第53話 聖女様と親友のひとりごと
春休みが始まって二日目。
庵と明澄は久しぶりに交流の無い三日間を過ごすことになったが、今はその初日の夜。
今まではこちらが普通の生活だったので、多少の違和感がありつつも特に何か思うわけでもなく時間が過ぎていた。
「めんどくさ。塗りとか誰かやってくれんかね」
そんな中、仕事部屋でイラストの制作をしていた庵はゴトっとペンを置くと、愛用のゲーミングチェアにもたれかかる。
目の前のモニターにはまだ半分も塗り終わっていないイラストが一枚。
塗りが特徴と言われるタイプのイラストレーターである庵は、実は塗りの作業があまり好きではなかった。
淡い色づかいとカラフルなタッチで描き分ける庵が、その作業が苦手だとファンが知ったら驚くのではないだろうか。
「あっちは楽しそうでいいなぁ」
チェアにもたれていた庵は、明澄と零七の配信が流れている別のモニターを横目で見るとまたペンを握る。
二人のオフコラボ配信を作業のお供のBGM代わりにしているが、楽しげな様子に羨ましくなってくる。
「わたし今、お家無いからね。社長の家に泊めてって言ったら怒られた」
「当たり前でしょう。あなたは社長をなんだと思ってるんですか」
「優しいお金持ちのおじさん?」
「あの人、まだ二十代のはずですけどね。おじさんなんて言ったら泣きますよ」
《社長……かわいそ》《社長が一番の常識人》《なんでこいつと契約した?》《また社長に迷惑かけとる》《葛西フリー素材やしなぁ》《まぁ、かっしーはいじられキャラだし》
舞台は変わって、明澄の自宅のリビングでは二人の少女が配信を行っていた。
零七は猫の着ぐるみのような寝間着姿をしており、落ち着いた薄ピンク色のネグリジェを着ているのが明澄だ。
彼女たちは鍋を囲みながら、緩いトークを中心にオフコラボの最中だった。
奔放な零七の発言に明澄が世話を焼きつつ、午後六時頃から始めた配信も既に三時間を超える長丁場となっていた。
なお、零七の発言に対して、「男性の家に泊まろうだなんて何を考えてるんですか」と言いたくなった明澄だが、自身に前科があるため口に出来なかったのは秘密である。
「ま、社長がダメだったから、かんきつ先生にお願いしようとか思ったりしたんだよね。ついでに玉の輿に乗れないかってね。うかまるさ、わたしにかんきつ先生くれない?」
「は? あげませんけど?」
「怖いよ。うかまる、目が怖いってば」
あけすけな物言いを続ける零七だったが、明澄に睨まれて怯んでしまう。
画面上の氷菓からはハイライトが消えていて、実際の明澄の目も笑っていない。
二人とも演出と分かった上での演技ではあるけれど、彼女のその表情にはえも言われぬ迫力があった。
《うかんきつてぇてぇ》《うかまる、ママを守ってくれ》《あいつ、死んだな》《なんまいだーなんまいだー》《ぜろさま、今までありがとう》《あーあ、うかちゃん怒らせちゃった……》《南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏》《お葬式はいつですか?》
「ママが欲しければ私を倒してからにしてくださいね」
「普通、逆じゃない? ま、そろそろ締めよっか。鍋も〆に入るし」
「そうですね、ここで終わっておきましょう。でないとママを狙う不届き者の始末が配信に乗ってしまいますから」
「あーみんな。私が三日ツイートしなかったらそういうことだから。じゃ、さようなら」
最後まで不穏なことを言い続ける明澄と、お別れの言葉を告げる零七の一言によって、長時間に渡る配信もそうして終わりを迎える。
因みにコメント欄は零七の行く末を暗示する書き込みや、香典とまで書かれたスパチャが飛びかっていた。
「いやぁ、疲れたねぇ。お腹もいっぱいだ。あすみん、ありがとねぇ。美味しかったよ」
「
配信終了後、鍋を食べきった二人はリビングで片付けをしながらゆっくりとしていた。
その際、呼び方はお互いの本名に切り替わっていて、二人はすっかりリラックス状態だ。
普段、ネット上で零七と名乗っている少女の実名は、
「さぁて、何しようかなぁ」
「私は作業をするので、ゲームでも配信でもどうぞ」
「いや、配信モンスターのあすみんじゃないんだから……わたしはもう配信なんてしないよ」
