第54話 画面の向こうの聖女様
「このどこかにあすみんのオトモダチが住んでるのかな? ピンポンして回ろっかなぁ」
「ご近所さんに迷惑なのでやめてください」
「いたっ」
明澄の自宅に澪璃がやってきてから二日目。その午後七時頃。
ショッピングや夕食の買い出しから戻ってきたところ、澪璃はマンションのエントランスでそんなことを言い出していた。
確かに庵が住んでいるので間違っていない。
明澄はひやひやとしながら、無闇にインターフォンを触ろうとする澪璃の手をぺちっとはたいた。
「あっ、ちょっとアレを買い忘れた」
「なにを買い忘れたんですか?」
「マッ缶」
「そんなものここの地域には売ってないのでは?」
「実はねあるんだよ。東から密輸してるところがね。てか、わたしはマッ缶がなきゃ死んじゃうの!」
「あなたがマッ缶好きとか初めて聞いたのですが」
「最近、ハマったの。じゃ、明日の新幹線の切符もついでに買ってくるから、また二時間後くらいに帰ってくる!」
「はぁ……忙しい子ですね」
急に思い立った澪璃は怒涛の勢いで明澄にまくし立て、街中へ消えていってしまった。
自由で勝手な振る舞いだが悪気もないし、澪璃らしいと言えば澪璃らしいので、明澄もあまり悪く思うことも無く自宅へと戻ることにした。
それに澪璃がいないということは、庵に連絡が取れるということでもある。
明澄は昨夜の件を相談しよう、と思いながらエレベーターに乗り込むのだった。
「もしもし、明澄か? 今、電話は大丈夫なのか?」
「ええ、零七は出かけているので」
明澄が自宅に戻ってから一時間後、庵のスマホに彼女からトークアプリを使った通話がかかってくる。
庵の部屋を直接尋ねても良かったのだが、何があるか分からないので用心をして彼女は通話に留めていた。
「それでどうしたんだ?」
「実は零七に色々とバレそうです」
「嘘だろ……」
「数年付き合った友人ですけど、あの子の眼を舐めていました」
画面の向こうから聞こえてくる明澄の声には戸惑いと焦りが混じっていて、庵もそれなりの危機なのだとすぐに理解する。
そして、明澄から昨夜の出来事や経緯を聞かされるのだが彼は絶句した。
昨夜、澪璃から推察を聞かされた明澄が黙り込んでしまったように。
「やべぇな、けど仕方ない。もうバラした方がいいのか?」
「どうします? この後にでも会いますか?」
「……いや、ごめん。少しだけ考えさせてくれ。悪い、これは俺の問題だ」
「分かりました」
「悪いな、本当に……」
変に彼女に詮索されるよりはマシだと思って、一旦は二人の関係と庵の正体を明かす方向に話が傾きかける。
けれど、今までにこういった話は何度かあったのに、いざ本当に会うとなると、庵は話をひっくり返した。
妙な間と彼の口から出た言葉にはほんの少しだけ重苦しい雰囲気があって、明澄もそれを察したのか無理強いはしなかった。
ここまできて、何を躊躇うのか。
明澄だって色々と決断しての提案だったはずだし、庵が意気地無しと言われても仕方はないだろう。
それでも彼には振り払えぬ悩みと、あまり他人と会わない理由があった。
(ああいうのはもうゴメンなんだよな……)
「あ、あの、庵くんがそんなに申し訳なく思うことは無いですよ!」
「ああ……って、明澄。お前、画面に映ってるぞ」
「え……?」
今までは聞いたことの無いような庵の元気のなさそうな声に、明澄は少し慌てるようにして気遣う。
だが、慌てたその拍子に操作を誤ってカメラ機能をオンにしてしまったようで、スマホの画面には明澄が映り込んでいた。
「まじでがっつり映ってるけど」
「どうして……!」
「面白いなお前」
そして、驚いたことに明澄は虎の着ぐるみのパジャマを着ていた。
実はこれは零七に貰ったもので、折角だからと彼女は使っていたのだが、運悪く庵に晒すことになってしまった。
庵もまさか彼女がそんな可愛らしいものを着ているとは思ってもいなかったので目を見張る。
恐らく明澄にとっては不幸だったろうが、そんなハプニングが幸いして庵は先程の苦しそうな表情とはうって変わりクスリと笑みをこぼしていた。
