エピローグという名のおまけ

「いやぁ、疲れたなー」


 帰宅後、数時間とはいえ濃密だった澪璃との顔合わせの疲れを感じながら、庵はリビングのソファにだらっーと腰掛ける。


 ぐったりとした庵がそう漏らしていると、隣り座った明澄に「手は洗いましょう」と、母親のように促された。


「あの子の相手をするのは大変だったでしょう?」

「大変つーかなんつーか、あの鋭さは怖いわ」

「あはは……そうですね」


 澪璃のあの先読みをしたような、考察力と鋭さは異常だ。

 世の中、ミステリー小説に出てくるような探偵なんていないことは知っているけれど、彼女がそうだと言われたら信じるかもしれない。


 全て見透かしたかのような振る舞いをするかと思えば、おどけたり妙な行動をして翻弄してくる様はトリックスターのようにも見える。


 魅力的な人間とは彼女のような人のことを指すのかもしれない。

 ひねくれたり卑屈だったりするものの、素直でどこか鈍感な二人からすると中々に翻弄されてしまう。


 庵と明澄は苦笑しつつ、そんな澪璃とのやり取りを思い出して楽しさを感じていた。


「そういえばお土産はなんでしょう?」

「開けてみるか」


 田舎から戻ってきた澪璃から貰ったお土産が入った紙袋に明澄が目をやる。


 二人が貰ったものは同じようで、それぞれ開封していった。


「あ、北海道の銘菓ですね」

「バターサンドか」


 紙製の箱の包装を剥がすと、有名なご当地の銘菓が現れる。

 庵も北海道に行くと必ず買うし、たまにショッピングモールのフェアで見かけたら購入するほど、美味しいお土産だ。


 つい嬉しくなって、一つ開けそうになるけれど、止まらなくなるのは分かっている。明澄に「夕食前ですよ?」と止められた。


「これ、美味いんだよなぁ。一個くらい良いだろ?」

「そうですね、一個くらいなら。私はやめておきますけど」

「んじゃ、半分にするか?」

「それなら、まぁ」


 ただ、どうしても食べたかった庵は明澄と半分こに分けることにする。


 明澄にバターサンドを半分に割って手渡すと、明澄はなにやら嬉しそうに「半分こというのはいいですね」と呟いて口にしていた。


「美味い」

「はい。美味しいです」

「紅茶を入れたら良かったな」

「では、今夜のデザートにとっておくということで」

「だな」


 二人してお菓子を食べながら、まったりとした時間を過ごす。

 隣にいる明澄とはいつもよりなんだか距離が近い気もするけれど、それが心地良い。


(気を許してくれてるんだよな?)


 ふと柔らかな微笑みを称える明澄に手が伸びそうになるけれど、帰りも手を繋いだしあまりベタベタするのもどうかと思って、その手を引っ込める。


 それに付き合ってもない男から頻繁にというのも、気恥しいものがあった。


「なんです?」

「いや、少し疲れたなと。夕食は一緒に作るからそれまで寝かせてくれ」

「良いですよ。時間になったら起こしますね」


 庵の挙動に気付いたのか明澄はこちらを透き通った蒼い瞳で見つめてくる。


 ちらりと自分の手に目が行ったことも確認できたので、それなり察していたのだろうが、ただそれには何も言わないので、庵も話を逸らした。


 疲れたというのは本当で、初めあったあの緊張感と澪璃の相手をしたからか、思った以上に疲労が溜まっていたのだ。


 庵は明澄に伝えると目を瞑る。

 そうすると、隣から「おやすみなさい」と小さく囁かれて頭を撫でられるのだった。




「庵くん、そろそろ夕食を作りますよ」


 およそ一時間ほど経った頃、ソファにもたれかかって眠る庵の元にやってきた明澄が声を掛けた。


 しかし、反応はなく小さな寝息を立てる庵がそこにいるだけ。


「庵くーん? まだ寝てるんですか?」


 何度か明澄が揺すったりしてみたけれど、やはり起きる気配がない。

 試しに、明澄が庵の頬や髪を撫でたり触ったりして、起きるかな? と色々と触れてみる。


「ぐっすりですね。ふふっ、子供みたいです」


 それでも起きる様子がなく、熟睡する庵に対して、明澄は優しい表情で笑ってまた庵を撫でた。


 ここまでして起きないのであれば、もう少しだけ寝かせてあげるほうがいいかもしれない。

 配信の予定もないし、ある程度なら夕食が遅くなってもいい。


 だから、明澄はさっきよりも庵の近くに腰掛けて、少しだけ目を瞑った。


(これは、しあわせですねぇ)


 そうして、明澄は目を伏せたまま、ほんのり口角を上げながら、ふと庵にもたれかかった。


 触れた肩や腕の仄かな温もりや、穏やかな時間に小さな幸せを実感して、もう少しだけ身体を寄せる。


(私はどうなんでしょうね)


 その多幸感の中、ふと彼女は自分の庵に対する気持ちを考え始めた。


 澪璃が泊まりに来た日もそう感じていたが、やっぱりまだ分からないというのが本音だった。

 きっと好きなのだろう。でも異性として愛しているかなんて聞かれたら詰まってしまう。


 庵の優しさに救われているし、寂しかった心を補ってくれてもいる。

 彼は気を許してくれているのだろうけれど、それは天然による優しさなだけかもしれない。


 庵もたまに甘えてはくれるけれど、なんだか共依存のようにも思えた。

 まともに愛された記憶がない明澄は、家族としての愛情も恋愛としての愛情もごちゃごちゃになってしまっている。


 だからこそ、ちゃんと確かめたいし、答えを出したい。

 そう思ったら、明澄にちょっとした悪戯ごころが芽生えてしまった。


(こ、これくらいはいいですよね?)


 誰かに言い訳するように心の中で呟いた明澄は、くっと庵を引っ張ってこちら引き寄せる。そのまま一緒にソファに倒れたら、明澄は胸から下に大きな温もりを感じた。


(わ、私は何を……!)


 しばらく考え込んだり、温かさを堪能してはいたけれど、冷静になると羞恥心が込み上げてきた。


 押し倒される訳でも抱きつかれるような姿勢でもない。

 寧ろ甘える子供を寝かしつけているような体勢ではあるけれど、やっぱり恥ずかしさが勝った。


 確かめるにも程があるし、これはいたずらが過ぎた。


 顔を真っ赤にした明澄は、急いで寝ている庵と共に起き上がって、ばくばくと暴れだした心音を抑えるようにふるふると頭を振った。


(やっぱりまだこれくらいにしておきましょう)


 離れたせいでまた寂しさを感じた明澄は、もう一度、庵にもたれかかる。

 赤らめた表情のまま、恥ずかしさからくる体温の上昇と、庵の温もりを明澄は存分に享受する。


 そして、願わくばこの幸せが続くようにと、仄かな期待を込めて「おやすみなさい」と呟いた明澄は、また目を瞑るのだった。

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