第64話 聖女様の親友とご対面

 春休み最終日前日。

 庵と明澄は隣町までやってきて、今はビルの貸し会議室の前にいた。

 特に偉い人や仕事関係者と会う訳では無いのだが、庵は自然と居住まいを正す。


扉を開けたらその先には、澪璃がいる。


 庵や明澄の自宅でも良かったが、澪璃が午前までこの貸し会議室を使って仕事をしていたらしく、そのままここで会うことになっていた。


「この先に居ると思うとなんか緊張するな」

「庵くん、ビルに着いてからもう三回くらい同じことを言ってますね」


 人と会わない理由を明澄に話してすっきりしたからか、今ではそれほど抵抗はないが、これまで会うことを避けてきたこともあり妙な落ち着かなさも確かに感じている。


 けれど、いつまでもこうしているのも待たせるだけなので、庵はふっと息を吐くと満を持して目の前の扉を開いた。


「こんにちは。ごきげんよう、わたくし、九重零七あらため、有馬澪璃と申します。本日は遥々おいでくださり、御足労感謝致しますわ」


 部屋に入るなり、目の前で待ち構えていた少女みおりがスカートをつまみ上げて、そうお辞儀していた。


 誰? というのが、澪璃に対する庵の第一印象だった。


 紺色のロングスカートにベージュのタートルネックセーターを合わせ、首にはペンダント、足元は大人っぽさのある黒のブーツを履いた、長い金髪のお嬢様がそこにいた。


 配信や過去の発言から金髪の美少女とは知っていたが、お嬢様とは聞いていない。

 そもそも口調が全く違う。表情も凛としていて、服装から振る舞いまで全てが清楚だ。


 明澄もかなりの清楚さがあるけれど、彼女はそれ以上じゃないかと思うほど。


 あの人懐っこくどこかのんびりとした喋り方をする彼女はどこに行ったのだろうか。

 ただ、想像と一致したのは目元だ。亜麻色の瞳は少し眠たげで、これまでの喋り方と符合するようだった。


「え、えっと……」

「澪璃さん、彼を揶揄うのは良くないですよ」

「あ、ごめんごめん。ついね、ふざけたくなっちゃう。ま、こっちのわたしもわたしなんだけどさ」

「あなたの悪いところですね」

「ごめんね。あなたがかんきつ先生かな? イケメンだねぇ」

「はぁ」

「兎も角、もう一回自己紹介しとくよ。わたしはぷろぐれす所属ライバー九重零七の中身で、名前は有馬澪璃。よろしくね、センセイ」


 戸惑う庵の隣で明澄が彼女を窘めると、澪璃はまるで人格が入れ替わったかのように喋り出す。


 それはいつもの彼女だった。


 全てが彼女のペースで、庵は怒涛の展開に人と会うのがどうとかそんなことはこれっぽちも頭の中からなくなっていて、なんだか配信の時のような感覚を抱きはじめる。


 澪璃の振る舞いはにやっていると言われた方がしっくりくるくらいだった。


 もちろん、元からの知り合いというのもあるし、明澄の親友という信頼できる人物だからでもあるけれど、ここまで緊張感が解けるのは、彼女のフレンドリーな性格が為せる技なのかもしれない。


