第66話 聖女様の着てみたいもの

「おぉ!? 動いてるっ! すげぇ……!」


 春休みが明けて数日。

 午前授業から帰ってきた庵はパソコンの前で、そんな風に興奮しながら上半身を忙しなく動かしていた。


 春休み明けは一週間ほど午前授業になる。

 午後が丸々放課後となった学生たちは今頃、どこかへ遊びに行ったりと色々楽しんでいるのだろう。


 けれど庵はそんなことには目もくれず、以前より進めていた「かんきつ配信者化計画」の肝である2Dモデルを試している途中であった。


「まだベータ版らしいですけど、しっかり動いてくれますね」

「やべぇ、俺の絵が動いてる!」

「それは私の時に体験してるのでは?」


 "先輩"である明澄の方が詳しいので、手伝って貰いながら2Dモデルを触っているのだが、庵はいたく感動していた。


 目の前で自分に合わせて動く2Dのかんきつに対して、目を輝かせながらしきりに身体を捻ったり頭をぶんぶんと振ったりする。


 確かに氷菓で自分のイラストが動いている所を目にしているし、なんなら3Dになっている姿も知っている。


 それでも、自分の分身であるかんきつが動いてるのは格別だった。

 まだ、完成していないので動きが硬く、カクカクと鈍い挙動もあるけれど、動いているというだけで感動できる。


 そんな庵に対して子供みたい、と呟いた明澄が苦笑いで見守っていた。


「あ、そういえば、かんきつくんと氷菓の瞳の色は一緒にしたんですね」

「その方が親娘感が出るしな。細かいところは割と氷菓に合わせてるぞ。そもそも、このかんきつくんは、落書きだったから雑だったし一新したんだよ」


 隣で見ていた明澄はかんきつのキャラデザの細かいところに気がついて、氷菓との共通点に嬉しそうにする。


 どちらも大好きな庵のイラストだし、彼との繋がりを感じて目を細めているのだろう。

 庵としてはその反応は狙ってやっているので大成功である。


 親娘であれば、似ているところがあった方がリアルだろうし、いわゆる「エモい」を生み出せるわけだ。


 てぇてぇと言われる二人を、より尊く見せるためのこだわりがそこにあった。


「そのうち、お揃いの衣装とか出したいですね」

「おーいいな! なんの衣装にしよう?」

「まだ私が出していない季節物ですと水着でしょうか」

「男の水着は需要がなぁ。前に出した魔女衣装とか、着物系とかは合わせやすくていいかもな」

「まだ早いですけど年末年始の晴れ着なんかは絵になりますしね」

「後はなんだろうな」


 和気藹々と衣装の案を出しながら、画面に並ぶかんきつと氷菓の絵を二人は想像する。


 ここまでくるとユニットみたいになってくるのだが、金髪のかんきつと銀髪の氷菓ならとても映えることだろう。

 庵はぷろぐれすに所属していないので、氷菓とセットのグッズは出せないけれど、配信やイラストブックが賑やかに出来そうだ。


 何よりもお互いに推しなので、共演出来るだけで嬉しいし舞い上がってしまう。

 衣装の案は尽きなかった。


「時期的にですと再来月にジューンブライドが来ますね。私もまだその衣装は出してませんし」

「ジューンブライドか。俺も氷菓のウェディングドレスは見たいんだけど、さすがにお揃いで出したら露骨だしなぁ」

「でも、かんきつくんの新郎姿は見てみたいかもしれません」


 六月には大きなイベントとして、ジューンブライドがある。

 正月、バレンタイン、ホワイトデーに続く、今年前半の目玉イベントだ。推しのウェディングドレス姿やタキシード姿は誰しもが見てみたいもの。


 庵だって氷菓のウェディングドレス衣装を描いて堪能したい。


 というか、庵としては明澄の方を想像してしまうのだが、流石にそれは妄想が過ぎるだろう。

 ふるふると首を振って、氷菓の想像だけに切り替えた。


「頭を振ってますけど、何かありました?」

「そういや、家のどこかにドレスがあったなと思って」


 余計な妄想を振り払おうとしていたら、明澄に挙動がおかしかったことに気付かれる。


 明澄のウェディングドレス姿を妄想した、なんて言ったらそっと引かれてしまうだろう。

 数瞬で思いついた言い訳で話を逸らそうとするけれど、それが裏目に出た。


「え? ここにウェディングドレスがあるんですか?」


 イラストレーターということもあって、庵が資料用にコスプレ程度の衣装をいくつか持っていることを、明澄は既に知っている。


 ただ、まさかウェディングドレスがあるとは思っていなかったのだろう。明澄が驚きつつ食いついてくる。

 そのせいで、折角頭の中から排除したというのに、また妄想が蘇ってきてしまった。


「いやいや、あれは流石に高いから、家にあるのはウェディングドレス風の安いやつだよ」

「それでも、ちょっと着てみたいです」


 どうにか表には出さないように取り繕う庵だけれど、明澄はそんなことは露知らず、目を細めてそう口にする。


「その辺の奥に仕舞ってたと思うけどね」

「あ、ほんとですね。ありました」


(いや、もう探してたのかよ)


