一・五章
第60話 聖女様、待機中
「庵くん、お仕事の調子はいかがですか?」
翌日。
明澄が思いを打ち明け切った時、日付は変わっていたので正確には同日か。
彼女はあの後、睡眠をとってから午前中に配信をしていたようで、そのおかげかすっきりしたらしい。
午後になってからは庵の仕事部屋を訪れており、彼に飲み物や甘いものを用意したりと甲斐甲斐しく給仕に精を出していた。
「ま、順調かな」
「夕食は何時頃にしますか?」
「んー、やれるところまでやりたいし、八時頃にしようか」
「……分かりました」
チェアをくるりと回して明澄に振り向いた庵が悩みつつそう伝えると、彼女はどことなく大人しくなってしまう。
深刻そうではないし、何かを期待していた様子からしゅんとしたので、いずれ彼女からアクションがあるだろう。
何か気を触ることを言ったか? と彼は若干不安になりながらもまた机に向かう。
その間、作業部屋にある折り畳み式のベッドに腰を下ろした明澄に、じっとこちらを見続けられた。
「明澄」
「はい、なんでしょう……!」
「申し訳ないけど、そこでポーズを取ってもらってもいいか? ちょっと詰まっててな」
「え。あ、いいですけど……」
それからも、作業の途中で明澄に呼びかけると、彼女は嬉しそうに返事をする。
けれど、思ったこととは違ったのかまたしゅんとしていた。
一体なんなのだろうか?
庵には皆目見当もつかない。
「こんな感じでいいですか?」
「おー助かる」
「……」
明澄は素直に庵の要求にしたがって色々としてくれるのだが、やっぱりどこか不満げというか求めていたものと違う、といった雰囲気だった。
一向に正解が分からない庵は、首を捻りながらも明澄のポージングを元にタブレットで描いていく。
本当にどうしたんだろう。
明澄が求めることにはできるだけ応えてやりたいから、口にしてくれるとありがたい。
だが、奥ゆかしい明澄は何かを待ち望んでいるそぶりを見せつつも、淡々とポーズをとるだけだった。
「そうだ、明澄。こっちに来て欲しいんだけどいい?」
「……!? どうしました?」
それからしばらくして、庵がまた明澄に声をかけると、ぱっ! とこちらを向いて彼女は立ち上がる。
「呼んでみただけだ」
「〜〜〜っ!」
けれど、彼女が近寄って来たところで、彼がそう悪戯だと明かせば、明澄は頬を最大限までふくらませて、ぽかぽかと無言で叩いてきた。
しゅんとしたり嬉しそうだったり怒ったり、本当にとても忙しそうだ。
可愛らしいのは当然だが、見ていて楽しいまであった。
「うーん。集中力が切れて線が決まらないなぁ。もうやめるか」
「そうですか……!」
夕方が近づき、長時間机に向かっていた庵のやる気と集中力が下がってくる。
庵はペンを置いて液タブとパソコンの電源を落とすと、チェアをくるりと回して隣にいた明澄に振り向いてそう口にする。
すると、明澄は何故か微妙に表情を明るくさせながら、待っていました! と言わんばかりにその愛らしい顔を綻ばせて、庵の元に寄ってきた。
「なんか、楽しそうだな?」
「す、すみません。庵くんが困っているのに私は……」
「別にいいよ。それより、理由を聞いていいか?」
「い、言わないといけませんか?」
「言わないと分からんだろう?」
「……分かりました。言いますよ?」
「ん。どうぞ」
「あ、あの。なんていうか、庵くんに構って欲しいと言いますか、その……やっぱり私、ものすごいスピードでダメになってます。昨日の夜、あんなに構ってもらったのに、なんかもう庵くんを求めてます」
「お前なぁ……」
明澄は真っ赤になりながら、躊躇いがちに所々言葉を詰まらせつつ答える。
そんな彼女のセリフや仕草の全てが庵の心を撃ち抜いていくようだった。
どうやら、明澄は庵が構ってくれるようになるまで待機していたらしい。
どうりで彼が明澄に声をかけるたびに、嬉しそうに反応するわけだ。
今までの寂しさを埋めるかのような振る舞いをする彼女の気持ちは分からなくもない。
ずっと独りだったのだ。
一人にしないと言った庵を求めてしまうのはとても自然で、明澄にとってはオアシスのような存在ともいえるだろう。
それは自分に足りていないものを補おうとする明澄の純粋な欲求であり、それがライクな好意なのか、はたまた恋なのかは庵には分からない。
ただ、そのセリフはいただけない。
危うく、悶えて死にかけるところだった。
庵にとって、好きな人に言われて嬉しい言葉のうち、上位五選には入っている。
本当に、無防備な明澄にはこちらの理性のことを考えて欲しいものだ。
このままだと、明澄の気持ちや準備を待つまでもなく、行動を起こしてしまいそうになる。
「い、庵くんが悪いんですよ?」
「俺のせいにするな……まぁ、いいや。で、明澄さんは何をお望みで?」
あろうことか明澄は庵の所為にしてくるが、さすがに苦しすぎる。
そんな明澄に対して庵は余裕を持ちつつ、呆れ半分に尋ねてみた。
「あ、えっと、い……いおり、くんを……触らせてほしいです」
「べつに、勝手に触ったらいいだろ。もう、許可がどうとかのあれじゃないし……」
すると、明澄は身じろぎしながら絞り出すようにそんなお願いをしてくる。
我慢していたのに、そのお願いはずるい。そう思った庵は顔を逸らして歯切れ悪く答えるしかなかった。
「いいんですか? 飽きるまで触り続けますよ?」
「もう、好きにしてくれ……」
庵が許可を出すと明澄は一応、最終確認とばかりに尋ねてはいるけれど、もう明澄の手は既に庵へと向いている。
これは好きにさせるしかないなと、諦めた庵は明澄に好き放題触れられるのだった。
それから、明澄は庵を触り始めると「ふにふにです」とか「さらさらですね」とか「可愛いです」と感想を漏らしつつ、髪や頬を重点的に触ってくる。
たまに恥ずかしそうに視線を逸らしたかと思えば、逆に見つめてきたりと、明澄はしっかりと堪能していて、もう彼はされるがままだった。
「ふふっ、満足しました……」
ひとしきり触ったら、彼女のスキンシップ欲はちゃんと満たされたらしい。明澄は柔らかな笑みをたたえていた。
そして、一方の庵はもちろん疲れ切っている。
触られるたびに明澄の柔らかさや、そのスベスベな肌の感触に参ってしまって、居心地が悪かった。
好きな女の子に触れられるのは嫌ではないし、寧ろ嬉しいことだが、その決まりの悪さというか恥ずかしさは並のものでは無い。
まるで、天国で辛い修行を行っているかのような感覚だった。
「あ、あの。私の番が終わったので、庵くんも、私に触れていいのですよ……?」
そうして、やっと終わったと安堵したのもつかの間。
明澄は無自覚に爆弾を投げてきた。
その無邪気な笑みは、庵の思考をよくない方へと引き摺っていく。
明澄からすればいわゆる等価交換という意味なのだろうが、庵にとってはタガを外させる殺し文句でもある。
庵が明澄を抱きしめるとか撫でるのは安心させるためだ。
私利私欲を満たすためのものじゃない。庵がそれを満たそうとすると、明澄のように相手の身体の一部を触るだけでは済まないだろう。
「ばかたれが。それは、だめだろう……」
ただ、それでもタガが外れなかったのは、明澄に対する誠意と一人にはさせないという誓いのお陰だった。
庵はボソボソと文句を言いながら、急いでその場から離れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます