第68話 ぽんこつ聖女様といたずら
それぞれのパソコンから流れ出した着信音は、微睡むような時間に浸っていた庵と明澄を現実に引き戻した。
同時に掛かってきたということは、
澪璃以外ならこのまま通話に出るわけにはいかない。庵は一度明澄の肩を叩いてその場から離れるようにと促すと、眠気から意識が曖昧になっていた明澄がぼんやりとした目付きで、ちらりと庵を窺ってから頷いた。
しかし、明澄は何を思ったのか庵の膝の上に座ったまま自分のパソコンを引き寄せると、あろうことか通話を開始してしまった。
(……何考えてんだ!?)
「お疲れ様。夜々です」
着信の相手は夜々だったらしい。
焦る庵をよそに、普段とは違う丁寧な口調が明澄のパソコンから聞こえてきた。
どうやら、眠たさから明澄の思考力が落ちていたらしい。庵が肩を叩いた意味を離れろ、ではなく通話に出ていいと思ってしまったようだ。
声が聞こえてから明澄は、ようやく自分のしたことに気が付いて、焦った表情をしながら庵と視線を合わせた。
こうなっては仕方ない。
庵は鳴り続ける自分のパソコンをミュートにしつつ、明澄だけに聞こえるように「別にいいよ」と囁く。
澪璃にはもう事情を話していたりするし、いずれはオフコラボもする予定だから、夜々にバレたところでそれほど問題が無いのも事実。
バレたらその時はその時。リスナーにバレるのとは訳が違うから怖さも心配も無い。
それに最近は、親しい関係者にはあまり隠す必要もないかな、というのが二人の認識だ。
明澄は夜々からの通話に応答を始めた。
「はい、お疲れ様です。どうされました?」
「今度のコラボの話をしようと思ったんだけど……かんきつは繋がらないな。取り込み中なのかね」
「お仕事で、お忙しいのかもしれませんね」
取り込み中でもお忙しくもないのだが――いや、取り込み中といえば取り込み中か。
身動きの取れない庵にもたれたまま、明澄は白々しく口にして誤魔化す。
「他も繋がらんね。ま、このまま始めるか」
「あのう。この後、用事があるのと出先なので手短にお願い出来ますか?」
「あいあい。おっけー」
夜々は庵が聞いていることを知らない。彼が聞いてはいけない話をしないように明澄は誘導する。
一応庵の方でも対策を打った。庵はノイズキャンセリング機能を搭載したイヤフォンをどうにか手繰り寄せてきて装着すると、音楽を流して二人の会話を遮断した。
「三日後のコラボだけどね、ぱんまる先生が締切を破りそうでさ。二日ほど延期になりそうなんだけどいける?」
「あら、大変ですね。えーっと……問題無いです」
ミスを犯したものの明澄の切り替えは早く淡々とやりとりをする。
自分がどこに座っているのかとか、庵の事など気にすらしてないようで、すでに落ち着きを取り戻している。
彼女の対応力に庵は関心するものの、それはなんだかちょっとだけ癪だった。
意識されていないというか、自分はそれなりに背徳感や緊張感をもっているというのに、冷静な明澄にもやっとする。
それに、彼女のミスなのだから少しくらいは仕返しをしてもいいだろう。
ちょっとした悪戯心が芽生えた庵は、背後から明澄の頬をぷに、と人差し指でつついてみた。
「〜〜〜〜っ!?」
声にもならないように呻いた明澄が、びくびくっと肩を震わせる。
間もなくして、赤らめた表情で振り返った明澄が睨んで抗議してきた。
怖い、というよりも可愛いが正解か。
そうして、明澄はやるならこっち! と言わんばかりに庵の手を掴んで、強制的に自分の頭の上に置く。
どうやらそれは許してくれるらしい。
仕方ないので、庵はその指示に従うことにする。
「どしたの? 何か言った?」
「い、いえ!」
「そう?」
「はい、なんでもないです」
微かな声が向こうに聞こえたようで、訝ってきた夜々に対して明澄が狼狽えていた。
そんな様子にまた庵の中に背徳感が湧き上がってくる。
とはいえ、流石にこれ以上の悪戯は明澄を不機嫌にしかねないので、その頭を撫でるだけに留めた。
「――というわけで、和倉のおじさんは日程的に出られなくなったから、私一人で司会するけどフォローよろしくしていい?」
「もちろんです」
「助かるわぁ。じゃあ、伝えたいことはそれだけだから、また五日後よろしく」
「はい、お疲れ様でした」
手短く済ませた二人は本当に余分な話はせず、あっさりと通話を終了させる。
庵としてはスリルがあって悪くはなかったから名残惜しくあるけれど、このあたりが潮時だろう。
緊張感が解けて息をついた庵は、イヤフォンを外してまったりとしようとするのだが、明澄は許してくれなかった。
「も、もうっ! なんてことするんですかっ」
「いや、つい」
「つい、じゃありません。びっくりしたんですよ」
「悪かったよ。でも、通話を始めた明澄も悪いんだからな」
身体ごとくるりとこちらを向いた明澄は、頬を膨らませながらぽかぽかと庵の胸を叩いてきた。
普段クールな明澄でも流石にあれには動揺したらしい。今も朱色の混じった表情で、明澄はじとりと咎めるような視線を庵にぶつけている。
なので、とりあえずいつもと同じように宥めようと庵が撫でてやると、彼女はどこか甘さのある笑みを浮かべ始めた。
「そ、それはそうなんですけど。これからはしたら駄目ですから、ね?」
「どうしようかなぁ」
「わ、私がくせになったらどうするんですかっ」
「くせ?」
「あ、いや……」
「そうか。お前も背徳感を楽しんでたんだな」
庵がにやぁと意地の悪い笑みを浮かべていると、明澄は口を滑らせた。
楽しんでいたのは庵だけでなく、抗議をしてきた明澄も同じだったらしく、庵は少し嬉しくなる。
今までだったらこの関係がバレないか、それで壊れたりしないか不安になっていただろう。
でも、そうではなく楽しんでいたということは、それなりに明澄の不安は解消されつつあるということだ。
春休みに色々打ち明けて距離が縮まったこともあり、ほとんど確証はあったけれど、やっぱり直接確かめられたことは嬉しい。
着実にお互いを深く信頼してきているということだし、成長出来ているといえた。
「先輩を相手に悪いやつだなぁ」
「もう、庵くんなんて知りません」
そんな嬉しさからか庵は楽しくなって、また一つ明澄を揶揄えば、彼女にふんっと身体も視線も背けられた。
ばかっ、と呟きながら膝の上で座り直した明澄は「悪さをしたのはこの手ですかっ」と庵の手の甲をつねってくる。
「悪かったって。許してくれ、それと足が痺れてきててさ、そこから退いてくれない?」
「だめです。しばらくこうしてます」
軽いとはいえ人一人を膝の上に載せていると血流が悪くなる。
庵の足には痺れが生じ始めていたので彼女に謝るのだけれど、明澄は許してくれそうになく膝の上を陣取って動かない。
本当に辛くなってきた庵は、明澄を撫でたり髪をわしわしとして機嫌を取ろうと試みる。
でも、明澄は「まずはそうしてて下さい」と、撫でることを強要して許してくれなかった。
あ、これはダメなやつだ、と庵は反射的に諦めると、明澄が許してくれるまで膝の上でそのご機嫌を窺うのだった。
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