第39話 聖女様は隣を歩く

 休日の夕方過ぎ、仕事用の資料を買いに出ていた庵は、街の通りに繋がる繁華街の出入り口付近で、見覚えのある少女を見つけた。


「ここで会うのは珍しいですね」


 丁度、通りにあるバス停に止まったバスから降りてきた明澄と遭遇した。

 どうやらちょうど帰りだったらしく、二人は自宅に向けて歩き出す。


 彼女はグレイのトレンチコートにニットのセーターを合わせ、下は紺色のデニムパンツ、ショートブーツ姿ととても高校生には見えないオシャレな格好をしていた。


 一方、庵もダッフルコート、そのインナーにロング丈のシャツ、スラックスを合わせている。

 靴はレザーシューズで、お気に入りの黒のキャップを被っていたりと明澄と遜色ない洒落さがあった。


 服装の所為かこれからまるでデートでもするかのような雰囲気があって、妙に落ち着かなかった。


「事務所の方に行ってたんだっけ?」

「はい。収録があったので、あと例のやつです」


 どうやら明澄は仕事関係で街に出ていたらしい。

 先日の配信の切り忘れの件も兼ねているようで、その表情は苦く笑っていた。


 あれからは明澄も落ち込んだりすることは無かったが、事務所に行ったことでまた少し思うところがあったのだろう。

 今日はいつもとは違う静謐さがあった。


 因みに先日の配信の切り忘れは、大きな問題にならずに済んだ。

 寧ろリスナーやVTuberファンからは尊いやり取りとして取り上げられ、今ではただのてぇてぇ一幕として落ち着いている。


 そのおかげで、こうして平和な日常を送れているのだった。


「それにしても庵くんってオシャレですね」

「マネキン買いだがな。あと、店員に色々合わせられた」

「下手にコーディネートするより、それが正解ですよ」

「明澄は普段からオシャレだよな。部屋でもイヤリングとかブレスレットもしてるし」

「私はそういうの好きなので。校則で禁止されていますからしてませんけど、本当はピアスも開けてみたかったりします。庵くんは興味ありませんか?」

「俺は怖いから無理」


 明澄は本当にファッションや見た目に気を使っている。

 普段からラフな服装はしていても、手を抜いているところを見た事がない。


 高校生ながら半分社会に混じっているということもあるのだろうが、どこか背伸びとは違うけれど大人を意識しているように見える。


「庵くんは似合うと思うんですけどね。怖いのでしたら私が開けてあげましょうか? 卒業してからになると思いますけど」

「うちは緩いし破ったところでどうにもならんだろ。てか、人にされるのも怖いし、痛いの嫌だしやめとく」


 明澄にピアスを勧められるが、痛い事が嫌いな庵は遠慮しておいた。

 そんな彼はよくピアスをしようと思えるなぁ、とちらりと彼女の首筋から耳を見やる。


 別に露出だったりあらぬ場所ではないのに色気を感じた。

 本当に綺麗な女の子だ。

 隣を歩いているのが不思議なくらいで、数ヶ月前の自分に伝えても、鼻で笑われるか精神科を勧められたことだろう。


 それくらい現実味を感じない。けれど今の状況は嘘でも夢でもない。

 紛れもなく庵が獲得した明澄の信頼の結果だった。


 そんなことを考えていると、「なんですか?」と明澄に問われて、不埒な目を向けたわけでないが後ろめたくなった庵はすぐに目を逸らした。


 すると、


「あ、あぶね」

「大丈夫ですか?」


 前方が不注意になって、人とぶつかりそうになる。

 夕方だし繁華街や駅がすぐそこということもあって人通りが多い。気をつけないと明澄とはぐれる可能性もあるほどだった。


「ああ」

「少しだけ寄りましょうか。それと、はい」

「どうした?」


 二人で並んで歩いていると幅を取る。

 明澄が庵の隣に少し近づくとそれから立ち止まって、すっと手を出してきた。


 一瞬、理解出来なかった庵は真面目に聞き返してしまうほど、それはあまりにも唐突だった。


「人も多いですから、繋いでおきましょう」

「え、ああ。いいけど」

「ぶつかったり転けたら痛いですし、庵くんは痛いのは嫌ですもんね」

「揶揄うな……」


 ただ急とはいえ真っ当すぎる理由だったからか、それとも彼女の元気が無さげだっからか、差し出された手を庵は躊躇うことなく握る。


 お互い手袋をしていて直接、肌の感触を確かめることは無かったが、ほんのりと体温が生地越しに伝わってきた。


 明澄の方に視線を落とすと、今にでも溶けだしそうなくらい可愛らしく眦を下げている。


 その笑みに殴られたかのような衝撃を受けて騒ぎ出した心音を抑えるように、庵は明澄の手を少しだけ強く握ってしまう。


 ともすれば、明澄がこちらを見上げて小首を傾げるので、さらに心拍数が上がるのが分かった。


 危ない。これは危ない。

 庵はある種の危険を感じてその愛らしい顔から逃げるように前を向く。


「それに今度、ホワイトデーのボイスを出すので、ちょうどそのシチュエーションを実演出来そうなんですよ」

「それは大切だな」


 どうやら明澄はボイス、音声作品を出すらしいがそのシチュエーションに活かそうとしているようだった。


 声優さんや音声作品を作っている声の演じ手のことは詳しくないが、演技力と表現力、想像力が大切なことくらい分かる。


 庵は協力できるならとそのまま、明澄とまた歩き出す。


(ホワイトデーかぁ。なにか考えないとな)


 それにホワイトデーという単語から、彼は先月のバレンタインに明澄からチョコを貰っていることを思い出す。


 去年まで縁がなかったので考えもしなかったが、今年は悩まされそうだ。


 庵は隣を歩いている明澄にはどんな贈り物が良さそうかと考えながら、自宅まで彼女の温もりを感じているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る