第67話 聖女様の指定席
「なんで中学生の問題を解かないといけないんだ」
ようやく休暇明けのテストも終了し、気怠い考査期間から解放されたというのに、庵は未だテストと向き合っていた。
彼がカタカタとキーボードを打って解いているのは、中学生以下のそれも比較的簡単で常識にすら近い問題だ。
なぜこんなものを解いているのかと言えば……
「仕方ないですよ。今度の『V絵師学力テスト』のメンバーはこうしないと解けない人がいますから」
「義務教育がラインってのが生々しいな」
「学力が求められない世界ですしねぇ」
という会話が示すとおり、三日後、庵と明澄は、数名のVTuberとその親(ママ)で学力を測って対決する、大型コラボ企画に参加するからだ。
ただ、その場で問題を解いて学力を測るのではなく、出現するであろう面白回答を紹介して、出演者をイジるというのが趣旨に近い。
なので前もって回答を提出する必要があり、二人は庵の大きな作業机に横並びで座って、淡々と問題を解いている最中だった。
「風呂に入らないやつ、低配信頻度、リスナーと喧嘩、中学生以下の学力……配信界隈はどうなってんだ」
「こ、個性ということで」
今度の企画に参加するライバーのメンツを頭に思い浮かべると、それはもう濃い面々ばかり。
ただ、
そして、三日後に集まる彼女たちの親も曲者ばかりだったりする。
「クソ雑サムネの人もいるしな」
「うっ……こ、個性ですから」
サムネのことをつつかれると思っていなかったのか、明澄はバツが悪そうにふいっ、と視線を外す。
清楚、優等生として有名な明澄だが、こうしていじられるのは配信者としていわゆる「おいしい」というやつなのである。
今のやり取りは単純に庵とのじゃれ合いなだけだが。
「高校生にもなって、算数をさせられるとは思わなかったぞ」
「まぁまぁ。童心に帰った気分で楽しいじゃないですか」
「折角、テスト勉強から解放されたのに……」
「ふふふ。では私より先に終わったらご褒美をあげますよ」
「俺、子供だと思われてる?」
いくら中学生以下の問題とはいえ、あまり勉強が好きではない庵からすると、ちょっとだけ面倒だ。
うへぇとキーボードを打つ彼を見て、にやっと笑った明澄がそんな提案をする。
たまに明澄は母親のような行動を取るのだが、庵からすると少し不服だ。
というか、恥ずかしいものがある。
それにご褒美と言われて頑張って、それが欲しいと思われるのは本意ではない。
明澄のことだからわざと手を抜いて、庵を可愛がりにくる可能性もあるだろう。
だから、庵は明澄に「じゃあ明澄が早かったら俺がご褒美をやる」と言って焚きつける。
すると、何故か彼女はとてつもないスピードでキーボードを叩き始めた。
数十分後。
結果、明澄は庵に圧勝した。
「えっと、それじゃあ、何が貰えるんです?」
勝った明澄はチェアをくるっと回して庵に振り向くと、こてんと可愛らしく頭を傾ける。
最近は今までの寂しさを補完するように甘えてくる明澄だから、ご褒美を楽しみにしているのかもしれない。
ただ、期待しているような目をしているところ悪いのだが、庵はご褒美について考えていなかった。
その所為で庵は戸惑うように、えー、どうしよう、と漏らす始末。
負けた上になんとも情けなかった。
「な、何がいい? イラストでも描こうか?」
「い、いいんですか!?」
「絵描きからのご褒美って言えば、それくらいだしな」
とりあえず、自分に出来ることを探す。
庵のアイデンティティ。それは絵が描けることだろう。
明澄に提案をしてみると、彼女は乗り出すようにして驚いて、出会ってから一番かもしれない程に目を輝かせていた。
「あ、でも。イラストなんて頂いたら私、倒れちゃうかもしれません」
「そんなに?」
「よく考えて下さい。推しから自分だけのプレゼントを貰えるなんて最高すぎませんか?」
「確かに、俺もそうだわ」
本来、推しから認知されることすら夢であり、明澄の言うように自分だけにプレゼントを貰えるなんて信じられないし、ひと握りくらいだろう。
庵のイラストは明澄にとって聖遺物といってもいいくらいで、一生の宝物になる。
明澄はここぞとばかりにかんきつガチ勢の顔を覗かせていた。
「倒れられたら困るし、他のにしようかな」
