第76話 聖女様と膝だっこ

「出ません。セシリアちゃんが出ません」


 難しい顔で横向きにしたスマホとにらめっこをしている明澄がぽつりと呟いた。


 学校から帰宅して夕食を済ませると、配信のない日は眠たくなるまで寛いでいることが多い。

 最近の明澄は庵がいるため配信に依存することもなくなり、自由な時間が増えているようで、こうしてソシャゲで遊んでいた。


 今日はお目当てのキャラをゲットするために、先程から何度もガチャを回しているらしい。

 真剣な表情で見つめたり、祈るように目をつぶったりを繰り返している。およそ三〜五セット毎に、ぴろんぴろんと音がしているのが怖かった。


 恐らく課金をしているのだろう。かれこれもう十五分近く同じことが続いていた。


「確率一パーセントだもんな」

「セシリアちゃん……」

「ほどほどにな」

「だって庵くんのイラストですもん」


 しっかり者でお金などにはきちんとしていそうな明澄だが、ここまで執念を燃やすのは庵が絡んでいるからだった。


 明澄が「セシリアちゃん」と呼ぶキャラクターはゲーム内でも最レアに位置し、限定キャラで人権と評価されているため、ピックアップそのものが少ない。


 だから、ゲットするにはこの機会を逃すといつになるか分からないのだ。

 何せこのキャラは一年前に初登場してから、二度目のピックアップだから尚更だった。


「絶対に当てます」

「澪璃に回してもらえば? あいつ豪運だろ?」

「あの子は他の人のガチャはダメなんです」

「なるほど」

「なにより私の手で当てたいので」


 庵としては自分の描いたキャラを求めてガチャを回してくれるのは嬉しいしありがたい。

 今回は当てはまらないが、性能がイマイチでもイラスト目当てで回してくれる人が多ければ、次の仕事も貰いやすくなるだろう。


 ありがたいなぁ、と苦笑気味に見守っていたところ、明澄がぽんと柏手を打ってからこちらに振り向いた。


「……そうです。いいことを思いつきました」

「なに?」

「こうなったら、触媒を使います」

「触媒?」


 妙なことを言い始めた明澄へ怪訝そうに見やると、彼女は強い意志を持って目を伏せていた。


 触媒。ここではソシャゲのガチャなどでよく使われる用語で、狙いのキャラやカードに纏わるモノのことを指す。

 キャラの元ネタとなった小説や本であったり、公式のグッズなどがあげられるが、ここにそれらしきものは無い。


 どうするんだ? と庵が不思議そうにしていれば、明澄はなにやらこちらをじーっと見つめてくる。


「あの、そこに座ってもいいですか?」

「そういうことか」


 そういうことです、と小さく頷いた明澄に庵は得心した。

 今回のキャラは庵のイラストだ。最強の触媒は庵そのものと言っても過言ではないだろう。


「し、失礼します」


 おずおずと、腰を浮かせた明澄はとなりから移動してきて、ちょこんと庵の膝の上に納まった。

 いわゆる、膝抱っこの体勢になる。


 こちらへ来る前にシャワーを浴びたのか、もぞもぞと体勢を整えている明澄からはふわりと石鹸の香りが漂ってきて少し擽ったい。


 ようやく位置が決まったらしく、スマホを片手にまたこちらを見やる。


「……庵くんの力、貸してくださいね」

「はいはい」


 可愛らしく首を傾げる明澄は、ネックラインが広めの折り襟のトップスを着ていて、綺麗な白肌のデコルテが見えていた。


 後ろから明澄のスマホを覗く庵は中が見えてしまわないか心配だったが、そこはちゃんと対策してあるらしい。

 シングルブレストのボタンはしっかり上まで留められているし、下は肌着でガードされていた。


 それには安心出来たのだが、何より問題なのは明澄がデニムのショートパンツ姿で、ストッキングもタイツも履いておらず、そのおみ足が晒されていることだ。


 庵も今日は短めのパンツスタイルなので直に肌が触れている。

 慣れたとはいえ、手や頬が触れるのでさえどきどきとするのに、明澄の脚という未知の感触に参ってしまいそうだ。


 このまま力を貸すと、ガチャが終わった頃には抜け殻になりそうな気がした。


「……ダメです……またダメです」

「このゲーム、渋いよなぁ」

「庵くん。力が足りないようなので、もう少し私に触れてください」

「へいへい」


 一向に当たる気配がなく、むむむと唸る明澄が更に庵を求めてくる。

 言い方に若干紛らわしいものを感じたが、最近はだいたいこんな感じだと分かってきたので、黙って明澄の頭に手をやった。


「……もっとです。もっと私にパワーを下さい」

「これ以上どうしろと」

「後ろから、ぎゅっー、し、してください」

「しょうがないなぁ」


 明澄を撫でてやっても、セシリアが出る様子はない。

 撫でてダメならもう少し密着するしかない、と考えたのか明澄は言いよどみながら耳を赤くして、後ろからのハグを要求する。


 耳まで赤くするならやめておけばいいのに、とは思うものの庵としては願ったり叶ったりなので、それは触れずに受け入れた。


「うーん、まだ出ませんね。もう少し何とかなりませんか」

「このままだと、変なところを触ることになるぞ」

「……触りたいのですか?」


 ちらりとこちらに顔を向けた明澄は、ほんのりと頬を染めながら尋ねてくる。

 自制心の強い庵だって男なのだ。明澄にもっと触れたいと思わないわけは無いので、触れていいのなら触れたい。

 しかし、明澄が良いと言うわけが無いし、男女の仲でも無いのに踏み込む選択肢は持ちえていなかった。


「答えはイエスだが、触るつもりは無い」

「ほんと紳士ですねぇ」


 面白そうに笑う明澄に庵は本当に触ってやろうかと、一瞬だけ考えた。


 無防備すぎる。

 それに庵の答えを分かっていて質問をしているのだから、少し意地が悪い。


 聖女様のくせに小悪魔だな、とそんな感想を抱きつつ変なことをする代わりに庵はもう少しだけ強く明澄のお腹に手を回す。


 そのまましばらくしていると、明澄の動きが止まった。


「どうした?」

「あ、あの……これ以上はダメです」

「お金か?」

「い、いえ私の命が、です」

「は?」

「このままだと、恥ずかしくてしにます」


 きゅぅ、と赤らんだ様子のままこちらを見ることもせず、明澄は固まってそう漏らす。

 何をいまさらそんなことを、といった風に庵は首を捻った。

 

 向こうが意地悪な質問をしてきたし、こちらも意地悪でそのまま抱きつき続けてやろうかとも考えたが、嫌われたら嫌だし可哀想だ。


 庵は明澄から離れてソファにもたれかかる。

 後ろに距離をとっていてもわかるほどに茹でだこになった明澄は見ていて面白い。


 庵が離れてからも、一人でガチャを回し続ける明澄は、何度か「い、庵くん、」と庵を求めかけてはやめたりと、とても可愛いらしい姿を晒していた。


「……あ! で、出ました……!」


 しばらくした後、明澄が声を上げる。彼女のスマホの画面に目を移せば、庵が手掛けたキャラが壮大な演出と共に降臨していた。


「良かったな。俺は力になれたか?」

「それはもう、はい……やばかったです」


 とりあえず、課金額には目を逸らすとして、庵が微笑ましいものを見る目をしながら明澄の耳元で囁く。

 すると、明澄は茹だったように赤くした表情をこちらに向け、意味不明な感想を口にしていた。

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