第31話 聖女様のお見舞い

「三十七度か。微熱も微熱だな」

「これは大人しくして様子見だね」


 林間学校は泊りがけの学校行事ということもあって、体調管理の為に熱を測らなければいけない。

 そして朝、庵が測った体温計には三十七度と表示されていた。


 彼の平均体温が三十六度五分程度なので、本当に誤差程の微熱だ。

 あと一分ほど低ければあまり騒ぐことは無かっただろう。


 庵は教師と相談した上、ホテル内で待機することになった。

 ただ、身体がダルい訳でもなく頭痛や吐き気、咳もなく、食欲もある。

 本当に微熱だけの症状だからかなり軽い。

 午後からは体温次第で、復帰できることにもなっていた。


「昨日、寒かったのは悪寒だったんだなぁ」

「あーなるほど」


 庵はベッドに座りながらそう呟く。

 昨日、奏太と共にずっと寒そうにしていたのだが、彼と違って寒がりでない庵は少しおかしいと思っていたのだ。


 それに、明澄ともつれた時に最後まで踏ん張り切れなかったのも、体調が悪くなる兆候だったのかもしれないと今になって気づく。


「じゃあ、たまに様子見に来るから養生しなよ」

「養生ってほどでもないけどな」


 ウェアに着替えた奏太は手を振りながら言って出ていく。

 そして庵は一人ホテルに残った。


「さぁて、描くか」


 大事をとっての待機なので、体力を使うとはいえ絵を描くくらいは問題ないだろう。


 庵は鞄からタブレット端末とスタイラスペンを取り出して、一日ぶりのイラスト制作に取り掛かった。




「静かなもんだなぁ」


 二時間程が経過した頃、一息つこうと庵は窓の外をみやりながら呟く。

 最近は絵を描く時は明澄が飲み物を淹れてくれたり、夕食を作ってくれたりしていたので、一人で絵を描くのは久々だった。


 それにここ数日、奏太たちに明澄とお隣さんということがバレたり、スキーをしたりと賑やかだったからより静けさが際立っている。


 何となく物足りない。


(いやいや。これが普通だろ)


