第75話 ご褒美とは

「オフコラボ、決まっちゃいましたね」


 部屋を訪れた明澄がちょっぴりお茶目に笑うと、庵も「仕方ないなぁ」と口許を緩めた。


「やってくれたな」

「ごめんなさい。でも、どうせならああやってひと騒ぎしながらの方がいいかと思いまして」

「まぁ、実際正解だろうな。コメント欄とかSNS見ても否定的なのはほとんどなかったし」


 明澄はアイドルのように扱われている側面もあり、いくら長い付き合いがある庵だとしても、少なからず批判があるものと思っていた。


 もちろん、あるにはあるし目にしない訳では無い。恐らくだが、無闇矢鱈に燃やしたい層が多いように見えた。

 今のところ過激な意見をほとんど見かけないのは、明澄との約二年の活動のお陰だろう。


 澪璃が一緒というのもあるし、なにより告知直前のコメント欄は、いつもの冗談とはいえ結婚なんてワードが飛び交うくらいだったのだ。

 明澄と庵のファンやリスナーはそういうコンテンツとして受け入れている、ということがよく分かった。


「私と澪璃さんの方でも色々とネットの反応を確認しながら準備してましたから」

「もしかして、澪璃と会ったあの時には既に?」

「ええ。二人きりで話した時にもう計画していました」

「全然分からなかった」

「ふふふ、色々考えた甲斐がありました」


 庵も澪璃といくつか計画を立てた。それは明澄も同じだった、ということだろう。


 サプライズ成功です、と明澄は悪戯っぽく笑っている。

 つい、ここ最近の癖で庵は撫でようと明澄に触れかけるのだが、寸前であることを思い出して手を引っ込めた。


「そういえば、ご褒美ってのは何が望みなんだ?」

「あ、そうでした。どうしましょうか」

「決めてないのかよ」

「決めきれていないのです」

「そうかい」

「で、ではとりあえず、今撫でようとしたのを続けてください」


(バレてた……)


 引っ込めた手の行方を追うように明澄がお願いをしてきた。

 一方的に明澄が言ってきた対決とご褒美だが、負けてしまったのは事実だ。

 甘える為の口実だろうし、一人だった明澄がようやく甘えたり頼ったりしているのだから受け止めてやるべきだろう。


 庵は言われた通りに、定位置となりに座る明澄に手を伸ばす。意図した訳ではないが、耳に触れたのがくすぐったかったのか明澄が少しだけ身をよじった。

 それから、庵の手に明澄が優しく触れたと思えば、明澄は誘導するように触れた手を、自らの頬へと連れていった。


 どうやら、今日はそちらの方が良かったらしい。

 明澄は満足そうに、ふにゃりと甘さを感じさせる笑みを浮かべていた。


「とりあえず、ってことは一つだけじゃないのか」

「一つだけとは言ってませんから」

「あいよ。なんでも言ってくれ」

「そんなこと言っていいんですか?」


 明澄の頬をふにふにとつついたり撫でたり、髪を梳いたりしながら庵がぽそりと言えば、ちょっぴり悪戯気な笑みを浮かべてた明澄が首を傾ける。


「何をさせるつもりだ」

「膝枕をさせるとか」

「俺のご褒美だけど、それ」

「い、一時間くらい庵くんを好きにさせて貰ったり」

「一時間なにするの?」

「撫でたり、触ったり、たまにぎゅってしたり……色々と遊びます」

「うん。俺のご褒美だな」


 明澄としてはそれなりに高い要求をしたつもりだが、庵にしてみれば逆に魅力的なものだった。

 

 あまりにも優しすぎる要求に庵は苦笑を抑えられなかった。はっきり言ってやると、明澄は「もう」と顔を赤くしてごつんと肩に頭突きをしてくる。


 頭突きをしたあとは顔を埋めて、なにやらしばらく呻いていた。

 その間も庵は明澄の頭を撫で髪を梳いたり、何度かぽんぽんと手をやったりと存分に堪能した。


(ほんと、可愛いな。誰だよ素っ気ないとか言ったやつ)


「……もう。本当に一時間くらいしますよ?」

「いや、だから俺は何も問題ないんだよなぁ」

「じゃあ、全部します。本当に良いんですね?」

「なんなりとお好きにどうぞ」


 何度も確認をしてくるけれど、明澄のご褒美の内容自体が自分のご褒美になるのだから、庵の意思は変わらない。

 恋い慕う相手だから当然だ。明澄はそんなことを知りもしないだろうが。


 それから庵は明澄を撫でつつ、動き出すのを待つ。

 撫でられるのか、髪や頬で遊ばれるのか。それとも膝枕をさせられるのか。


 何を望むのかは分からないけれど、しばし明澄に触れて庵が待機していると、ふやけた表情をした明澄の千種色の瞳がこちらを向いた。


「あ、あの。その事なんですけど別の機会でもいいですか?」

「なんで?」

「ちょっと気持ちよくて寝ちゃいそうなので」

「あーそれはダメだな」


 いつも、触れている時はとろけたような表情をするので分かりにくいが、確かに明澄の目はとろんとしている。


 もし寝落ちしてしまったら、またあの散歩に行った日のようになってしまうだろう。

 ようやく男の家で眠ることの危険性を分かってくれた、と思っていたのだが、明澄の次の言葉に庵はため息を付くことになった。


「ですです。だって、寝落ちしてしまったら私が庵くんを堪能出来ないので」

「いや、そういうことじゃないだろう」

「どういうことでしょう?」

「言ったよな。俺が獣になるかもしれんって」

「ふふ。やっぱり庵くんは紳士ですねぇ」


 論点のずれというか認識の齟齬があって、明澄は割とお気楽な考えをしていた。本当に邪なことなど何も無いように、無邪気に庵で遊ぶことだけを考えている。


 こちらは色々とよぎっているから、庵には罪悪感があった。


「そういうところは本当に好ましいです」

「ありがとさん」


 庵の言わんとすることが理解出来たのか、明澄は柔らかく、それはとても柔らかく微笑んで素直に感情を吐露していた。


 いつの間にか愛おしいものでも見つめるように優しく撫でられる。


 彼女のその言葉にはそれ以上の裏はないのだろう。

 安心しきっている明澄を見れば、男としてではなく、友人として信頼出来る人間性に掛けている言葉にしか聞こえない。


 それが、どれだけ異性として、恋愛感情からくる言葉だったら良かっただろうか。

 庵は痛む胸に手をやりながら、どうにか勘違いを起こしそうな自分を諌めた。


「明澄」

「どうしました?」

「可愛いんだから発言には気をつけろよ」


 庵はその感情を隠すように、さわやかに微笑をたたえて言うと、明澄はきょとんと千種色の瞳をぱちくりさせる。


 それから、ほんのりと庵の腕に顔を隠した。


「また、天然たらしさんです……」

「なんでだよ」


 ばかです。庵くんはほんとにばかです、と明澄は熱っぽく染めた頬を押し付けてくる。

 そんな様子に庵は怪訝に思いながら、明澄を胸に受け止めた。

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