第36話 聖女様と進路のお話

 進路希望。

 この四文字に悩まされる学生は多くいるはずだ。

 特に高校生にもなると、年に数回は進路指導として話題に上がる。


 再来月には二年生へと進級する予定の庵や明澄もそれは同じだ。

 期末テストを控えた二月下旬某日、二人は進路調査票を前にして話し合っていた。


「大学ねぇ、行かなくても良いんだろうけど、行った方がいいんだろうな」

「庵くんは進学しなくても生きていけますからね」

「仕事なんていつなくなるかわからんけどな。明澄はどうするんだ?」

「この業界、いつ廃れるか分かりませんから学歴は大学まで進めておくつもりです」

「だよな」


 庵も明澄も学生という肩書きを持っているだけで、ほとんど社会人と変わらない。

 このままでも充分生きて行けるし、食べることくらいは困ることも無いだろう。


 けれど何があるか分からないし、特に明澄の場合は流行はやりによってコンテンツの隆盛を支えられていると言っても過言ではない。


 下火になった時に生き残れるか、それともすっぱりと手放すのか、その時に取れる選択肢は多い方が良いだろう。


「それに私は一応、目標の大学がありますから」

「へー。どこに行くんだ?」

「ここですね」


 明澄は既に進学を希望する大学を決めているらしい。

 さすがは優等生といったところか。


 彼女はスマホの画面を見せて、希望の大学を教えてくれた。


「ここって結構、いいところだよな」

「まぁ、名前は多くの方が聞いた事はあると思います。とりあえず私はこの大学に決めていますね」

「理由は聞いてもいいのか?」

「つまらないですよ?」

「ならいいや」


 結構、早くに決めているということはそれなりの理由があるのだろう。

 気になって尋ねてみると明澄はやや難しそうな表情をしていた。


 以前の彼女の口ぶりからすると家族関係などに問題がありそうだし、これ以上は踏み込まない方がいいかもしれない。


 庵は地雷を踏み抜く前に質問を取り下げた。


「まぁ、庵くんは存分に悩んだらいいと思います。それに希望の大学が見つかった時、学力が足りなければ私が教えてあげますからね」

「さすがにそこまで足は引っ張れん」

「何を言ってるんですか、今更ですよ。お互いにご飯作ったり、買い出しとか色々やってるんですから」


 明澄は学年でもトップを争うほどの学力があるし、庵の学力を向上させるくらいどうってことないだろう。

 でもそれは時間を取らせることになるし、庵は別に進学出来なくても問題は無いから、明澄には自分のことに集中して欲しい。


 ただ彼女の言うように、自分たちはお互いを頼りにしているし、庵はかなり依存している自覚がある。

 今更というのもその通りではあった。


「でもな、進学が関わってくるし」

「言ったじゃないですか。私は庵くんの、いえ先生の絵のためなら何でもしますと」

「ほんと、俺の絵が好きだな。めちゃくちゃ嬉しいよ」

「はい、一番の推し、ですからね」


 庵が遠慮しても、明澄は当然だと言わんばかりに口にする。


 絵描きとして一番嬉しい言葉だし、明澄のような勉強も運動も出来て自立した立派な女の子に、そう言って貰えるなんて自分は果報者だ。


 とりあえず、庵はできるだけ迷惑をかけないように今回はテスト勉強を頑張ることにして、進路調査票には進学とだけ書いておいた。




「そこは公式を使ってしまえば楽ですよ」


 勉強をすると決めた庵はやる気が減退してしまう前に、早速テスト勉強を励むことにする。


 そんな彼を見るや否や明澄が折角ですから、と隣で同じくテスト勉強を始めていた。


「ゴリ押しできるからずっとそれでやってたけど、やっぱ公式だよなぁ」

「庵くんは横着するのをやめればもっと点数を取れると思いますけどね」


 小一時間ほどテスト勉強に取り組んでいたが、庵は明澄にすでに面倒を見られていた。

 彼女曰く、教えるのも息抜きになるし理解も進むとのこと。


 であれば聖女様からの天恵を享受しておくことにした。


「そこは努力する」

「はい。きっと凄く点数が変わりますよ。そういえば、庵くんの成績ってどんな感じなんですか?」

「前回のテストは全体で三十二位だったかな」

「それ、かなりいい方ですよね? 一夜漬けするタイプって言ってませんでしたっけ?」


 庵の順位を聞いた明澄はほんのりと小首を傾げる。

 確かにテスト前の庵の姿を見ると苦労しているように見えるはずだ。


 なのに思ったより順位が良くて、彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。


「テスト勉強は一夜漬けだけど、暇な時にはノートとか教科書を見返してるしな。あと俺は授業でなんとかなるらしいわ。数学と物理が足を引っ張ってるけど」

「はぁ、てっきりもっと下の方だと思ってました」

「暗記系は好きだし、文系はかなり得意だからな。けどその二科目は勉強しないと赤点とるんだよ」

「なるほど」


 庵は得意科目とそうでない科目がはっきりしているタイプで、不得意な科目に時間を注げるという強みがあった。

 加えて得意科目でカバーするため順位の見た目だけはいいというのが実情だ。


 また勉強をそれほどしないが、コツコツと絵を描いたりと努力はできるのである。

 そのため、隙間時間に復習くらいはするし、授業中に奏太に教えて貰ったりと、なんだかんだ点は取れる方ではあった。


「その二科目くらいなら手間がかからないので、これからは遠慮なく頼ってください。欠点とると留年ですし」

「助かる」


 早く言って下さいという風な顔をした明澄は、真っ直ぐ見つめてきた。

 真面目に庵の点数を上げるつもりらしい。


 そこまで言われてしまっては頼ってもいいだろう。

 庵は崩していた足を正座に切りかえて居住まいを正せば丁寧に腰を折った。


「まぁ、その代わり、テスト期間は俺がメシの担当を多くするわ」

「分かりました。そこはお願いしましょう。庵くんのご飯は美味しいですし」


 いつもの事と言えばいつもの事だが、庵と明澄はそれぞれの負担の分担と、それに見合う労力の提供を約束する。


 実はこうしてたまに、それぞれの仕事のスケジュールや都合によって分担の割合を変えている。

 今日、また新たに役割を決め直していた。


「一緒に進級しましょうね」


 そうして勉強に戻る前に、明澄が柔和に笑ってそう紡ぐ。


 これからも関係を続けて行きましょう、という直接的な言い回しに若干照れてしまうが、庵からすると願ってもないことだ。


 いつもみたいにはぐらかしたり、素っ気ない返事は申し訳ないしありえないと思って、庵は「卒業まで頼むわ」と返した。

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