「あ、み、見ないでくださいっ!」
「じゃあ、カメラ機能オフにしたらいいじゃないか。にしても随分と可愛らしいやつを着ているんだな」
「ううっ、恥ずかしい……」
明澄は風呂上がりなのかほんのりと湿らせたその銀髪には艶があった。
それに、体温が上がったせいで胸元を少し開いていたようで、鎖骨のラインが見えてしまっている。
庵は見てはいけないものを見ている気分で目のやり場に困ったが、若干とはいえ邪な視線に気付かれたら白い目で見られそうだ。
明澄のパジャマ姿を揶揄い半分に褒めて誤魔化す。
「というか、わ、私が恥ずかしい思いをしたので、庵くんもカメラをオンにしてください……」
「いや、俺は普通の服をきているんだが? なんだ、脱いだらいいのか?」
「何を考えているんですか! 脱がないでくださいっ」
「へいへい」
何を血迷ったのか、焦りと恥ずかしさから彼女は庵に対して妙な要求をする。
画面の向こうでは上気させた表情の明澄が身を捩っていた。
そんな彼女の様子に庵は冗談を交えつつも、言われた通りカメラ機能を起動させ明澄に顔を見せる。
(なんだこれ、やけに恥ずかしいな)
過去にはもっと恥ずかしいことはいくらでもあったはずだが、お互いにカメラを通じて顔を見せあっている今が一番恥ずかしいのではと庵は思い始める。
明澄に伝わると揶揄われかねないのでおくびにも出さないように少しだけ視線を逸らした。
「良かった。いつもの庵くんですね」
「いつもの俺だよ」
「そうは言いますけど、あなたが元気が無さそうな声を出していたから心配だったんですよ?」
「それは悪かったな」
「でも、あんまり深刻そうじゃなくて良かったです。安心しました」
本当に庵のことが心配だったらしい。
先程までは恥ずかしさと一緒に不安気な様子を見せていた彼女だが、彼の落ち着いた表情を確かめるように見やると微笑みを零していた。
そんな明澄の優しい言葉と心の底からの思いやりを感じて、庵は自分の心音が高鳴っていくのが分かった。
彼女が辛そうだった時に自分が頭を撫でてやったり、落ち着かせてやった時の明澄もこんな気持ちだったのだろうか。
彼はまた、少しだけ表情を和らげていた。
「気遣ってくれて、ありがとうな。ま、あいつにはいずれとは思ってるから。で、お前は何をやってるんだ?」
「あ、庵くんが前に撫でてくれたので、気持ちだけでもと思いまして……」
庵が明澄に気にかけてもらったことを感謝していると、画面の向こうでは彼女がなにやらこちらに向かって手を動かしていた。
どうやら、届きもしないのに撫でようとしてくれているらしい。
そんな明澄がとてもいじらしくて庵は目を合わせられなくなって下を向くのだが、奇しくも本当に撫でられているような体勢になる。
それを明澄は庵が素直に撫でられようとしてるのだと感じて、表情を綻ばせながら手を動かし続けていた。
「元気が出ましたか?」
「ははは……まぁな。ありがとう」
しばらく明澄の好きにさせていたが、ひとしきり撫でるように手を動かしていた彼女は首を傾げつつそう聞いてくる。
こんなにいじらしい姿を見せられたら元気が出ないわけがない。
苦笑いながらも庵は優しげに笑いかけながら、明澄へ感謝を伝えた。
「いえ、元気が出たのなら良かったです。ではそろそろ零七が帰ってくると思うので切りますね」
「おう。またな」
彼の返答ににこりとした明澄は小さく手を振って通話を切る。
最後はそれだけのやり取りだったが、それがもう庵にはたまらなかった。
平然を装うも、その心臓は唸るようにバクバクと鳴り出して、急速に頬が熱を帯びるのを感じる。
そうして、明澄に対する庵の気持ちがまたほのかに高まっていくのだった。
「あれ。あすみん、そんなに顔を赤くしてどうしたの? お風呂でのぼせた?」
「ある意味のぼせてるかもしれませんね……」
「?」
一方、通話を切ってから少しした後、帰ってきた澪璃が妙に茹だったように赤くなっている明澄を発見していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます