第44話 ホワイトデーに聖女様と

 明澄へのバレンタインのお返しを探しに来た庵は、頼りにした奏太と胡桃と共にモールを歩いていた。


「義理だって言う割には真剣だよね」

「あんまり突っ込むな。色々と世話になったんだよ。林間学校で熱出た時とかな」

「そんなこともあったわね」

「義理とはいえそこそこ高いやつ貰ったし、見合うやつをと思ってな」


 庵は義理だと断定した割には真剣だった。

 胡桃と奏太にはお隣さん以外の関係を伝えていないから、義理で何故そこまで悩む必要があると思われるのも当然だ。


 嘘はつかず庵は上手く誤魔化しておく。


「恋人でもなんでもない男が贈っても変じゃないやつってなんだ?」

「まぁ、オレなら趣味に合わせて雑貨かなぁ」

「趣味か。料理はするって言ってた」

「ならそっち系でいいんじゃない? 調理器具じゃなくてもいいし、カトラリーのセットもありよ」

「だね。オレもそれでいいと思う」


 恋人やかなり親しい間柄で贈るようなものは避けておきたい。

 引かれても嫌なのでここは慎重に吟味する。


 料理をいつも振舞って貰っているので、そこで役に立つものはいいかもしれない。それに食器類も悪くなさそうだ。

 庵たちは雑貨店へと足を運ぶ。


「箸は縁起悪いって言うからな」

「そう聞くわね」

「マグカップとかはどうだ?」

「いいチョイスじゃない?」

「チョコって飲めるやつもあるよな? それも含めてアリだろうか?」


 思い付くものをとりあえず口にして、適切かどうか判断しながら考えていく。

 そうすると、ふと目に入ったのがマグカップだった。


 いつも明澄とは夕食を共にするけれど、夕食前やその後は飲み物でひと息つくことがよくあった。


 ホワイトデーだし同じようにチョコを返すという意味でも、マグカップとチョコレート飲料のセットは悪くないだろう。


 ただ、そのままチョコを渡しても貰ったものを送り返す形になるので、飲み物に変えてひと工夫しておくと良いはずだと庵は考えていた。


「……そうね。いいと思うわ。あとキャラメル系とかもいいかもね。ふふっ」

「あ、そうだね。うんうん、いいね」

「んだよ。二人とも意味ありげに笑って」

「いや、ここまで悩むのも可愛いと思っただけよ」

「まぁいいや。ありがとう、助かった。買ってくる」


 庵が二人に告げると、何やらニマニマとした笑みを向けられる。

 彼女たちが考えていることは、贈り物に関する知識があれば分かるのだが、あまり贈り物をしない彼には気付きようもなかった。


 ただ二人が言うのだし変なものでは無いだろう、と庵は彼らを待たせてマグカップとチョコレート、勧められたキャラメル飲料を贈ることにした。


「マグカップはちょっとあれだったかな?」

「いいのよ。どうせあの距離感なら部屋くらい上がってるわよ」

「かもね」

「友人としての勘だけど、茶化すつもりは無いわ」


 と、庵が買いに行っている際、店外ではそんな会話が繰り広げられていた。




 そして、ホワイトデー当日。

 庵は明澄の配信が終わるのを待っていたが、彼女がこちらにやってくるまで地に足が付かないような気持ちだった。


 時計の針がおよそ十時半を過ぎた頃、その時がやってくる。


「庵くん、お疲れ様です」

「あ、おう。お疲れ様」


 部屋を訪れた明澄を観察する限り、ホワイトデーを意識しているような様子はなくいつも通りだった。


 けれど、庵は緊張からか多少のぎこちなさが出ていて、この時点で恥ずかしくなってくる。


 義理チョコのお返しに何を、と思うかもしれないがそれなりに好意を持っている相手に贈るというのはとてもやりづらいものであった。


「あ、あのさ」

「なんでしょう?」

「あーそのな。バレンタインあっただろ?」

「はい、先月でしたね」


 切り出すには切り出せたが、渡すまでに時間がかかる。

 バレンタインの時に明澄が渡すのに、時間をかけてしまっていた時の気持ちが今ならよく分かった。


 さっと渡してくれても良かったなんてよく言えたものだと、過去の自分に嫌気が差してくる。


「えっと、そのお返しをだな……これなんだけど」

「これは御丁寧にありがとうございます。今、開封しても?」


 庵は満を持してキッチンに置いてある紙袋を持ってきて、明澄の目の前のテーブルの上に両手で差し出す。


 ともすれば、明澄は礼儀正しくお礼を言いつつ、贈り物に反応したのか彼女の表情は優しいものに変わっていく。


「好きにしてくれ」

「では。あ、マグカップですね……」


 紙袋から取り出した藍色の包装とリボンで結ばれた箱を、明澄は破ったりすることなく時間をかけて封を開けていく。


