第35話 聖女様のとある欲求と帰宅
大雪による停電騒動や帰りのバスの心配もされたが雪が落ち着いて来たため、どうにか庵たちは帰宅出来そうだった。
今はバスの中にいて、三日間の林間学校は終わりを告げようとしていた。
「バスが動いて良かったぞ、ほんと」
「オレはもう一日いても良かったけど、胡桃が大変そうだしね」
庵はほっと息をつくようにバスが動いたことに安堵する。
一方の奏太はもう少し遊んでいたかったとばかりに言うけれど、胡桃を見るとかなり疲れ切っているし帰宅した方がいいだろう。
「三人とも迷惑をかけて悪かったわね」
「いえ、とんでもありません。仕方の無いことですから、気にしないでください」
「まぁ、水瀬の言う通りだわな。俺たちは全く迷惑なんて思ってないし」
本来男女は別れて座るのだが、事情から特別に奏太と一緒に座っていた胡桃は、いつもの強気な性格をどこに置いてきたのかと思うほど弱々しくなっていた。
すると、二人の事情によって庵と明澄も一緒に座っており、彼らは前の席の胡桃に気遣う言葉を掛ける。
「そうだよ、胡桃。朱鷺坂君が熱出した時も水瀬さんのリフトの時も別に迷惑なんて思わなかったでしょ? それと一緒だよ」
「ありがと。奏太、好き」
「うん。オレもだよ」
「そんだけイチャつけるなら大丈夫だな」
「ええ。いつもの胡桃さんですね」
庵と明澄の言葉に奏太も同調して、彼女の肩をさすっていた。
ともすれば胡桃はしおらしくして奏太に寄りかかる。いつもはバカップルめと言いたくなるが今ばかりは微笑ましくなれた。
「お、美味いな。サービスエリアと言ったらホットスナックの自販機だよな」
「最近は減ってきているみたいだけどね」
「もう会社がなくなってたりするらしいわよ」
休憩の為、サービスエリアにバスが止まると、四人は夕食代わりにホットスナックを自販機で調達していた。
庵と明澄はホットドッグ、奏太がハンバーガー、胡桃がポテトと焼きおにぎりを手にしている。
「水瀬? どうした、食べないのか?」
「いえ、食べますよ。ちょっと熱かったので」
「そうか、急かすようで悪かったな」
「いや、そんなことは」
ふと明澄に目を向けると自分のホットドッグを見つめるばかりで、口をつけていなかった。
おかしいなと思った庵が声を掛けるも、彼女は作り笑いをしながら答えていた。
どうにも明澄の主張通りには見えず不審に思うのだが、その理由を思いつくこともなかったため様子を見ることにする。
「あの、少し良いですか?」
「どうした?」
ただ、バスに戻る寸前で庵が何かアクションを起こしたり、尋ねるよりも先に明澄から打ち明けられることになった。
とりあえず、バスの中に戻る。
早くにサービスエリアから戻ってきたから、まだ中には誰もいない。
それを確認すると、明澄が意を決して切り出す。
「えっと、配信したいです……」
「……は?」
明澄は身体をよじらせながら、そう告げてきた。
一瞬、何を言い出したのか理解が追い付かず庵は、呆けた声を出す事になる。
「実はこの三日間ずっと配信したくて……」
(禁断症状出てるじゃねーか)
明澄が言い直すと庵は内心でそう突っ込んだ。
「まじかよ。お前、ほんと配信好きだな」
「私の全てを注ぎ込んでいるものですから。でも、こんなことを言っても迷惑ですよね」
「あーいや、まぁ明澄の体調が悪いとかじゃなくて良かった。というかむしろ元気だな」
「す、すみません」
呆れるというか、苦笑いしつつ庵は少しだけ胸をなで下ろした。
とりあえず明澄に悪いところはないらしい。
一方の彼女はそんな欲求を我慢出来ていない自分が恥ずかしいのか、申し訳なさそうに赤らめていた。
「と、とりあえず、我慢してくれ」
「まぁ、我慢する他ないですからね」
「ああ。帰ったら配信しよう。雑談でもゲームでも朝まで付き合ってやるから」
「あ、ありがとうございます」
配信したいと言われてもどうすることも出来ない。
だから庵がそう伝えると、明澄はぱあぁと表情を明るくさせて、ぺこりとお辞儀をした。
