第29話 聖女様の苦手なもの
「あの、すみません。私、リフトが怖いかもしれません」
林間学校の自由時間が始まってから、庵たちの四人はゲレンデを滑っていたが、数回リフトに乗り降りしたところで明澄がそう打ち明けた。
「聖女様ってスキー経験者よね? 言い方あれだけど、今更?」
「昔はそうでもなかったんですけど、なんだか今は怖くなってしまって。本当に今更ですみません」
「仕方ねぇって。小さい頃は大丈夫でも年齢が上がるにつれてダメになるやつってあるしな。虫とか」
「珍しく意見が一致するわね。なんで小学校の頃の私はセミなんて触ってたのかしら」
急に言い出したことを申し訳なさそうに明澄は謝った。
ただ、そんな彼女に庵は気遣うように声を掛けて、明澄の肩に手でぽんと触れる。
悪く思う必要はない、という意思表示で奏太や胡桃も明るく振る舞っていた。
「みんなそうだよ。というか胡桃がリフトではしゃいで揺れたから怖かったんじゃないのかな」
「……私、そんなにはしゃいでないわよ。だったら一緒に乗りましょうよ。そもそも私は奏太と一緒がいいし」
「じゃあ、俺たちはこの辺にいるから二人で行ってこいよ。これならペア交換しても教師もなんも言わんだろ」
奏太が場を明るくしようと気を利かせて胡桃をいじれば、彼女も察したのかそんなやり取りをする。
それに庵も気付いてペアの交換を自然に提案した。
「それは朱鷺坂さんに申し訳ないです。私は大丈夫ですから」
「でも、怖いなら乗らない方がいいって。そもそも一人だけ楽しくないやつがいる方が俺は嫌だよ」
ただ、明澄は自分のせいで庵に迷惑をかけるのが嫌だったのだろう、少し強がるように言う。
それでも庵は優しく明澄にそう告げて微笑んだ。
別に庵はスキーが出来なくても問題ないし、明澄に負担が掛かる方が嫌だった。
「い、いえ。スキー自体は楽しくて私もまだやりたいので」
「それは本心か?」
「はい」
庵はストップを勧めたが彼女はどうやらスキーそのものはまだ続けたいようだった。
強がって言ってるのか本音なのか判断できなかった彼は、緩めていた表情から一転して真剣な目付きで明澄に問う。
すると彼女も目を合わせていつもより力強く答えた。
「……分かった。じゃあ、いつでもリタイアできるよう、ペアはとりあえず交換する。で、辛くなったら俺とロッジに行く。それでいいか?」
「分かりました」
「ってなわけだ。お前らもそれでいいか? というかカップル組はそっちの方がいいだろ」
「もちろん」
「ええ。アンタがしっかり見てやんなさいよ」
庵は明澄の言葉を信じることにして、そんな約束を取り付ければ、彼女も納得したようだった。
奏太たちも同意してペアを交換する。
そしてもう一度、四人はゲレンデに戻っていった。
「あの、庵くん。気を使って下さってありがとうございます」
「ん? 気を使ったってよりも配信も私生活も俺たちはこんなもんだろ」
先に行く奏太たちの後ろで、庵はふと明澄にウェアの袖を掴まれる。
すると、彼女は庵を見上げて小さく笑みを浮かべてそう紡いでいた。
自分が困っている時は明澄が手伝ってくれるし、その逆もある。
庵にとっては気を使うも何も、普段とそれほど変わらない対応だと思っていた。
「ふふっ。確かにそうですね。私が片付けたり掃除したりしますからね」
「おいおい。料理はするだろ」
「私もしますけどね」
「それはそう。まぁいいや、行こうぜ」
「ええ」
そうやって二人は軽く言い合うと、今度こそリフトの方へ向かって歩き出す。
そして、明澄の手はまだ庵の袖を掴んだままだった。
「大丈夫か?」
「は、はい。庵くんたちに伝えたからかなんだかマシな気がします」
「ん。なら良かった。でもまじで無理するなよ?」
「大丈夫です」
二人でリフトに乗ると真っ先に庵が明澄を心配するも、今度は強がる様子もなく彼女は答える。
未だに明澄の左手が庵の右腕に触れてはいるがそれで安心するならと彼も気にしない。
「にしてもこちらは人が少ないですね」
「中級者コースだし、なんかうちの学年は経験者少ないみたいだしな。俺は色んな意味でこっちの方が都合がいいかな」
庵たちが滑っているコースは中級者コースで、そこからさらに上がって行くと上級者コースに入る。
そのため、学年としてもスキー場全体でも人の数は落ち着いていた。
ゆっくり滑りたい庵には都合がいい。
また都合がいいのはそれだけでなく、明澄に向けられる視線が減るということだ。
庵と明澄の組み合わせは変な噂までとはいかないが、特に男子からの羨ましげな視線に悩まされていた。
それにゴーグルをしていている時は顔が隠れてそれほど目立たないものの、外すと生徒以外からも目立ってしまう。
胡桃も含めて何度かナンパ目的で声をかけられたりする度に、庵と奏太が追い払っていた。
そういう意味でも人が少なめの中級者コースで良かったと思う。
「さぁ、降りる準備しようか」
「は、はい」
リフトの頂上が近づくと二人は距離をとって降りる体勢を取る。
若干、明澄は表情に緊張が走らせるが、降りる時は庵もドキドキしていた。
経験者でもたまに失敗してリフトを止めてしまうので、乗り降りの際は気を使う。
そして、係員が降りる合図を送ってくれると、二人はさっと板を滑らせて無事に降りる事ができた。
「おー緊張したぁ」
「庵くんは乗り降りの時だけ緊張してますよね」
「昔やらかしたことがあってな」
「そうなんですか?」
「リフトから降りる寸前で板を立てすぎて地面に突き刺して、足がもってかれそうになったことがあったんだよぁ」
緊張していたことが明澄にも伝わっていたようで、彼女は不思議そうに聞いてくる。
すると庵は苦々しくも懐かしそうに思い出を語った。
「ああ、それはトラウマになりますね」
「だろ。だからな、実はと言えば明澄と一緒にロッジに残ってても良かったんだよ」
「意外と庵くんもビビりさんですね」
「うるせーよ。行くぞ」
庵に同情しつつも揶揄ってくる明澄の様子を見るに、リフトに対する恐怖心の影響は大丈夫だろう。
それを感じた庵は斜面を滑り出していった。
「いやぁ、凄いわ。まじで滑るの上手いな」
「そうですか?」
明澄はスキーがかなり上手かった。
幼い頃に二度ほど来た程度らしいが、持ち前の運動神経から綺麗に滑っていた。
そんな上手な明澄が、ゲレンデの下に降りてゴーグルを取ると、綺麗な顔が現れるのだから男女問わず見蕩れるのは当然だろう。
「リフトは怖いくせになぁ」
「そ、それは言わないでくださいって」
そこそこ滑った庵たちはロッジへ戻っていくのだが、途中さっきの仕返しとばかりに彼女を揶揄う。
すると恥ずかしがった明澄にぽこぽこと背中を叩かれていた。
と、その時、
「きゃっ!」
「おっと、大丈夫かっ、うおっ!?」
足を滑らせよろけた明澄が転けそうになる。
それを近くにいた庵が咄嗟に彼女の腕を掴んで支えたのだが、もつれて二人して転んでしまった。
すると、庵が明澄に覆い被さるような体勢になる。
なんとか踏ん張ったので怪我はしなかったが、お互いの顔が急接近していた。
いつ見ても綺麗な顔がそこにあって庵は激しく動揺する。
それは明澄も同じなのか、赤くなった表情で驚いていた。
「ご、ごめんなさい!」
「問題ない。明澄、立てるか?」
「は、はい」
すると庵がすぐに立ち上がって、明澄を助け起こす。
お互いにパタパタとウェアに付いた雪を払いつつ、また歩き出した。
ちょっと今は恥ずかしくてお互いの顔が見れない。
あんなに近かったのは、恐らく庵の家で明澄が転けそうになった時以来だろう。
今のはあまり人に見られたくないが、幸い周りに誰もいなかったことに安堵する。
「み、見られてませんよね……」
明澄は周りを気にしつつ何やらそんなことを呟いて、庵をちらちらとみやりながら隣を歩いていた。
なんだか前とは違う様子だが、今は何か考えている余裕はない。
庵は黙って何事もなかったかのように振る舞うのが精一杯だ。
と、そんなハプニングがありながらも、二人は一日目の自由時間を終えるのだった。
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