「で、では私からお願いしても良いですか?」
「いいよ。俺に出来ることならなんでも」
「少し失礼しますね」
倒れるというのは比喩ではあるが、無くはない話でもある。
庵だって、こうして明澄と話しているが、氷菓を愛しているといっても過言ではない大ファンだ。
彼女の気持ちはよく分かる。
そうして、別のご褒美に変えることにすると、明澄はチェアから立って、ちょっとだけ躊躇いを見せたあと、庵の膝の上にちょこんと座った。
「何してんの?」
「たまにはこういうのもいいかなぁと思いまして。庵くんに前から撫でられるのも良いですけど、後ろからはどんな感じなんだろうって」
「撫でることは確定なのか」
「だって、凄く安心するんですもん」
突然、庵は太腿の上に座られて困惑する。
身体を預けてきた明澄の柔らかい感触が、胸や足にダイレクトに伝わってくるし、ふわりと香るシャンプーやボディクリームの甘い香りに鼻腔がくすぐられた。
ちらりと顔を振り向かせた明澄は、にへらっと笑って庵の手に触れる。
それだけでドキドキとするし、後ろからというのもあるのだろう、あらぬところに手が伸びてしまいそうで怖い。
明澄は純粋な気持ちで求めてくれているのだろうし、他意があるような雰囲気でもない。
それに恋愛感情というよりは、なんだか依存し合っているような感覚にも思えて、ふと冷静になった庵は心を落ち着かせた。
「やっぱり、私はだめになってますね」
「そんなことないだろ。明澄は普通になろうとしてるんじゃないのか」
「そうなのでしょうか?」
「本当は俺じゃなくて、家族に与えてもらうものなんだろうけど、そういうのを今ここで受け取ってるだけだと思う」
「かもしれませんね」
「甘えるなんて普通のことだろ。明澄はだめになんてなってないよ」
「庵くんが言うなら……」
彼女の孤独は普通ではない。これまで恵まれてこなかった事が明澄の当たり前になっていると思われる。
だから、明澄は甘えるという感覚をだめになるなんて考えてしまっているのだろう。
庵にはそう思えないし、思って欲しくない。
明澄が愛情というものを知らないままだと、自分の恋慕う気持ちが伝わらないような気がする。
想いを伝えるため、ステップを一つ進めていくために、彼は明澄にそう口にしたのだ。
そうして、甘える感覚が普通だということを理解してくれたのか、明澄が穏やかな笑みで頷くと、庵は背後からその頭を撫でた。
「本当に心地良いです。これが甘えるってことなんでしょうか」
前を向く明澄の表情は分からないけれど、きっと穏やかな顔をしているのだろう。どこかとろんとした口調で、彼女は撫でられるたびにちょっとだけ頭を揺らす。
艶のある銀髪はとても撫で心地が良い。庵まで頬や目元が緩むようだ。
そうこうしていると、邪な気持ちなんてなくなってくる。
好きな人を癒したい、甘やかしたいという感情だけが、庵の心とその手を支配していた。
「俺はそう思うよ。にしても、俺の膝上で楽しそうにするのはお前くらいだろうな」
「そんなことありませんよ。庵くんなら、きっと誰でも癒せると思います」
「どうだろうなぁ。今後、誰かに指名されるとは思えん」
「しばらくは私の指定席ですしね」
自由席ではないのは確かだろう。
指名されたとして、明澄以外なら断る。
願わくば指定席と言わずに特等席と言って欲しいが、今はまだ叶わぬ望みだろう。
明澄がそばに居てくれることだけでもと思い、庵は遠い目をしながらその髪を梳いていく。
指先から伝わる感触と全身に掛かるその体温に満足して、さらに明澄に触れていると、だんだん明澄から口数が少なくなっている気がした。
もしかすると、安心して眠くなっているのかもしれない。
それは困る。流石にこのまま寝られてしまったら、またあの邪悪な感情や理性と戦わなくてはならない。
そろそろやめ時だろうと、庵は明澄に声を掛けようとするのだが、
「ひゃっ!?」
「おっと……、!」
唐突にパソコンから、ボイスチャットアプリのメロディが流れてくる。
そうして、図らずものんびりとして眠くなりそうな時間は終わりを告げた。
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