それから隣には配信が待ちきれない、とばかりにとても上機嫌の明澄の姿があった。
「じゃあ、また週明けに」
「二人とも楽しかったわ。ありがとね」
「おう。またな」
「私も楽しかったです」
明澄の衝撃の告白から数時間後の夕方、庵たちは学校へと戻ってくる。
その後、四人は途中まで一緒の帰路に就き、別れ道まで歩く。
全員、冷静なところがあるからか変な感傷に浸ることも無く、普段の放課後のように一言ずつ交わすとそのまま別れた。
ただ、四人とも満足というか楽しげではあった。
「よーし帰ったら配信だ。とりあえず、夜食の準備だな」
「ええ。楽しみです」
奏太や胡桃と別れた二人は雪が降る静かな街中を歩いていく。
二人の頭の中には配信のことでいっぱいだ。
配信が待ち遠しかった明澄はともかく、庵も段々と配信の気分が湧き上がってきていた。
「それにしても、色々ありましたよね」
「まぁな。行く前はあんまり気乗りしなかったけど、楽しかった」
二人で歩を揃え、自宅までの帰路を辿っていく中で、明澄は庵を見上げて少し懐かしそうに言う。
最初は林間学校なんて、と思っていたが振り返って見れば存分に満喫したと言えるだろう。
彼は素直に楽しかったと答えた。
「はい、この三日間、庵くんはとても楽しそうでした」
「明澄に怒られたりしたけどな」
「それは庵くんが悪いです」
明澄は微笑ましいものを見るように言えば、庵が思い出を一つ語る。
怒られた思い出を話題に上げると彼女はつんとしながら隣を歩いていた。
「寝てる時に明澄に顔を触られたりもしたな」
「……それは私が悪いですね」
今度は明澄が見舞いに来た時に頬を触って遊ばれてた話をすると、彼女は決まりが悪そうに答える。
明澄の反応が面白くてまだまだ話題を振ってみたいけれど、自宅前まで戻ってきたため足と会話が止まる。
「胡桃さんや沼倉さんとも仲良くなれましたし、非常に充実した三日間でしたね」
「ああ、本当にな」
一呼吸置いたのち、自宅の前で立ち止まった明澄は、満面の笑みを浮かべてそう言った。
庵と同じで学校行事にそれほど興味がなかった明澄がここまで言うのだから余程、楽しかったのだろう。
その明澄の表情を見ると本当に色々変わったなぁと庵は心の底から思った。
高校に入学してからお隣さんである明澄に、距離を置かれていた頃に比べると雲泥の差がある。
身バレしたかと思えばお互いに家事をするようになって、二ヶ月半でこんなにも変わるのかと驚くくらいだ。
今は一緒に帰宅しているし、配信だってする。
こんなにも仲良くなるなんて考えられなかったし、なるつもりもなかった。
今では色々なことに物足りなく感じるのだから不思議な感覚だった。
「でも何より、色んな庵くんが見られて楽しかったです」
「俺も明澄のことを色々知れたと思うな」
「かっこいい庵くんも、可愛い庵くんも見れました。新鮮で面白くて、本当に三日間は短かったです」
顔の前で手を合わせて口元を隠す明澄は、まるで本当の聖女のように微笑んでいた。
とても気恥ずかしくなるようなことを言われて、庵は鼓動が早くなる。
「本当に短かったか? 配信したすぎてうずうずしてたくせに」
「そ、それは言わないでくださいっ」
何か同じような言葉で返せれば良かったのだが、庵には少しハードルが高かった。
だから、揶揄うようにしか言葉を紡ぎ出せない。
そうすれば明澄が恥じらって首に巻いていたマフラーに顔を隠しながら抗議してきた。
「さて、そろそろ部屋に入るか」
「はい」
抗議をする明澄に庵は「悪い悪い」と言えば、冷えてきたし部屋に戻ることを勧めて、彼女もこくりと頷いた。
そして部屋に入る直前、
「庵くん」
「なんだ?」
「また、あとで」
「おう。またあとでな」
庵は名前を呼ばれて振り返ると、そこには明澄が小さく手を振りながらその綺麗な顔を綻ばせていた。
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