて銀髪を揺らしながら上目遣いで庵を見る。
「い、いや! 凄くいいと思う。綺麗だよ」
「そ、そうですか。……綺麗……ふふっ」
率直に感想を口にすれば、明澄は照れながら微笑を浮かべ何やら小さく呟いていた。
こうしてみると普段から世話を焼いてくれることもあって本当によく似合っている。
主人に尽くすのがメイドではあるが、明澄にはどこか守ってあげたくなるような愛らしさもあった
だから自然に手が伸びたのは仕方がないだろう。
心の中で庵は言い訳しながら明澄の頭を撫でる。手を伸ばされた明澄は、ふにゃりと甘えるようにとろけていた。
「なんつーか、反則だわ」
「褒めて頂いているのですよね?」
「お高めの店に行っても拝めないと思うくらいには」
「なるほど。では、そんな庵くんに、御奉仕をして差し上げましょう」
にこりとしてから、スカートを翻した明澄はキッチンへ。庵から離れる際どこか庵の手を惜しそうにしていたのが、庵の心臓を跳ねさせる。
主人に対してダメージを与えるとは何事か、と冗談を内心で吐きつつ、庵は落ち着かないままリビングで待つことにした。
「……ご、ご主人様。お待たせ致しました。お紅茶でございます」
「おお、本物っぽい」
ご主人様という単語に慣れていないようで、先程は取り繕っていた明澄も気恥ずかしそうにしていた。
それがまた愛くるしくて、手が明澄へ向きそうになったが、給仕中は危ないので我慢する。
トレイからティーカップを庵の目の前に差し出し、その場で明澄が紅茶を注いでくれる。
明澄は作法を知っているのか、手際よくジャンピングさせたり普段はしないような淹れ方で給仕していた。
「いつもより美味しく感じる気がする……」
「ありがとうございます。ご主人様」
「んーそれにしても……」
「どうされました?」
「いや、うん。この感じ、ご主人様ってよりも、旦那様の方が合いそうだな、と」
よく分からないが微妙なニュアンスというか、解釈の問題か。庵はふとそんな感想を述べる。
「……言わせたいのですか?」
「流石にそれは傅かせるようで悪いよ」
ここまで奉仕させておいて何を言っているんだ、と思われるかもしれないが明澄に『旦那様』を言わせるのはやりすぎに思えた。
「ふふ、変なところを気になさるんですね」
「うん、まぁ女子に奉仕させてばかりってのは落ち着かないって言うか、俺の感覚的にちょっとな」
「やっぱり庵くんは紳士ですよねぇ。天然たらしさんに属性を一つ追加しておきましょう」
明澄はおかしそうに笑うけれど、庵にとってはわりと重要なことだ。
誰に対しても基本的にお互いに対等でありたいと思っているから、あまり明澄には一方的な奉仕はさせたくないのだ。
けれど、そんな庵の感情は知らんとばかりに、躊躇いがちに口を開いて……。
「だ、旦那、様……」
明澄は少し言葉をつまらせつつ、小さく発した。瞬間、身と心が大きく跳ねるような感覚を確かに覚える。
恥じらう彼女を見ていると、悪いことをしている気分だ。
「いいって言わなくて」
「いいんです。私が言ってみたいだけなので」
庵の身が持たないのもあってあまり言わせたくないが、明澄は静かに笑いって言う。
好奇心なのかはたまた別の思惑があるのか。何度か「旦那様」と呟く明澄は満足そうに笑っていた。
これには流石に堪えられなくなって庵はまた明澄の髪に触れる。労うように撫でてやれば、明澄は受け入れて横に座ると肩を寄せてもたれかかってきた。
まるで主人がメイドを愛するような、そんな背徳的な感覚がたまらなく庵の理性を刺激する。思わず抱きしめにかからなかったのはやはり明澄の言うように紳士だったからだろう。
邪な感情を仕舞うようにただ撫でていれば、ほんのりとこそばゆそうにしている明澄が、こちらをじっと見ているのに気付いた。
「どうかした?」
「これでは奉仕出来ていないなぁと」
「そんなことか。ま、さっきの奉仕に対するご褒美と思ってくれ」
「ご褒美ですか?」
「ああ。他にもあれば聞くけど」
「で、でしたら、膝に乗ってもよろしいですか?」
明澄は頬に朱色を混じらせ、おどおどしながら庵に問うてきた。
若干気恥ずかしくて「明澄の指定席だしな」と庵がおどけた口調で許可をしたら、明澄は膝抱っこではなく横抱きになる形で腿の上に腰を下ろす。
あまりにも急かつそれに顔が近くて、潤んだ瞳に見られては目が合わせられない。明澄も恥ずかしくて堪らなかったのか、自分でしたくせにちょっとだけ狼狽えてから、はにかんでいた。
「これがいいのか?」
「メイドさんだったら、なんだかこんな感じがいいかなって」
「さいですか」
(これじゃ、愛人メイドだろ……)
主従関係というより、主人がメイドに情愛を向けているようにしか思えず、庵は内心で呻く。
程なく時間が経つと、恥ずかしさも落ち着いてきたのらしい。クスリと笑みを零した明澄は、どうしてか庵の頬や髪に手を伸ばして遊び出した。
「……あの、だ、旦那様、は楽しかったですか?」
それから満足したのか、明澄は千草色の瞳で庵に微笑む。
それがあまりにも綺麗で、庵は言葉に出せなかった。だから静かにこくりと頷いたら、明澄はまた目許を緩ませて「旦那様……」と耳を真っ赤にして呟いていた。
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