第50話 聖女様の推し

「通知うるせぇ。止まらん」


 ある日の朝、庵のスマホがけたたましく鳴り響いていた。

 アラームでも着信でもなく、彼のスマホの画面にはひたすらぴこんぴこんと、通知が表示されている。


 どうしてこうなったか、それは今日の深夜にまで遡る。




『リスナーたちは期待してるよな。かんきつ動きます!』


「えー、わたくしイラストレーターかんきつは、四月中に配信者としてチャンネルを始動させます!」


 いつも通り明澄と配信をしていた庵は、以前から進めていたチャンネルの開設を放送の最後にお知らせとして発表した。


「皆さん、ようやくママのお絵描き配信が見られますよ! スパチャとチャンネル登録の準備はいいですか!」


《うおおおおおお!》《マジ?》《ママ!》《きたぁぁぁぁっ!》《え、2Dだけじゃなかったんだ!》《プログレスに新ライバーか》《やったー》《ママへのスパチャ貯金を解放する時》


 発表はリスナーやファンたちの反応通り大好評で、瞬く間にトレンド入りまで果たした。


 まだ2Dモデルも完成していないので、発表自体は大したイベントではないと考えていた庵だが、予想外の反響っぷりに驚く。


 明澄や他のライバーとの絡み、偽物対策だったり放送中のコメント用にアカウントの取得だけしていたが、既にその登録者数は爆増中だ。


 一時的なものですぐに落ち着くと思っていたのに、朝になってもその盛り上がりは冷めていなかった。


 零時ちょうどに発表と時間も遅かったので、恐らくリアルタイムで知らなかった層が朝になって賑わせているのだろう。


 夜に切った通知を戻すとその瞬間、炎上したのかと思うほど通知が鳴り響き始めたのである。


 そうして今に至るというわけだ。




「夜も凄かったですけど、今もそれなりですね」

「これ、今日は昼くらいまで通知切っとかなきゃな」

「ですね。クラスの人達に何事かと思われますし」


 朝、部屋から出ると自宅の前で明澄と深夜に行った発表の反響について話し合っていた。


 まだ通知が来るとはいえ、メッセージアプリでスタンプを連打された時のような通知量ではないだけマシだろう。

 一時はその通知量にスマホの挙動が重くなったほどだった。


「クラスでも話題になってますかね」

「いやいや、たかがイラストレーターだぞ」

「でも神絵師じゃないですか」

「んー、みんな俺らのファンだったりVのオタクってわけじゃないだろうし」

「なるほど確かに。では布教したいところですけど、自重しましょう」

「そうしてくれ。じゃあ、また放課後な」


 ここまで反響があるとは想像していなかったので、庵は戸惑っていた。

 明澄は推しの絵師の人気っぷりに嬉しそうに言うわけだが、庵としてはまだ実感がない。


 初配信の時はどうなってしまうのだろうという、不安と期待とこれ以上に来るであろう通知に怯えるばかりだ。


 そうして、明澄とは分かれて学校に向かう。

 人気があるとはいえ国民的アイドルというわけでもないし、かんきつが大人気VTuberの『親』だとしても、クラスで盛り上がっているとは想像はしづらい。


 だから庵と明澄は流石にそこまでではないだろう、と思って登校した。


 けれど、


「おーコレ見た? かんきつが配信者になるらしいぜ」

「知ってるよー、うかまるのファンだし」

「氷菓良いよね! 可愛いしファンにも優しいし」

「いよいよママもVデビューか」

「四月中かぁ、早く来て欲しいな」


 と、大騒ぎとはいかないまでも、一部のかんきつファンや氷菓のリスナーと思われる生徒たちが固まって、そんな話をしているのが聞こえてきた。


(そういえば、すぅ様のときもこんな感じだったな)