 そうやってあっさりと彼のトラウマは消えてしまったので、今までは一体なんだったんだ、と拍子抜けした。


「あ、ああ。よろしく。これ手土産です」

「ありがとね。こっちもお土産どうぞ」

「ありがとうございます。あ、俺はかんきつ改め、朱鷺坂庵です」

「へー庵くんって言うんだねぇ。じゃ、いおりんって呼んでいいかな?」

「うん、まぁいいけど……」

「わたしのことはみおりんでもいいし、みおちゃんでもなんでも好きに呼んじゃって」

「お、おう」

「さ、そこに座って、じゃあ、わたしたちのこと、君たちのこと、色々話そっか」


 勝手に庵のあだ名まで決めて、澪璃は未だ主導権は渡してくれなかった。

 澪璃の配信頻度は低いけれど、それでも彼女が人気配信者たる所以の社交性と会話スキルを庵は目の当たりにする。


 そんな彼女に庵が圧倒される中、澪璃は自分とは対面の席を指差して、にこりと笑っていた。




「なーるほど。なるほど、なるほど……なるほどねぇ。そういう事かぁ……ふむ。だから、あれはああいう……」


 二時間近くは話しただろうか。

 二人の話を聞き終えると、澪璃は何度もなるほどと口にして、一人で頷いて自身の想像や予想していたことと答え合わせをしていた。


 伝えた内容は、明澄と庵の関係やオフコラボを含めた今後の配信スタイル。また、庵がどうして人と会わなかったのかなど、この三ヶ月間に起きたことも澪璃に全て話した。


 もちろん、庵と明澄が互いにスキンシップを取っているとかそういったことは伏せてあるが。


「そっか。あすみんもちゃんと良いオトモダチと出会えたわけだね。うん、ほんと、ほんとうに良かったよ。これでわたしから卒業か……寂しくなるねぇ」

「勝手にしみじみしないでください」

「割と本当にしみじみしてるんだけどね。これでもさ」


 彼女にはそれなりに思うところがあったらしい。

 心外だなぁ、と眉を八の字に下げておどけるような様子の澪璃も、話を聞いている時はかなり真剣だった。


 それほど、明澄のことを友人として気にかけていたようだ。


 話し合う中、澪璃も色々も感じたことがあったようだが、それは庵も同じで、特に澪璃の優しさを感じることが出来ていた。


 庵の過去のことを話した時は、明澄のように泣くとまではいかなかったが、実際に会うのは初めてのはずなのに、そのことを怒ってくれたりもした。


 明澄が親友というだけはある、愉快さや面白さを兼ね備えた優しい女の子。それが有馬澪璃に対する庵の印象だった。


「そういえば、聞きたかったんだけどね」

「なんです?」

「二人は付き合ってないの?」

「何を言い出すかと思えば……お付き合いしてたら報告してますよ」

「んじゃ、わたしがいおりんを貰おうかな。かっこいいし、お金もってるし、料理もできて、話を聞く限り優しいみたいだし。超優良物件的な?」

「……澪璃さん?」

「うっわー、怖。分かった、分かった。あすみんのママには手出さないから」

「ははは……」


 話がひと段落すると、澪璃はいつもの配信の時のようなあけすけな態度に戻っていて、かんきつガチ勢の明澄を刺激する。


 当然、明澄は澪璃に対して睨みつけるように怒った。その静かな怒りは、傍から見ていた庵ですら苦笑いするほど。


 演技ではあるのだろうが、あの明澄がここまで怒りの表情を見せるのは初めてで新鮮な気持ちになる。

 普段は配信でしか知らないが、リアルでの澪璃とのやり取りもこんな感じなのか、と直接目にすることが出来てなんだか嬉しくなった。


 それに、二人の鉄板のやり取りとはいえ、庵からすると好きな子にこんな反応をされるのは別の意味でも嬉しい。

 自分の顔がにやけないようにするのは大変だった。


 明澄を見つめすぎないように、ふと澪璃に視線をやると、にまにまとした視線を澪璃から向けられており、どきりともした。

 

「よし、ここからは個別のお話タイムにしよっか」


 それからしばらくして、にまにまと笑っていた澪璃は唐突にぱんっと手を叩いて、そんな風に切り出した。


「何をするつもりだ?」

「また、あなたは……」


 すると、明澄はまた始まった、と警戒するようなそれでいて呆れるような口振りになる。


 庵からすると澪璃のことはまだあまり知らないから、軽く訝しむくらいで首を傾げるだけ。

 なんなら、これが彼女の素なんだなぁ、と呑気にしているほどだった。


「そのままの意味だよ。お互いにわたしとサシで聞きたいこと話したいことあるでしょ?」


 違う? と澪璃は尋ねてくるが、実際その通りで、庵には明澄のことについて聞きたいことがいくつかある。


 澪璃が目ざといというか鋭いことは分かっていたが、直接会うとより一層鋭く感じて頷かざるを得なかった。

 どうりで明澄が警戒するわけだ。


 そうして、まずは頷いていた庵が、にやりとした澪璃に隣の部屋へ連れていかれるのだった。

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