「私は時間さえあればずっと配信をしてたいんですけどね」
澪璃は腕組みをしながら部屋を見渡す。
何か面白いことを探している時の彼女が良くする行動だ。
既に五、六年になろうかという付き合いだから明澄には分かる。
面倒くさいことが起きそうだと。
そして、その予感は的中した。
「うへぇ。バケモンじゃん。そんな色気のない話は置いといて、恋バナしよ恋バナ!」
「あなたと私に浮いた話なんてないと思いますけど?」
「わたしは兎も角さ、あすみんに浮いた話がないってほんとにぃ?」
「何を疑ってるんですか?」
ダラダラと机に突っ伏しながら会話する澪璃だったが、ちらりと顔だけ明澄に向けて言う。
明澄は心当たりなんてない、とばかりに澄ました表情で只キーボードを叩く。
「ふふん。じゃ、言うけどね」
「はい」
「あすみんさ、ほんとにここで生活してる?」
「どういうことです?」
澪璃は鼻を鳴らすと、立ち上がって後ろ手を組みながら辺りをうろつき始めた。
それはまるで、探偵が犯人を追い詰める推理でも始めるかのように……。
「さっきそこのボードに貼ってるごみ捨て表見たけど、明日が可燃ごみの日だよね?」
「ええ」
「んじゃ、今日が一番溜まってる日なのになんでゴミ箱にゴミが少ないの? あすみんてば料理とかするのに、ちょっと少ないかなって思うよ」
「あまりゴミが出ない時もあります」
「ふーん。じゃそれは置いておくけどね、ご飯食べる前に戸棚をね、ちらっと見たけどなんかうっすらほこりのかかったマグカップとかあったし。これ、使ってない証拠だよね」
澪璃は一つ一つ丁寧に述べていくのだが、その指摘は全くもって正しいとしかいいようがなかった。
最近の明澄は庵の部屋で料理をするし食事も同様なので、この部屋のゴミが少なくなるのは当然だ。
もちろん、自宅で食器を使う機会も減っていた。
図星をつかれてもポーカーフェイスを保っていたのは流石は明澄といったところだろうか。
澪璃の推理とも呼べる陳述を黙って聞いていた。
「あすみんはほとんど外食をしないからゴミが出るタイプだし、食器も使うはず。あと、気になるのはあんまり料理の写真を呟かなくなったよね」
「最近は忙しかったので呟きが少なくなってたかもしれませんね」
「なるほど矛盾はないねぇ」
明澄が作った料理の写真をアップしなくなったのは、庵との匂わせを回避するためだ。
庵もそれなりに料理の写真を投稿しているので、もし間違って同じものを上げてしまうと、恐らく詮索されることになる。
単純に同じものを食べていただけでも匂わせと揶揄される可能性すらあるネットの世界で、同じテーブル、同じ皿であればほぼクロが確定することだろう。
だから、明澄の投稿は減っていた。
それを見事に澪璃が見抜いた形になる。
そして澪璃は「ここからは私のひとりごとだけどね」と言い出して、
「あすみんさ、この辺りのどっか近くにいる人の家にお邪魔してるんじゃないかって、わたしは思うんだけど?」
「……」
彼女は表情を変えることなく、きっぱりと言いきってみせ、ついに明澄から言葉を失わせる。
見事。そう明澄は思わず手を叩きたくなったが我慢した。
ここまで来たらもはやバラしてしまった方が楽だけれど、庵にはなにも相談していないから、勝手なことは出来ない。
代わりに、
「澪璃さん、妄想が過ぎますよ」
「そうかな? てへっ。この間、探偵小説を読んだからかもね」
明澄は取り合う気は無い、と一言口にしてまたキーボードを叩き始めたが、その画面からはビープ音が鳴り響いていた。
その横に立つ澪璃はといえば、茶目っ気溢れる笑顔で舌を出し頭をかいている。
気を使ったのかはたまた素の行動なのか、それは明澄には測りかねる。
(まったく、この子はどこまで……)
ヒヤリとした瞬間だったが、一先ずは難を逃れた? と明澄は心の中でため息を付きながら、鋭すぎる親友に手を焼いていた。
一方で庵の自宅、そのキッチンに再び舞台を移せば、
「あ。卵なんて二つも要らねぇよな」
と、庵がボウルに割り落とした二つの卵を見やりながら、呆れるようにそう漏らしているのだった。
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