第69話 新鮮な光景と見守る聖女様

「はい。もしもし……あ、お疲れ様です。かんきつです」


 夕食前、リビングで寛いでいた庵の元に一本の電話が掛かってきた。

 だらしなく座っていた庵は姿勢を正す。


『やぁ、久しぶりだね。かんきつくん、ちょっといいかい?』

「大丈夫ですよ。それで、戸塚さん。ご要件は?」


 掛けてきたのは庵の絵師仲間だった。

 仲間というよりは良くしてくれる先輩で、戸塚とつか桃人ももひとというイラストレーターだ。

 ラノベの挿絵や同人誌を主軸に活動する、今年でプロ歴が八年目になる有名イラストレーターとして知られている。


 一年ほど前に一緒に仕事をしてから仲良くなった青年で、たまに仕事を振ってくれたり、アドバイスをもらっていた。


 彼に用件を尋ねると、あまり大したことがなかったので、場所を移動せずその場にとどまる。


 キッチンを見やれば、夕食を作っている最中の明澄と目があって、邪魔しないように明澄は水道やフライパンの火を止めて、音を小さくしてくれる。


 問題なく声が聞こえるから、そのまま調理に集中してくれていいのだけれど、その優しさは尊重するべきだ。

 ごめんと手で謝って、電話に戻った。


『実は僕ね、今度Vのキャラデザを担当することになってね』

「ママ、デビューですか」

『君とは違って、僕はパパのつもりだけど……』


 庵のネット上での活動自体はかなり長いが、本格的な商業デビューからはまだ日が浅い。

 もっとも、VTuberの黎明期より少し後に氷菓のキャラデザを担当していて、こちらは割と経験がある。


 だから桃人はその知識を求めてきたのだろう。普段色々とお世話になっているので、庵は親身になって答えることにする。


 因みに、明澄のほうにちらりと目を向けてみると、なんだかこちらをじーっと見つめていて興味津々そうだった。


『――――はぇ、パーツ分けか。そうだよね2Dだもんね。僕は同人誌とかイラストだけで、そっち系のキャラデザをしたことはほとんどなかったからなぁ』

「俺なんてVのキャラデザはデビューしてから割とすぐだったんで、かなり大変でしたよ」


 VTuberのキャラデザは2D、3Dで動かすことが前提で、当然一枚のイラストとは求められるものが違う。

 2Dや3Dにしやすいイラストがあったりと、そういった知識があれば楽だと庵は知っていた。


 また、事務所や本人とのやり取りのことや、グッズ、新衣装の依頼など細かいことについても桃人と話し込む。


 庵がVTuber業界に触れて培ってきた技術や経験、知識を余すことなく伝えると、桃人は関心したような声を出していた。


 また、それは彼だけでなく明澄も同じようで、庵の仕事話に聞き入っており、なんだか目を輝かせている。

 加えて、うっとりした表情を見せたり、微笑ましそうにしていたりと、凄く楽しそうだ。


 初めは、先日通話中の明澄に悪戯をしたとことがあったので、その仕返しをされないかと冷や冷やしていたがどうやら杞憂だったらしい。


 寧ろ、明澄は邪魔にならないように徹底して見守っていた。


『じゃあ、聞きたいことも聞けたし、また何かあったら連絡するね』

「俺で良かったら何時でも連絡してください」

『うん、ありがとね』


 桃人とはVTuber関連のこと以外にも、彼が参加するイベントのお誘いなど仕事のことも話し合った。

 満足そうにしている桃人と通話を切ると、ふぅ、と一息をつく。


 姿勢を崩した庵は料理を作る手を止めていた明澄にありがとうと伝えると、彼女はにこりと頷く。


 そのまま、また調理を再開するのかと思ったら、明澄は何故かこちらへ向かってきた。


「どうした?」

「なんだか、新鮮だなぁと思いまして」

「新鮮?」

「はい、お仕事のお話とか、イラストレーターさんとやり取りをする庵くんが珍しくて」


 見せてもいいイラストの作業は兎も角、基本的に見せたり聞かせたりできないことも多いから、明澄にはこういった姿をあまり晒したりしない。


 桃人との会話中に明澄が興味津々にこちらを見つめていたのは、それが理由だったようだ。

 確かに庵としても、明澄の仕事中の姿は見てみたいし気になる。


 先日、夜々とのやり取りは見たけれど、やはり実際に明澄がVTuberとしてパソコンに向かっている姿は目にしたことがない。

 そう思えば、仕事中の姿は貴重といえる。


「普段はあんまり見せないもんな」

「はい。だから新鮮なのもありますけど、なんだか、かっこいい感じがしました」

「なんで?」

「絵を描いていらっしゃる時とか、さっきみたいにお仕事関係のお話をされている時の庵くんって、とてもかっこいいんですよ?」


 ですよ? と言われても庵には微塵も伝わらない。

 淡々と仕事をこなしているつもりなので、かっこいいなんて言われてもぴんとこないのだ。


 でも、明澄はどこか惚けるようにして言うから、本当にそう感じているのだろう。

 気恥ずかしくなってきて、庵はそうかとだけ返すにとどまった。


「ギャップというものでしょうか。いつもの庵くんて、あんなに真面目そうな雰囲気を見せませんからね」

「マヌケ面と言いたいのか?」

「なんでそんなこと言うんですか。庵くんはマヌケ面じゃないですよ」


 ふざけるつもりで卑屈に言っただけなのだが、明澄はむっとして庵の顔に手をやれば、むにむにと触ってきた。


 人と会ったり交流をしてこなかった庵は自分自身の評価をそれほど知らないから、容姿については必要以上に卑下したり卑屈になったりはしないけれど、謙遜はすることが多い。


 そんな彼を見てきた明澄は庵が卑屈になった、と考えたのだろう。

 明澄から、「庵くんはちゃんとかっこいいですよ」なんて言われるものだから、明澄の顔をまともに見れなかった。


「大丈夫、分かってるよ。朝霧とかにも言われるし」

「ならいいです」


 自分の容姿がそれなりに良い、ということを認めるのはなんだかナルシストみたいで嫌ではあるけれど、明澄を心配させる訳にはいかない。


 その旨をきちんと伝えると、明澄の手は庵の顔から離れていく。

 そんな風に気を使ってくれた明澄の頭に庵は手を伸ばして、わしゃわしゃと恥ずかしさを誤魔化すように少し強めに撫でた。


「なんで、ぐしゃぐしゃにするんですか……」

「何となく」


 いつものじゃれ合いとはいえ、女子に対して髪を乱暴にしてしまったのは少し可哀想だったかもしれない。


 明澄も怒ったりはしないけれど、もう、と言いながら髪を直している。

 それから、じゃあ、私も何となくしますから、と口にすると、庵の頭をそこそこぐしぐしと撫で回しにきた。


 けれど庵にとってそれはご褒美みたいなもの。

 自分の髪がぐしゃぐしゃになって困ることはない。外出時以外、オシャレに関してはあまり気にしてないからヘアスタイルなんてどうなってもいいのだ。


 好きな女の子にこうされるのは悪くない、と庵は楽しそうに受け入れて、されるがままに頭を差し出していた。


「なんで、嬉しそうなんです?」

「ん。こうされるのは好きだし、気持ちいいからなぁ」

「ま、また、庵くんはそういうことを言うんですからっ」


 素直に答えると、明澄は語気を強めて言いつつ、赤らめた頬を隠すようにわたわたと可愛く慌てていた。


 間もなくしたら「また天然たらしさん発動です」とそっぽを向いた明澄がぼそりと呟く。


 可愛いなぁ、とコロコロと笑った庵がまた手を伸ばしかけると、今度は明澄にペしっと叩かれた。

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