第77話 聖女様とのスケジュール

「庵くん。来月の予定をお聞きしてもいいですか?」


 夕食後のティーブレイク中、マグカップをことりと置いた明澄が、スマホを取り出してふと尋ねてきた。


 夕食を共にしたり仕事や配信など、庵と明澄は互いの予定に合わせながら生活している。月末が近づいてきたし、そろそろスケジュールのほどを話し合っておくべきだろう。


 今月は明後日――日曜日にある庵の2Dモデルのお披露目とデビューに伴う単独配信に向けて動いていたが、五月には日程が定かではない予定がいくつかある。


 澪璃みおりを含めたオフコラボや明澄が楽しみにしている二人だけのオフコラボ、ゴールデンウィークもそうだ。


 そこそこ忙しい五月になる事が予見された。また夏が近づくにつれて、明澄も庵も仕事が立て込んでくるだろう。

 

「連休明けまではちょっと仕事があるかな」

「……そうですか」


 明澄にとっては楽しみにしていることだから、先送りになると思ってしまったのだろうか。

 庵の答えに明澄は少しだけしゅんとして、またマグカップに口をつける。


 最近、明澄の行動で分かってきたことが一つあった。それは寂しい時や恥ずかしい時などに、感情が顕著に行動に出るということ。


 飲み物を飲んだり袖を掴んだり、クッションに口元や顔を埋めたりするのがそうだった。


「ガチガチに埋まってるわけじゃないから、配信も適度にしような」


 分かりやすく元気を失った明澄に軽くフォローを入れる。


「あ、はい……!」

「動かせない予定は無いし、澪璃と適当に合わせてくれたらそれで」

「では澪璃さんと相談しておきますね」


 気分を持ち直したようで、明澄は分かりやすく目許を緩める。

 心持ちの問題かそれとも女子高生だからか、素早いフリック入力でメモを書き込んでいた。


 そんな姿が可愛らしくてつい笑みを零してしまう。

 なんです? と訝る明澄だったが、庵は「なんでもない」とふるふると小さくだけ頭を振って笑みを抑えた。


「連休明けはどうされます?」

「んー、ゴールデンウィークは引きこもりがちになりそうだし、ぶっちゃけインプット期間をつくりたいんだよなぁ」

「連休明けならぐっと人も少なくなりそうですし、どこかへ行きませんか?」


 自然に尋ねられたが、明澄からそんなお誘いをされるとは思ってもみなかった。


 友人とはいえ、この関係は相互扶助から始まり、今ではどこか依存し合っているようなところがある。世間一般で言う友人とは少し違うだろう。


 だから、これまで明澄と出掛けたことは無い。出先で会った時に一緒に帰宅したことがあるくらいだ。

 庵としてはデートとはいかなくても、明澄と外出したいとは思っていたから思わず頬が緩んでしまいそうだった。


「庵くんはどこか行きたいところとかあったりします?」

「うーん。わけもなくぶらつくのが好きなんだよな。気になったところへ寄ってみる的な」

「じゃあ、ウィンドウショッピングとかお好きだったりします?」

「嫌いではないな。暇な時は丸一日、街中をぶらついてる時もあるし」

「目的もなくお出かけするのっていいですよね」

「寧ろそっちの方が好きかもしれん」


 どうやら明澄とは同じような嗜好をしているのかもしれない。 些細なことだが、気が合うというのは嬉しかった。


「……あの。では、一緒にお出掛けしましょうね」


 明澄は僅かに赤らめた様子で庵に微笑みかける。


 誘ってきた時はそうでもなかったが、デートのつもりではないにしても、男子と出掛けるとなると恥じらうものがあるのかもしれない。


 いいよ、と庵が頷きながら紅茶を口に含むと、その横でクッションで口許を隠す明澄がちらりと見えた。


「今年は庵くんとの予定が沢山ありますね」

「だな」

「ふふっ……去年の私に言ったらばかにされそうです」

「それは俺も同じだよ」


 感慨深そうにテレビの隣に置かれたカレンダーへ明澄は、目をやっていた。


 今年になってから何度も思ったことだが、やっぱり聖女様と呼ばれる明澄とお近づきになれたのは驚きだった。


 決して、明澄とどうこうなりたかった訳では無いし、明澄は人気があるから、なんならお隣さんであることが周りにバレたら嫌だとさえ考えていた。


 だが今では明澄に恋心を抱くまでになっている。

 生活面でも支えてもらっているし、自分もいくらばかりかは明澄のためになっているという自負があった。

 わからないものだなぁ、と庵もまたしみじみとカレンダーを見つめていた。


「オフコラボ、お誕生日配信もありますし、新衣装も夏休みもありますね。他には何をしましょうか」

「明澄がやりたいことはなんでも付き合うよ」

「庵くんのしたいことはないんですか?」

「あるっちゃある」


 明澄のことを想う庵としては、やはり交際のことがチラつく。

 彼女とそう簡単に付き合えるなんて思ってはいないけれど、いずれそれなりのけじめをつけるべきだろう。


 澪璃から言われた明澄の誕生日を祝ってあげて欲しい、というお願いも叶えなくてはならない。


 決して明澄には言えないけれど、庵にもやりたいことは沢山あった。


「明澄は他にしたいことはあるのか?」

「ありますよ。……いっぱいあります」

「たくさんあるんだな」

「……ええ、たくさんです」


 聞き返すと、明澄は噛み締めるようにどこか気恥しそうにこくりとする。


 時間が足りませんね、と苦笑する明澄に、自分の身体に熱がこもるのを感じて、庵は目線を逸らしてしまった。

 こんなことでも愛おしいと感じてしまうのだから、本当に明澄に熱を上げているのだと気恥ずかしくなる。


「たくさん楽しみましょうね」


 今年はとんでもなく忙しくなりそうだ。

 特に、そうやって明澄のまるで天使を思わせるような、どこか幼げで愛らしい微笑を見ていると、殊更実感する。


 徐々に顔が熱くなるのを感じるし、胸のあたりがやかましい。


 予定がいっぱいなのは幸せです、と明澄が紡いで嬉しそうにこちらを見上げるから、さらに庵の鼓動が速くなる。

 それから、明澄が目を瞑りながらくたりと庵の肩にもたれかかってきた。


「ほんと、幸せです」


 明澄との体温と触れ合う肩の感触にそわそわしていると、明澄が小さく本音を呟いた。


 余談だが、明澄がこうして肩にもたれかかってくるのには意味があったりするのだけれど、庵はまだそれを知らない。

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