第37話 聖女様とひみつの配信

「パソコンが壊れてしまいました」


 ある日の夕方、庵の部屋にやってきた明澄が開口一番にそう伝えてきた。

 今日は二人でコラボ配信をする予定だが、配信時刻までそれほど時間もない。


 またぷろぐれすのライバーには専用の配信アプリがあるらしいが、それも調子が悪いとの事。


 配信が好きな明澄にとって最悪な出来事に違いない。

 彼女は表情に絶望や悲壮感漂せており、事態はかなり深刻なものであると庵は察した。

 

「ハードディスクか……」

「はいHDD関連、記憶装置関係が壊れているようで」

「まぁ、お前が見てダメなら俺にはどうしようもない。悪いな、力になれなくて」


 庵もパソコンを使っているから、ケーブル系統であれば互換性のあるものは融通出来る。

 またモニターなどは繋ぎ直すだけでいいが、CPUやHDDなどの融通は難しいだろう。


 パソコンや周辺機器に関しては配信者なだけあって、明澄の方が詳しい。

 彼女が調べた上で壊れたというのなら、庵には何も出来ることがなかった。


「まぁ、PC丸ごとなら貸してやるよ。配信用と仕事用で二つあるし」

「いやそれは事故が起きるかもしれませんし」

「配信用は最低限のソフトしか入れてないし、事故も起きないと思う」

「本当ですか?」

「ああ、見てもらえればわかると思う。変なメッセも出ないし、背景とかユーザー名も変えとけばデスクトップが万が一映っても分からんだろうし」

「それなら、なんとかなりそうです」


 庵は自分のチャンネルで配信をしないし、コラボ相手と画面の共有も行わない。

 だから、仕事用で配信に参加しても事故が起こりようもないため、今日は明澄が庵の配信用のPCを、庵は仕事用を使って配信することになった。


 また配信まであと少し、事故がないように厳重にチェックもするので、明澄の部屋にPCの移動するのは時間的に厳しい。

 そのため明澄は庵の作業部屋で、庵は寝室で配信をすることに決めた。




「こんうか〜。今夜はうかんきつの時間になります!」


 二時間後、なんとか間に合わせた二人は配信を行うことが出来ていた。


 どちらの部屋も防音は厳重にしてあるから、声は聞こえたりしないだろうが、壁一枚隔てた先に明澄がいると思うと緊張する。


 かなり対策をして万全に整えてあるのでバレはしないだろうが、庵は挨拶の際に少しトーンを落としたり、セリフを噛んでいた。


《今日、ママどうしたの?》《ママ?》《ママの声小さいかも》《配信初心者みたいな噛み方してるしw》《ママ、可愛い》


 と、すでにリスナーに様子がおかしいことには気づかれつつあった。

 ただ、上手く誤魔化しておいてどうにか配信を進めていく。


「お前のところクソマロ多すぎじゃね?」

「以前、あえてクソマロを募集したら面白いのが送られてきてしまって、それからは勝手に送られてきてます。まあ、一番やばい夜々さんのところに比べたらマシかと」


 今日の庵と明澄のコラボ配信はマシュマロという、匿名のメッセージサービスを利用した内容だった。


 そして、しょうもないマシュマロ(お便り)のことをクソマロと呼ぶのだが、それを二人で面白おかしく捌いていく企画となっていた。


「あそこ批判マロまであるしなぁ」

「夜々さんに送られるクソマロは地獄ですからね。それよりも次を読みましょうか」


『マンマァ、マンマァばぶぅ、あうあう、きゃっきゃっ、ママァン!』


 あまりにもイカれたという他ない、文面のメッセージが明澄によって読まれていく。


 彼女はいつも通りの声量で話していたが、全く聞こえないしこれなら大丈夫だろう。


(Vってすごいな。てか明澄の赤ちゃん声やべぇ)


 それに今は配信の心配よりも、明澄の演技というか特殊なASMR的なボイスに庵は惹かれつつあった。


《赤子はマシュマロ使わんでもろて》《この配信、赤ちゃんも見てるんだ》《ここのリスナーの年齢層、0〜90くらい?》《知能指数なくて草》《まて、これはうかまるに赤ちゃんプレイさせるための神マロだろ》


「ママ、なんですかこれは」

「ワシらにはすくえぬものじゃ。はい次」


『かんきつママ、結婚して下さい。うかまると! 一緒に暮らして同じ部屋で配信して下さい! お願いします!』

 

(!?……まぁ、同じ家でしてるんだよなぁ。結婚も付き合ってもねぇけど)