 ふとそう思った庵は頭を振って、また絵を描き始める。

 彼にとって一人は普通でそれでいいと思っていた。


 絵を描けるだけで充分に楽しいし、そこそこ付き合う程度の友達がいるくらいがちょうどいい。

 ただ、なんだかやはり寂しさは拭えなかった。


 でもそれは疲れて弱気になっているんだろうと思って、気を紛らわせるように手を動かし始める。


 そうしていると、部屋のドアがノックされる。

 奏太か教師が様子を見にでも来たのだろうと、庵は「どうぞ」と言うと、静かにドアが開かれた。


「失礼しますね」


 ただその庵の予想は外れる。

 部屋にやってきたのは奏太でもなく教師でもない。


 学校指定のジャージを着た明澄だった。

 また彼女はコンビニの袋を手に提げていた。


「あ、なんで?」

「えっと、お見舞いです」

「というか男子の部屋に入ってきていいのか?」

「時と場合というやつですね」

「そうかい」


 明澄はお茶目に片目を閉じると口元に人差し指を当てていた。

 バレなければ問題ないということだろう。


 昨日、胡桃を注意していたのも集合や準備に遅れないようにという意味あいが強かったし、彼女もそれほど気にはしていないのかもしれない。


 というよりも、庵からすると見舞いに来てくれたのは嬉しいから、それはどうでもいいしあまり深くは考えなかった。


「まぁ正直に言いますと、心配だったのもあるんですけどリフトに乗るのが怖くて、こっちに来てしまいました」

「まだ怖いのかよ」

「こ、怖いものは怖いんですっ」


 明澄は若干苦そうにして言う。

 確かに一日でそう克服出来るものでもないだろう。


 ただ、完璧にみえる明澄にもなかなかに可愛らしいところがあるんだな、と庵が苦笑すれば、彼女は恥ずかしげにぷいっと顔を背けた。


「まぁいいや。てか見舞いと言っても別に微熱で元気だしな」

「ええ、沼倉さんからお聞きしてます。でも万が一ということもあるでしょう?」

「ま、結局元気だったわ。ほら、こうして絵も描いてるし」

「そこは大人しくしていましょうよ。というか本当に元気なんですか? 時間も経っていますし、もう一度熱を測りましょうか」

「無い無い。上がってることなんてないだろ」


 明澄が見舞いに来てくれたのは嬉しいが、そこまで気にかけることでもないだろう。


 庵は笑いながら描いている絵を見せたりする。

 それでも庵の体調が気になった明澄は、部屋に置いてあった体温計を手渡してくる。


 こんなに元気だしどうせ熱なんてもう下がっていてもおかしくない、と庵は笑い飛ばして熱を測る。


 そして、


「……」

「どうでした?」

「……ヘイネツデシタ」


 無言の時間が少しだけ訪れて、ぴぴぴっと体温計の音が鳴り響けば、庵はそこに表示された数値を見る。

 すると、彼はぎこちなく片言になりながら明澄に報告した。


「ちょっと見せてください」

「恥ずかしいっ」

「なにが恥ずかしいんですか。嘘をつかないでください。ほら、見せてください」

「あ……」

「……熱上がってますね」


 明澄に体温計を手渡すように言われるが庵は抵抗する。ただその抵抗は呆気なく無駄に終わり、彼女に体温計を奪われた。


 そして明澄は体温計に示された数値を確認すると、淡々とした口調でそう言った。


「庵くん?」

「いやいや。三十七度三分だし。誤差だって」


 明澄がじとーっと細めた瞳で見つめてくる。

 それに庵はなにかまずいものを感じ取って取り繕う。


「庵くん?」

「すみません」


 けれど、今度はにっこりと笑ってそう言われると、庵は観念して謝った。


「なんで、イラストを描いていたんですか」

「いや、大丈夫だろって思って」

「庵くんはそういう所は適当ですよね。人を心配したり、気を使えるくせに自分のことはぞんざいにするんですから」

「ご、ごめんて」


 普段は小言を言う程度だが、今日はしっかりと明澄に咎められる。

 これほどしっかり怒られたのは初めてではないだろうか。


 今までは子供を叱る程度のものだったが、今回は真面目に叱られる。


「ほんと面目無い」

「はぁ。過ぎたことですし、言っても仕方ありませんね。こういうこともあろうかとお見舞いに来たわけですし」


 ため息をついた明澄は部屋の椅子をベッドの傍に持ってきて座る。

 庵も保存作業のあとタブレットの電源を落とした。


「とりあえず水分補給などはしましたか?」

「いや、作業してたしな。あんまり飲んでない」

「一応スポーツドリンクを持ってきましたので飲んでください。あと熱が上がったり辛くなった時用に私のですけど、解熱剤を用意しておきましたので」

「ありがとな」


 ホテルのコンビニで買ってきただろう。

 明澄からスポーツドリンクを渡される。

 

 明澄らしいと思いながら庵はありがたく貰っておくことにする。

 その際、彼女はコップに注いでくれるのだから、本当に甲斐甲斐しい。


 また外泊ということもあって解熱剤を持ってきていたのだろう。明澄は可愛らしいポーチから解熱剤を取り出していた。


 お金もある程度稼いで一人暮らしをしているから、それなりにできると思っていたが、庵は如何に自分が未熟なのか自覚するのだった。


「横になれとまでは言いませんけど、もう絵はダメですからね」

「分かってる」


 スポーツドリンクを飲み終えると明澄から優しく諭された。

 それで明澄は帰って行くと思ったのだが、椅子に座ったままこちらを見やっている。


 どうしたのだろうか。

 やることはもうないだろうし、ここにいても仕方ないと思うのだが。


「明澄は帰らないのか? いや、見舞いにきてくれたやつに言うことじゃないけど。自由にしてくれていいんだぞ?」

「あなたの監視です。また絵を描き始めないか心配なので」

「へいへい」


 庵からすると自分が悪いのだし、そこまで迷惑をかけたくは無い。

 せっかくの林間学校なのだから、スキーはしなくても楽しめることは他にもあるはずだし、明澄の時間を奪いたくはなかった。


 だからそう伝えるけれど、彼女は真面目な顔をしてチクリと言う。


「昨日は庵くんに助けられので、今度は私がと思っていましたしね。それに、これは私の意思かってですから」


 それから、微笑むようにして明澄はそう付け加える。


(俺は駄目なやつだなぁ)


 そして庵は心の中でそう思いつつ、明澄に依存しすぎだ、と反省する。

 それと共に彼女の可愛らしい笑みに少し見蕩れながら、申し訳なさそうにしていた。

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