第34話 暗がりと聖女様

 林間学校の最終日は特に大きなイベントもなく、学年やクラスで集合写真を撮ったりするくらいだ。


 引き続きスキーをしながら一日を過ごす、という予定だったのだが、生憎の大雪でリフトも止まり、想定外の自由時間となった。


 そんなこともあり、教師のいるフロアに限り男女の部屋の行き来が解禁され、庵たちの四人は一つの部屋に集まって駄弁っていた。


「最終日に大雪なんて降らなくてもいいのに」

「バスを出せるかも分からないそうですね」

「らしいね。となるともう一泊か。それはそれで楽しいかもね」

「分かるわ。こういうのってワクワクするわよね」

「楽しくなんかねぇよ。こっちはな……」

「こっちは?」

「いや、なんでもない」


 庵のベッドに明澄と胡桃が座り、奏太のベッドに男二人が座りつつ、そんな会話をする。


 かなりの大雪で帰りのバスすら危ういという状況にあって、経験のないことに奏太と胡桃は少しだけ楽しそうにしていた。


 恐らく警報が出るような台風の時にテンションが上がる子供と似ているだろう。


 庵は三日間、イラストの制作作業を進められずにいる。

 問題がないようにスケジュールを組んでいるが、やはり心理的には早く帰りたいと思って、危うく彼はそのことを口に出しかけていた。


「明澄もそう思わない?」

「私は予定があるので朱鷺坂さんと同じで、早めに帰れる方が嬉しいかもしれません」


 胡桃はそういつの間にか明澄を呼び捨てにしていて、そう同意を求めた。

 庵が知らないタイミングでより仲良くなったのだろう。明澄も気にすることなく彼の意見に追従する。


 配信の再開や準備の為に早く帰れる方が望ましいに決まっている。

 彼女はちらりと庵の方を見やりながら苦笑気味に答えていた。


「じゃあ暇だし、帰れるか帰れないか、賭けをしましょう」

「賭け?」

「ええ、当てた方が外した方になにか一つだけ命令が出来る的な……」


 すると、半分に割れたからちょうどいいとでも思ったのだろう、胡桃が唐突にそんなことを言い出す。


 明澄が短く聞き返せば、胡桃はシンプルでしょう? と言いながら面白そうにするのだが、その瞬間フッと部屋の明かりが消えた。

 それは大雪による停電の所為だった。


「きゃっ! 無理無理無理! だめだめっ! ほんとに無理! 奏太、奏太!?」

「あ、やば。カーテン開けてくれる?」

「あ、ああ!」


 それから部屋の明かりが消えると同時に、胡桃が塞ぎ込んで過剰な反応をしていた。

 彼女は分かりやすくパニックになっていて、奏太が胡桃に寄り添いつつ、庵に指示を出す。


 庵もまた言われた時には既にカーテンに手をかけており、部屋に僅かな明かりを取り込む。

 異常を察知した明澄はスマホで部屋を照らしていた。


「ど、どうされたんですか?」

「こいつ暗所恐怖症なんだよ」

「そ、それは大変です……」


 停電によって部屋の明かりが消え、カーテンを閉めていた部屋は外の悪天候もあって、かなり暗くなっている。


 何も見えないという訳では無いが、暗所恐怖症の胡桃にとってパニックになるには充分だ。そんな彼女が焦る姿に明澄は動揺する。


 事情を知っていた庵が説明して、明澄は得心がいったのか戸惑いつつも冷静さを取り戻していた。


「悪いけど。ちょっと部屋の外に行ってくるね」

「分かった」

「気をつけてくださいね」


 とりあえず、ある程度明るくなったことと、奏太がそばに居るからか胡桃は落ち着いたようだ。

 その後、奏太がより明るいであろう部屋の外に胡桃を連れて出ていった。




「胡桃さんは暗いところがダメだったんですね。大丈夫でしょうか」

「ま、色々あったらしくてな。もしかしたら寝る時も間接照明なんかはついてたんじゃないか?」

「あ、言われてみればついていました」


 やや暗がりの部屋に、庵と明澄は残ってそんなやり取りをしていた。

 スマホのライトの上に、水の入った二リットルのペットボトルを置いて簡易的な照明を作り出し、部屋はそこそこ明るくなっている。


 確かに暗いままだと庵も明澄もそこそこ怖さはあったから、如何に明かりが大事なのかが分かる。