(同じ家でしてるんですよねぇ。結婚も交際もしてませんけどね)


 部屋は別れているとはいえ、今まさに庵の自宅で配信をしている。

 そのマシュマロに一瞬、庵はドキリとした。 

 

「うーん。身勝手だなぁ」

「身勝手ですね」

「次行こ次」


 選んだのは明澄だからおふざけだろう。庵にしか伝わらないが、やってくれる。

 心の中で抗議しつつ触れようにも触れづらくて、短くコメントだけ返した。


『もうダメだ もうダメなんだよ もうダメだ 種田山頭火』


「季語もわびさびもねぇなぁ。てか種田山頭火って書けば自由でも許してくれると思うなよ」

「これは種田山頭火さんに失礼ですね。というか似たようなものがまだあるんですよ」


こびいっても、こびいっても 平社員 タメが課長かぁ』


《悲しいなぁ》《草》《草》《座布団五枚やろ》《こいつ俺か?》《草》《種田山頭火はネタ》《上手い!》《現代ではよくあること》《草》《サラリーマン川柳なら大賞》


「ちょっと上手いのが腹立つわ。こんなものが募集もしてないのに送られてくんの?」

「よくあることですよ?」

「大変だな。ちょっと休憩しようぜ。こんなの相手にするだけで疲れるわ」

「ですね。では、ミュートにしますね」


 次々と現れるクソマロと対峙していると本当に疲れてくる。およそ、三十個近くは処理しただろうか。

 それに明澄があんなマシュマロを読んだりするから尚更だった。


「ふぅ。疲れた」

「お疲れ様です。あと三十分くらい頑張りましょうね」

「こうしてると背徳感あるな」

「ですね」


 休憩に入ると、お互いに部屋の外に出てトイレやら水分補給を行っていた。


 普段の配信中だと、顔を合わせることなんてない。

 リスクを限りなく排除したとはいえ、同じ場所で配信をしているからという、とてつもない背徳感を庵と明澄は味わっていた。


 リスナーたちは庵と明澄がこんな配信をしているとは思わないだろう。


 知られたらどうなるか。炎上かそれともネタにされるか。

 かんきつと氷菓の関係上、喜ぶファンが多いことも事実だし、どっちにしろ騒ぎになることは間違いない。


 このちょっとした火遊びのような配信はクセになりそうだった。


「バレたら終わるかな」

「まぁ、うちのリスナー的には喜ばれると思いますよ。さっきもあんなマシュマロが来てましたし」

「お前なぁ。あれ、焦ったわ」

「ふふっ。ごめんなさい」

「まぁでも俺のところにもあんなDMくるわ」

「ああいう願望を詰め込んだうかんきつの同人誌は成人、全年齢どっちも沢山ありますからね」

「おい、未成年」

「零七が勝手に送ってくるんですよ」


 かんきつと氷菓が積み重ねてきた関係から、どうやら二人の組み合わせはファンの間でメジャーらしい。

 同人誌までたくさんあるようだ。


「ここまでメジャーなカプになるとかすごいわ。ほんと」

「もういっその事、隣に住んでることバラしますか?」

「え?」


 と、庵が感心していれば、明澄が人差し指を口元に当てて、そんな爆弾発言を口にした。


 それはあまりにも唐突で、そんなリスキーな提案に庵は腰が抜けそうになるくらい驚く。


「冗談です」

「それなら冗談っぽくしてくれ。まじかと思ったわ」


(びっくりしたぁ)


 庵があまりにも驚きすぎたためか、明澄は直ぐに冗談であることを伝える。


 一瞬、本気っぽく聞こえたのでそれを聞いて庵は安堵した。


「ふふふっ。秘密の方が楽しいですもんね。私もまだこのままの方がいいですし。ネットでもリアルでも。さぁ、配信を再開しましょうか」

「あ、ああ」


 そんな庵を見て明澄は楽しそうに笑いつつ、部屋に戻っていくが、どこかあの本気っぽい表情と今の意味深な発言は忘れられなかった。


(俺がいいって言ったらどうしてたんだろうな)


 本当に本気だったらと思うと、そんな考えが浮かんでくる。

 明澄は一体何を考えていたのか庵には分からない。


 いつか本当にバラす日が来るのだろうか。

 そうだとしたらそのタイミングはいつなんだろう。考えられるのは本当に明澄と付き合うという一つしかないが、直ぐに思考から排除する。


(それはないな……)


 と色々と考えながら、庵は配信へと戻っていった。

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