 庵は以前、知り合いの絵描きの娘が炎上した時のことを回想する。


 国民的認知度とはいかないでも、あれだけのファン数を誇りトレンドにまで登場する配信者と絵描きだ。

 三十人以上いたら、数人はVTuberを知っていてもおかしくない。


 改めて、自分がネット上に限ってはそれなりに知名度があることを実感した。


「朱鷺坂君、おはよう。夜のアレ見た?」

「アレ?」

「ほら、そこで話題に上がってる話だよ」

「あーかんきつの事ね」

「そうそう。かんきつ先生のデビュー楽しみだね」


 朝、登校してからしばらくすると、後からクラスにやってきた奏太が話しかけてくる。


 そういえば、こいつとは趣味関係で仲良くなったんだったな、と庵は思い出す。


 奏太とは共通の趣味である二次元コンテンツの話で友達になっていたから、当然彼もかんきつのVデビューに興味があるようだった。


「お前、たしか零七のファンだろ。浮気していいのか?」

「そもそも、一番は胡桃だから」

「そりゃそうだ。てかアイツは嫌がらないのか?」

「ぜろさまの配信見てると嫉妬はされる」

「大変だな」

「全くだよ。でもそんな胡桃が可愛いんだけど」


 そんな風に庵と奏太は一部のクラスメイトのように、V関係の話をしていた。

 ただ、ここに限っては奏太の惚気話に変わる訳だが。


 惚気話がウザったくてふと明澄の方を見ると、やっぱりかんきつや氷菓の話には混じっていない。


 けれども、今日は少し様子がおかしかった。

 なんだかそわそわしているような、かんきつの話をするクラスメイト達を見やって、うずうずしているような雰囲気があった。


(そんなに話がしたけりゃ混ざればいいのに)


 明澄は基本的にクラスメイトたちとの関係は受け身なので、自分からは関わらない。

 関わると面倒というのがあるからだろう。


 しかし、静かにしていた明澄の元にある声がかけられる。


「ねぇ、水瀬さんて、この氷菓って配信者に声が似てるよね?」

「え?」


(あ……ヤベェやつだ)


 明澄に話しかけた元気そうな雰囲気がある女子生徒の言葉に二人はドキッとする。


 明澄と氷菓は同一人物だ。

 ある程度、ボイスチェンジャーで声を弄っているとはいえ、当然声質は似ている。


 だから、二人の声を聞いたことがあれば、やっぱり似てるよなぁ、と思うわけだ。


 そして、今日ついにそれが指摘されるのだった。


「あの、それはどういう意味ですか?」

「いやぁ、似てるから真似とか出来そうだなあって。というかVTuberの氷菓って知ってる? あ、あとかんきつってイラストレーターさんとか。いや、聖女様は興味ないか。ごめんね」


 その女子生徒は早口でまくし立てるような口調で戸惑う明澄に迫る。

 ただ、住む世界が違うという自覚があるのか、女子生徒も勝手に苦笑いして去っていこうとする。


 だが、


「いえ、知っていますよ」

「そうなの?」

「はい。そもそも、私はそのかんきつ先生のファンなので」

「うそ! 聖女様ってこういうの興味あるの!?」


 明澄は去っていこうとした女子生徒を引き止めて、そう告げた。

 それはもう、我慢できないといった感じだった。


 ただでさえ、かんきつの話をしたかったのに、その話を振られたら食いつくのは当然だろう。

 明澄の目が輝き始めていた。


「聖女様ってVTuber知ってるの?」

「まじで? 意外だな!」

「じゃあ、水瀬さんはかんきつ先生が推しなの?」

「はい。配信者の中でもかんきつ先生は推しです。それにかんきつ先生が一番好きな絵描きさんでもあります」

「そうなんだぁ。かんきつ先生、いいよね!」


 明澄がVTuberを知っていることや、かんきつのファンであることを明かすと、次々に周りの生徒たちが寄ってくる。


 今まで謎だった、明澄の趣味のひとつが明かされたのだ。

 クラスメイトたちは盛り上がっていた。


(かんきつ、かんきつ連呼するなよ。恥ずかしい)


 それに、明澄はたまにこちらをちらりと見ては、笑みを浮かべている。

 庵が恥ずかしがるのを分かってやっているようだった。


「水瀬さんて、Vとか好きだったんだね。はぁ、なるほどそうかそういうことか」

「んだよ。ニヤつきやがって」

「そりゃあ、君と仲良くなるわけだ。朱鷺坂君も氷菓を好きだもんね。共通の趣味があれば距離も縮まるよなぁ」


 隣にいた奏太は盛り上がっている明澄の方を見やったのち、庵に向かってニマニマと笑いかける。

 全部、気づいたぞ、と得意げでもあった。


「下手に勘ぐるなって」

「胡桃が知ったら喜びそうな話題だね」

「お前って意外とそういう話に結び付けたがるよな」

「そうかい?」

「あんまり邪推するなよ?」

「ホワイトデーにあんなお返しをしておいて?」

「別に普通だろ?」

「あー、そうかまだか。まだだったかー」

「含みのある言い方をするな、気持ち悪い」


 奏太はずっとにやけているし、やけに勿体ぶるというか一人で楽しんでいるのが、なんだか腹が立った。


 庵はふんっ、と顔を背け話を断ち切ると、明澄がクラスメイトと馴染み始めたりしている様子を眺める。


 すると、


「ママはですね……」

「ママ?」

「い、いや今のは……!」


(明澄、何やってんだよ……)


 明澄は完全にかんきつをママ呼びをする、立派なかんきつファンの姿を晒していて、庵はちょっと呆れるのだった。

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