 また、高所恐怖症ではないが、リフトに恐怖感がある明澄は共感できるところがあるのだろう。

 胡桃のことをかなり心配していた。


「でも、凄く分かる気がします。私もこうしているとちょっと怖いので」

「大丈夫か?」

「はい。庵くんが明るくしてくれていますし、喋っていると落ち着きます」

「ん。ならいい。あと布団かぶっとけ。エアコン切れてるから冷えるだろ」

「ありがとうございます」


 やはり人としての本能なのか暗がりではある程度の恐怖感が出るらしい。

 明澄は胡桃を思いやりながらもぽつりと漏らす。


 一方の庵は全くと言っていいほど落ち着き払っていて、明澄のことを気にかける余裕があった。


 自家発電などで直ぐに停電も復旧するだろうが、エアコンが切れてから数分経つから既に寒くなってきている。

 庵は畳んでいた掛け布団を明澄に手渡した。


「もしダメだったら言えよ」

「あの、でしたらお顔を少しだけ」

「顔?」

「はい。誰かの表情が見えるだけで心理的に全然違うらしいです」

「まぁ、そういうことなら」


 おずおずと明澄はそう切り出してくるが、庵も彼女にとってそれがいいのであれば、と受け入れて明かりに近付いて顔を見せる。


 庵がペットボトルの照明に寄ると、すっと明澄のひんやりとした手が頬に当てられた。


(えっ!?)


 予想外のことにびっくりしたが、声を出したり騒いだら怖がらせたり遠慮させてしまうかもと、庵はぐっとこらえる。


 なんだか、やけに冷たく感じるのは自分の頬が熱を帯びているからなのか、単純に明澄の手が冷えているからなのか。

 けれど考える余裕はなくて、なすがままにされていた。


「やっぱり、柔らかいですね」

「そうか?」

「ええ。男の人ってもう少しごつごつとしているのかなぁって思ってましたから。庵くんが特別なのかもしれませんけど」

「自分じゃ分かんねぇな」


 ふにふにと遊ぶように庵の顔を触りながら、明澄はそんな感想を口にする。

 けれど本人の庵からすると人の顔など触ったことなんてないから確かめようがなかった。


 けれど触っている明澄が言うのだからそうなのだろう。

 自分も明澄の頬で試してやろうかと思ったが、それはやめておく。

 代わりに、ある事に気付いた庵は手ではなく、口を出すことにした。


「そういや昨日。お前、俺が寝てる時に顔を触ってたよな?」

「え? あの、なんで?」


 ここで庵は昨日、聞けなかった疑問を問うことした。

 そうすると彼女は驚いたように声を漏らし、どうして知っているのか、といった表情をしていた。


「だってお前さっき、やっぱりとか言ってたし、昨日ちょっとだけ起きてたんだよ。ほとんど記憶ないけど今ので確信した」

「あ……」


 夢か現実か朧気だったが、彼女が口にした言葉によって庵は確信に至っていた。

 墓穴を掘るとはこのことだ。


 それを指摘すると、明澄の表情はみるみると赤くなっていき、さっと庵の顔から手が離れる。


 彼女は肩に掛けるように被っていた布団に頭まで引っ込めて、ぷるぷると震えていた。


「あ、あのべつに悪いことをしようと思ったわけではなくてですね……」

「分かってる、好奇心だろ。けど、男にあんまりこういうことすんなよ」

「はい、ごめんなさい」


 取り繕うようにしながら明澄は布団の隙間から消え入りそうな声を出していた。


 ちょっと小動物っぽくて可愛らしい。

 そう思った庵に一種の愛玩欲というか嗜虐的な欲が湧いてきて意地悪をしたくなるが、それは可哀想なのでやめておいた。


 しばらく引っ込んでいる明澄を眺めつつ居れば、明かりがつく。


「明澄、電気ついたぞ」

「知ってます」

「出てこないのか?」

「ダメです」

「おーい」

「ダメです」


 と、明かりが戻ってきたことを伝えてみるが、彼女は一向に姿を表さない。


 何度か声を掛けてみても、そう言うだけで明澄はしばらく布団の中だった。


 それから数分後、布団から出てきた明澄の耳はほんのりと赤くなっていて、思わず撫でたくなるような可愛らしい少女がそこにいた。

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