 すると、淡い水色の波紋のような模様があしらわれた、質素ながらも白を基調とした可愛いマグカップが姿を現した。


 それを確認した明澄の頬はさっきよりも赤いような気もするが、庵は緊張で気づくこともない。


 彼女はぱちぱちと瞬きしてから、マグカップを手に取った。


「あ、あのこれを贈って頂いた理由をお聞きしても?」

「いつもここでお茶とかコーヒーを飲むだろ? 客用のやつだけどもう専用みたいになってるし、なら新調して使って貰えたらなって」

「なるほど……」


 明澄の質問に庵が正直に答えると、彼女はなにか考え込んでいるようだった。


 と言っても悪く思うようではなく、よく見れば更に彼女の耳が赤らんできていたり、その綺麗な眼は柔らかく笑みを浮かべ細めている。


「なにか不味かったか?」

「いえ! そんなことは無いです! あの、満足と言いますか、はい……とても嬉しいです」

「な、なら良かった」


 彼女は嬉しい時や呆れた時など割と表情や言葉に出るタイプだ。

 だから明澄が中々喜びを見せないと不安になってしまう。そうして庵が恐る恐る尋ねると、彼女は焦るように否定していた。


 それから次第に口調が柔らかくなっていき、マグカップを大事に大事に手で包み込んで、庵へ可愛らしく恥じらいながらも微笑みを向けた。


 その笑みはいつもよりなんだかずっと優しげで、言葉以上に嬉しそうだった。


 直視するのは目の保養にはなるが、心臓には悪い。

 彼はぎこちなく笑みを返しながらも、ほっと胸をなでおろしていた。


「こちらも開けますね」

「どうぞ」


 明澄はもう一つの贈り物である封のされた紙製の茶色い小袋に目をやると丁寧に開封する。

 中から出てきたのは、スティックタイプのチョコレートとキャラメル飲料だ。


「チョコとキャラメルですね。美味しそうです……」

「食い物を貰ったしな。あとそのマグカップで飲んでくれればと思ってさ」

「ありがとうございます。今、頂きたいのですがよろしいですか?」

「ん。ちょっと待ってろ」


 マグカップと飲料を貰った明澄が、その場で使ってくれると想定していた庵は予めお湯をポットで沸かしている。


 彼女は自分だけ貰うのも悪いからと、庵にも一つ譲ってくれて明澄がキャラメル、庵がチョコを頂くことになった。


「はいよ」

「ありがとうございます。頂きます……」

「美味いか?」

「はい、優しくてなんだか、とっても甘いです」

「そりゃ甘いだろキャラメルだし」


 プレゼントしたマグカップに手際よく注いで、明澄に差し出す。


 マグカップに口をつけた彼女はまたふんわりとした笑みをこぼして、噛み締めるようにそう口にした。


 何故こんなに可愛らしいのだろうか。

 マグカップとスティック飲料を贈っただけなのに、明澄はいつもより多く笑ってくれる。


 こうして口にしたり表情や態度でストレートに喜んでくれるのは、贈った甲斐が有るというもの。


 普段なら目を逸らしそうになる明澄の愛らしい表情も今は見逃したくなかった。

 そう思えるほどに穏やかで独占欲的な感情が庵の胸の内を支配していた。


「それにしても庵くんはやっぱり天然さんですね」

「え?」


 しばらく二人で寛いでいると、ふと明澄が苦笑しつつあどけない表情で伝えてきた。

 揶揄うと言うよりは、純粋にそう思ったのだろう。ぽかんとする庵を見て微笑ましそうに彼女は笑う。


「ふふふ。なんでもないです。でも、知らないのも幸せですし、知っても幸せということだけお伝えしておきますね」


 今日何度彼女はその笑みを浮かべただろう。

 柔和にふにゃっと綻ばせた明澄はそう言った。


 時折、あえて具体的に言わないのは明澄の特徴だが、不思議と嫌な気はしない。

 何か尋ねられているような、メッセージがあるような気がして、解き明かしたいと思うほど。


 だから、幸せという単語を口にした明澄を観察する。

 見つめれば見つめるほど、見入ってしまう美しさと儚さが彼女にはある。


 マグカップを大切そうに持ちながら、ちびちびと口をつけていたりと、思わず手が伸びそうなほど本当に愛らしい。


(ちゃんと答えを出さないとな)


 庵は伸びかけた手を引っ込めると、心の中でそう発しながら、飲み終えたマグカップを台所へ持っていく。


 途中、明澄が「因みに私はとても幸せですよ」と漏らしていたが、それは庵には聞こえない。


 それから庵が自分の贈った品の意味を知るのはもう少しだけ掛かるのだった。

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