 隣にいた明澄はいつの間にかいなくなっていて、部屋のクローゼットから直ぐに見つけてきた。


 これまで誰一人とも異性と交際をしてこなかった明澄だが、やはり女子として憧れるものがあるのだろうか。

 ウェディングドレスを手にしながらそわそわしている。


 誕生日も六月だし、ウェディングに何か特別な思入れがあるのかもしれない。


 どうしても着たいのであれば、体験が出来るところもあるので、付き添いくらいならするし、どうにかしてあげたいものだ。


 なんなら自分が明澄を幸せにしてやれば自ずと叶えてやれるけれど、明澄の気持ちを確かめるまではまだ先になる。


 それがちょうど六月というのは皮肉というかなんというか複雑だが、もしかしたらそこで決めなさいという天啓かもしれない。


「今年はウェディングドレス衣装、良いかもですね。庵くんに描いてもらうことですし、資料になってあげましょうか?」

「やめとけよ。結婚前に着たら婚期が遅れるっていうだろ。本物じゃないけどな、それ」

「じゃあ、ベールだけでも」


 今、明澄にそれを着られたら庵はどうにかなってしまう、いやなれる自信があった。


 信憑性など何も無く噂程度のものだが、そんな迷信に頼ってまで明澄を止めにかかる。

 なのに、明澄は衣装に付属していたベールをじっと見つめたあと、おずおずとそれを見せてくるのだから止められるわけが無い。


「好きにしたらいいよ。遅れても知らんけどな」

「そもそもできるか分かりませんけどね」


 偽物ではあるわけだし、結局は根拠の無い迷信だ。明澄が被りたそうにしているので、庵はそれ以上は止めなかった。


 すると少しだけ寂しく笑った明澄は、べールを付けるため髪を整え始める。


 なんでそんなことを明澄が言うのかは大体想像がついた。愛情や家族がどんなものか、あまり実感出来ずに育ってきたからだろう。


 そう思うと庵は優しげな目つきでその様子を見守るのだった。


「ど、どうです……か?」

「いい、と思うけど?」


 しばらくして、ベールを付けた明澄は躊躇いがちに見上げながら、そうやって反応を窺ってくる。

 ほんのりと頬は赤みを帯びていて、恥ずかしさからか上目遣いの瞳は潤んでいた。


 はっきりいって、綺麗の一言に尽きる。

 ベールを一つ付けただけなのに、こんなに変わるものかと驚いた。

 直視するにはあまりにも綺麗で可愛らしくて、照れ隠しにすっと庵の手が明澄に伸びる。


 庵と明澄が互いに触れるのは、可愛いからとか綺麗だからとか、褒めるためではない。

 お互いの不安を取り除いて、安心感を得るための行為だ。


 だから、撫でる要素があったわけではないのに庵が手を伸ばしたので、明澄が目を瞬かせて驚く。けれど、彼女は直ぐに眦を下げて愛らしくふにゃっとさせていた。


「これは、ウェディングドレスの新衣装作らなきゃな」

「は、い……お願いします……」


 二人は恥ずかしくなって、いたたまれなくなる。

 そうやって互いに視線を逸らしながら約束をしてから庵が手を退けると、明澄は限界に達したのか床に置いていたウェディングドレスを拾って顔を隠した。


 それすらも可愛らしくて、つい口許が緩む。


「にやつくのやめてください……」

「してねぇって」

「じゃあ、そのままカメラにトラッキングしてもらって下さい。にやついてますもん」

「……ほら。してないだろ?」


 顔を赤くさせて咎めるように抗議をしてくる明澄が面白いので認めない庵に、彼女はパソコンを指差してそう言ってきた。


 なので、仕方なく庵はトラッキングソフトで、かんきつに自分の表情を反映させる。

 もちろん、にやついているのは分かっているから、きりっとしておどけた。


 けれど、


「……ずるしないでください」


 当然、そんな拙い誤魔化しは明澄にバレてしまい、ぽすんとベールを投げつけられる。

 ついでに「……ばればれです」と、口にした明澄にすんっとそっぽを向かれてしまった。


 不満げな様子に、何とかならんかね、と庵が小さく笑いつつ、また明澄に手を伸ばして撫でてみる。


 そうすると、明澄は庵をじとーっと見つめ、「……誤魔化されませんからね」と、ウェディングドレスにまた半分ほど表情を隠した。

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